ピリスのピアノリサイタル(大阪公演)を聴いて
昨日(12/2)は、ピリスのピアノリサイタルを聴きに、大阪シンフォニーホールに行ってきました。
演目は、下記の3曲。 ●シューベルト ピアノソナタ第13番
●ドビュッシー ≪ベルガマスク≫組曲
●シューベルト ピアノソナタ第21番
ピリスは、2018年いっぱいで一度引退しています。その宣言が為されたのが2017年の秋のこと。2018年の4月に来日することになっていて、それが、日本で聴くことのできる最後の機会だと思われていました。
その来日では、数回のピアノリサイタルと、ブロムシュテット&N響との共演が持たれ、それまで、ピリスの実演に接することのできていなかった私は上京し、N響との演奏会を聴きました。そのときの演目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。
そのときのピリスの演奏はと言うと、あまり印象の良いものではありませんでした。フェイスブックに、次のような投稿をしています。
「ピリスさんによる、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番ということで、過剰なまでの期待に胸を膨らませていた私。きっと、作品そのものが昇華された世界が現れ、私を天上にまで導いてくれるに違いない、と。
ところが、実際には、そのような世界は現れませんでした。むしろ、全体的に何かぎこちなさや、たどたどしさのようなものが感じられた。音楽が流れていないのです(と、私には思えた)。何かの枠の中に閉じ込められ、その中でもがいていたようにも。そう、闊達さに欠けていたのです。融通無碍な世界を期待していたのに、そこからはかなり遠い世界。
ただ、第1楽章のカデンツァは素晴らしかった。ここだけ、世界がガラッと変わっていました。枠を取り払い、融通無碍としていた。
あと、第2楽章の訥々としたリリシズムも、ピリスさんならではの世界でありましょう。独自の魅惑的な音楽が奏でられていました。
全体的に抒情性に溢れてはいたものの、踏み込みの鋭さの欠けた演奏。あまりに期待が大きかっただけに、残念でありました。」
もう、ピリスの実演に接することはできないのだろうと思っていました。ところが、海外からの報道を見ていると、2019年以降も、ときおりステージに立っているよう。それでも、自分が実演に接するような機会を持つことはないだろうと思っていたところが、年末に来日し、東京と大阪で1回ずつのリサイタルを開くことを、10月に知りました。これは、聴きに行かねばならない。知ったその日に、チケットを購入したのでありました。
それにしましても、シューベルトのソナタを2曲と、ドビュッシーという、ピリスにうってつけと思われる名作を並べた、何とも魅力的なプログラム。期待に胸を躍らせながら会場へと向かったものでした。
ちなみに、昨日の演奏会のプログラム冊子に、ピリスの引退と、演奏活動再開についての解説が載っていて、そこには、次のように書かれています。
「ヨーロッパの以前のマネージャーと仕事に対する意見が合わず、自分の意思を貫き、音楽に身を捧げる立場として、これ以上嘘はつきたくないと思い、引退を決意せざるを得なかったと述べている。そして、自分が本当に演奏したい作品、場所、共演者などを選んで演奏をしているという。
もともと日本をよく訪れていたピリスは、”演奏したい場所”のひとつに日本を選んだ。そして、サントリーホールとザ・シンフォニーホールでのプログラムに、シューベルトとドビュッシーを取り上げる。」
なお、プログラム冊子には、次のようなことも書かれています。
「これまで、ピリスはモーツァルト、シューベルト、ベートーヴェン、ブラームス、シューマン、バッハなどドイツ圏の作曲家を多く取り上げてきた。ドビュッシーについては、ピリス自身も”フランス音楽はあまり得意としていない”と語っていた。しかし、いまは最も演奏してみたい作曲家のひとりだという。ドビュッシーの音楽は、彼女が若い頃から得意とするモーツァルト作品の澄明で古典的な側面とともに、彼女のレパートリーのひとつであるショパンのピアニズムも継承している。その意味で、ピリスにとってドビュッシーは、モーツァルトとショパンの系譜のなかにある作曲家なのかもしれない。」
