佐渡裕さん&兵庫芸術文化センター管(&反田恭平さん)による定期演奏会の第2日目を聴いて

昨日(9/9)は、佐渡裕さん&兵庫芸術文化センター管(通称:PACオケ)による定期演奏会の2日目を聴いてきました。演目は、下記の2曲。
●ブリテン ピアノ協奏曲(独奏:反田恭平さん)
●チャイコフスキー 交響曲第4番
PACオケのシーズン開幕は9月。最長3年の在籍期間にオーケストラ奏者としての腕を磨くことを目的としたアカデミー機能を持つPACオケに、新たな団員達が加わっての最初の定期演奏会でありました。
創立して18年目のシーズンを迎え、2023年4月の時点で、卒団員のうち106名が23ヶ国のプロオーケストラで活躍をしているようです。

8月の定期演奏会でのブラームスの交響曲第2番には不満を抱いてしまったのですが、本日もまたスタンダードレパートリーと言えるチャイコフスキーの交響曲4番を採り上げる佐渡さん。チャイコフスキーではどのような演奏を繰り広げてくれるのか、興味津々でありました。
また、前プロには人気絶大なピアニストの反田さんを招いてのブリテンが組まれています。反田さんの実演を聴くのは、これが初めて。佐渡さんと反田さんは、気心の知れた間柄と言えますよね。滅多に実演で接することのできないこの作品を、どのように聞かせてくれるのか、こちらもとても楽しみだった演奏会。

なお、反田さんがPAC定期に登場するのは初めてのようです。そして、ブリテンを演奏することを提案したのは、反田さんだったとのこと。

ホール前の花壇の様子

それでは、実際に聴いての印象について、触れていこうと思います。まずはブリテンから。
反田さんも、佐渡さんも、ダイナミックな演奏ぶり。それでいて、単に力で押しきるだけではなく、軽妙な性格も表してくれていた。
そのうえで、お二人とも敏捷性に優れた音楽家だと言うことができましょうが、そのような美質が演奏にクッキリと現れていた。目鼻立ちがクッキリとしてもいた。しかも、頗るしなやか。ニュアンス豊かでもありました。
オケも、機敏に反応していて、今回の好演をシッカリと支えてくれていた。
反田さんも、佐渡さんも、この作品を手掛けるのは今回が初めてだということですが、今後の共演でも度々採り上げることになるのではないでしょうか。
アンコールはモーツァルトの≪トルコ行進曲≫。ブリテンの後にモーツァルトとは異質な取り合わせですが、ブリテンの最終楽章は行進曲でありますので、その流れを汲んで選ばれたのでしょう。ほぼ全編を通して弱音で弾かれた、デリケートを極めたユニークな≪トルコ行進曲≫でありました。この辺りにも、力任せに音楽を押さえつけようとしない「今の反田さん」の姿が刻まれていたように感じられたものでした。

