クーベリックによるドヴォルザークの交響曲第7番を聴いて

クーベリック&ベルリン・フィルによるドヴォルザークの交響曲第7番(1971年録音)を聴いてみました。

クーベリックは、知情のバランスに優れている指揮者であると考えています。
基本的には、とても理性的な演奏を繰り広げてゆく指揮者であると思います。その演奏ぶりは、誠実であると言えましょう。堅固な音楽づくりを土台にしながら、堅実な演奏を繰り広げてゆく。
それでいて、情熱の迸りにも不足はない。それは特に、ライヴにおいて顕著でありまして、クーベリックによるライヴを聴くと、熱気に溢れた白熱の演奏に巡り合うことも多い。
そのようなクーベリックによるこの音盤は、セッション録音ではありますが、ライヴさながらの白熱の演奏となっています。クーベリックによるセッション録音盤としては、白熱度という点では、DGレーベルにバイエルン放送響と録音したヤナーチェクの≪シンフォニエッタ≫と≪タラス・ブーリバ≫(1970年録音)と双璧をなしていると、私は見なしています。

さてそれでは、ここでの演奏について触れてゆくことにしましょう。
いやはや、途轍もないほどの熱気に溢れている演奏であります。それはもう、音楽が渦を巻きながら、かつ地響きを立てながら突き進んでいる、と言いたくなるほどに。そう、この演奏における推進力の逞しさたるや、計り知れないものがある。
凄演。この言葉がピッタリだと思います。
と言いつつも、羽目を外しているようなところは微塵も感じられません。クーベリックならではの誠実さの滲み出ている演奏となっています。堅固な構築感が築かれてもいる。輪郭線がキッチリとしていて、その中で彫りの深い音楽が鳴り響いている。
そこへ持ってきての、このパッションの高さ。音楽が逞しく息づいている。とても輝かしい音楽となってもいる。
しかも、ベルリン・フィルがまた、実に素晴らしいのです。唖然とするほどに巧くて、艶やかで、重厚感があって、しなやかさもあって、非の打ちどころがない。

この作品の演奏がどうの、といったことを超越したところで、音楽の理想的な姿をここに見ることができる。そのような演奏だと言えるように思えます。