続きましては、メインのチャイコフスキーについて。
ブラームスの2番で感じたのと同様に、佐渡さんは表現意欲の旺盛な指揮者なのだな、という思いを強くした演奏でありました。特に、前半の2つの楽章において。
基本的にコッテリとした表情をしていた演奏でありました。情念的だったとも言えそう。そして、起伏の激しい音楽となっていた。これらのことは特に、第1楽章において顕著でありました。
第1楽章は、遅めのテンポを基調としながら、ねっとりとした音楽を奏で上げていました。色調は暗く、流れは淀みながらも、そこにエモーショナルな感興を織り込んでいく。
そのような中で、134小節目からティンパニが叩くHとFisの音によって、音楽がダレることなく毅然として前に進み始める。144小節にはPoco a poco stringendoの指示が加わるのですが、Stringendoをリードするのもティンパニ。この、なんの変哲もないティンパニの音型が、音楽をシッカリと支え、推進力を与え、音楽に格調の高さをもたらしてくれていた。ティンパニは、ウィーン響のヴラダー氏がスペシャル・プレイヤーとして参加していたのですが、なんとも見事なティンパニでありました。
その後、音楽は高潮していき、169小節目で壮麗なクライマックスが築かれる。この辺りからは、冒頭からの淀んだ流れとは対照的な、骨太にして雄渾な音楽が鳴り響いていた。177小節目からは弦楽器が主体的に旋律を奏でることとなりますが、その裏で咆哮するホルンが、音楽をシッカリと抉っていた。音楽は昂揚したまま音域は次第に低く低くなっていき、最後には弦五部とファゴットのみがユニゾンで音楽を掻き鳴らします。その最後の1小節半では、ヴィオラが唸りを上げて音楽に厚みを与えてくれていた。
そう、この日の演奏では、ヴィオラが大きな存在感を示してくれていたのであります。ヴィオラにはゲスト・トップ・プレイヤーとしてN響主席の村上淳一郎氏が参加していたのですが、彼のリードに依るものだったのでしょう。ヴラダー氏とともに、この日の演奏を充実したものにしてくれた功績大として讃えたいものであります。
但し、この直後(193小節目)、トランペットが冒頭の「運命の主題」を吹き鳴らす場面での音量が、ちょっと弱かったのが物足らなかった。ここのトランペットにはcon tutta forza(全力を込めて)と書かれており、オケの音を切り裂いて高らかに鳴り響くといった様相を私は望むのですが、そのような鮮烈さに至っていなかったのが残念でした。
237小節目からの、音楽がたゆたいながら高潮してゆく様も、見事に表されていた。253小節目からの再び(いや、三度目になりますが)トランペットが「運命の主題」を奏でる箇所では、オケ全体が大いに荒ぶっていて、嵐のごとき音楽となっていた。但し、256小節目の(同様に、266小節目の)バス・トロンボーンとテューバ(特にテューバ)が、少し弱かったのが残念。また、274,5小節目のアンサンブルに緻密さが不足していたのも、ここの場面での演奏の見事さに水を差すものとなっていた。
興味深かったのが、381小節目からのMolto piu mossoのテンポが、著しく速かったこと。速度指示をそのまま読めば、途轍もなく速くすることをチャイコフスキーは望んでいたようにも思え、佐渡さんは、その指示に従ったのでありましょう。かなり機敏な音楽になっていました。それと対照的に、402小節目からのテンポを極端に遅くして(ここの箇所には、チャイコフスキーはテンポの変化を記していない)、情念タップリな音楽に仕立て上げていた。佐渡さんが志向していた深い情念を込めた音楽を締めくくるに相応しいエンディングだったと言えるのでしょうが、私には少々やりすぎに思えたものでした。それと同時に、佐渡さんの表現意欲の旺盛さが如実に現れた箇所だったとも言えそうです。
第2楽章も、濃厚な演奏ぶりでありました。プレトークで佐渡さんは、この楽章を「メランコリックな音楽」と評していましたが、そのような雰囲気が横溢していた。
誠にしんみりとした表情を見せながら、第2楽章は開始されたのでした。冒頭のオーボエのソロからして、繊細にして表情豊か。楽譜を見ると、スラーの掛かり方が細かく、その指示に従ったのでありましょう。しかしながら、そこに拘り過ぎたようにも思え、旋律が線として繋がっておらず、細切れになっていたと言えましょうか、息の短い旋律に聞こえたのに、少なからざる違和感を覚えました。難しいものであります。
この楽章での演奏の白眉は、150小節目からの弦楽器による旋律を、ゆったりとしたテンポを採りながら粘りに粘って、切々たる歌を聞かせてくれたところでありましょう。それはもう、むせび泣きでありました。もっと言えば、果てしない憧憬、といったものが見えてきた。かなり濃厚でありました。極度に耽美的だったとも言えそう。
佐渡さん、かなり音楽にのめり込んでいて、もともと遅めのテンポが採られていながらも、更にテンポが遅くなっていった。そこに、「佐渡さん、こっちに戻ってきて」とばかりに、166小節目で打ち込まれるティンパニの一撃は、佐渡さんが感じていた音楽よりも少し早めに(2mmくらい、と表現したい)叩かれた。佐渡さんがここで奏で上げていた音楽も素晴らしかったのですが、このヴラダー氏の一撃も、この場に相応しいものであったと激賞したい。
前半の2つの楽章と比べると、後半は、あまり佐渡さんの色が感じられなかった、といった印象。特に、第3楽章は、走りがちになっていて、落ち着きや安定感が乏しく、この日のチャイコフスキーの演奏の中で最も残念な楽章でありました。佐渡さん、この楽章ではオケのメンバーの自発性を優先したような指揮ぶりだったように感じられただけに、もう少し統率して欲しかった、というのが正直なところであります。
最小楽章は、あまり粘らずに、覇気のある演奏ぶり。それだけに、作品の音楽世界に安心して身を浸すことのできる演奏だったと言いたい。そのような中で、例えば51小節目の4拍目の4分音符の音価をシッカリと守って長めに弾かせていた(そこには、はっきりとした意志が感じられた)等の、細部への配慮が為されていたのは、大いに賛成するところであります。
クライマックスでの昂揚感も見事で、この日のチャイコフスキーでの演奏に花を添えてくれていた。
縷々述べてきました。前半の2つの楽章ではかなりユニークな演奏ぶりだったと思え、佐渡さんの表現意欲の旺盛さが目立っていましたが、曲がブラームスではなくチャイコフスキーだっただけに、わざとらしさのようなものが表面化せずに、違和感をあまり覚えることがなく、佐渡さんのこのような演奏ぶりを作品が受け入れてくれていたな、と思えたものでした。

アンコールは、ヨハン・シュトラウスⅡ世とヨーゼフ・シュトラウスの合作となる≪ピッチカート・ポルカ≫。チャイコフスキーの第3楽章がピッチカートによる音楽だったことを受けての選曲だったのでしょう。
こちらがまた、反田さんによる≪トルコ行進曲≫と同様に、弱音主体の演奏。佐渡さんと反田さんとで示し合わせての演奏ぶりだったのかな、と想像しました。そして、≪ピッチカート・ポルカ≫では、テンポをかなり揺らしていた。もともとが、テンポの変化の激しい音楽ではありますが、それに輪をかけて変化を付けていた。
(ちなみに、反田さんは≪トルコ行進曲≫をインテンポで弾き切っていました。)
アンコールということで遊び心を満載にして演奏したのでしょうが、私には度を越しているように思え、居心地が悪かった。策に溺れた、といったところでしょうか。

なお、8月の定期演奏会と同様に(正確には、その直前の≪ドン・ジョヴァンニ≫から)、終演後の舞台の様子を写真撮影することが許されていましたので、カメラに収めてきました。こちらに掲載させて頂きます。