さて、この日の演奏会を聴いての印象についてであります。まずは、前半の2曲から。
一昨日(12/1)、音盤で聴いたシューベルトの即興曲集に通じる演奏でありました。なんとも清冽な演奏が繰り広げられていた。何の衒いも感じられない演奏ぶり。音楽が自然と湧き出してくるような演奏だったとも言えましょう。そして、冴え冴えとしていて、ピュアな美しさを湛えたものでありました。
シューベルトの第13番ソナタの冒頭からして、音楽が自然と流れ出すような入りでありました。この曲の冒頭はまさに、そのように書かれていると思われるために、「あぁ、何とこの曲に相応しい入りなのだろう」と、夢見心地でウットリとしたものでした。そして、そのウットリは、前半の2曲を通じて続いた。しかも、必要十分に力強くもあった。そう、音楽が躍動すべきところでは、作品が宿しているエネルギーに相応しい逞しさを伴って、存分に躍動していたのでありました。
ほんの時折、シューベルトにおいて、音楽が停滞するように感じられたと言いますか、音楽がモゴモゴとしているように感じられることもありましたが(そのように感じられたのは、共通して、細かな音が力強い打鍵で打ち鳴らされる箇所)、それは、ほんの僅かな例外。総じて、自然な息吹きを感じさせられる音楽が奏で上げられていました。しかも、研ぎ澄まされた感性に裏打ちされながら。そして、ハッと息を飲むような美しさを湛えた箇所も、随所に現れていた。
そのような中で、≪ベルガマスク≫組曲の「月の光」での、ポツリポツリと一言一言呟くような演奏ぶりが、深く心に染み入ったものでした。その「月の光」も、左手がアルペジオを奏でだすと、音楽は滑らかに流れ始めた。
そして、シューベルトの第13番ソナタの最終楽章でのワルツのリズムの、なんとチャーミングだったこと。音楽が嬉々として弾んでいるというよりも、愁いを帯びて弾んでいたところが、いかにもピリスらしいところ。この演奏を聴いていると、ショパンのワルツとの近似性が感じられたものでした。
続きましては、後半のシューベルトの第21番ソナタについてであります。
この演奏について語るのは、非常に難しいように思えます。聴いている間じゅう、特に、第1,2楽章において、これは本当に音楽なのだろうか、と思えてなりませんでした。今日聴いた第21番の演奏を、敢えて一言で表すならば、「怖い演奏だった」と言えそう。
何が怖かったかと言えば、音楽に死神が宿っているように思えたのであります。このシューベルトの最後のピアノソナタは、シューベルトがこの世を去る数ヶ月前に、死の予感の中で書き上げた作品。そのことが頭によぎりながら聴いていただけに、「死神が宿っている」と感じたのでありました。しかしながら、このソナタを聴いていて、このようなことを発想したのは、初めてのことであります。
特に、第1楽章の主題提示部が終わろうとしている箇所は、「月の光」で聞かれたポツリポツリとした呟きが更に強くなっていて、音楽の体を成していなかったと言えそう。音楽を形作る構造体(すなわち、一つ一つのフレーズ)が、断片的にポツリポツリと提示されていた。それはあたかも、死神の呟きを聞いていたかのようでした。そして、ここの箇所に限らず、総じて、妖しい光をまとった演奏であったと感じられたものでした。それは、「妖艶」に繋がる妖しさではなく、「妖怪」に繋がる妖しさ。
ちなみに、前半の第13番も、後半の第21番も、シューベルトのピアノソナタでは、主題提示部でのリピートは、全て敢行されていました。そのために、第21番のリピート前で感じられた「音楽の体を成していない」状態から、突如、冒頭の清冽な流れに戻った際には、眩暈を覚えたような感覚に捕らわれたものでした。
また、第1楽章では、しばしば、低音でトリルが鳴らされるのですが、それはまるで、うめき声を聞いていたようにも思えた。
そのようなピリスによる第21番に、完全に打ちのめされたといった状態でありました。頭を垂れて、音楽を聴いていました。そして、しばしば溜め息をついてしまいました。
なんと深淵な音楽だったことだろうか。そんな風にも書けるのでしょうが、「深淵」という言葉では収まり切れない演奏であったと思います。そのようなこともあって、語るのが難しい。なるほど、ピリスならではの、澄み切った空気に覆われた演奏だったのですが、そのような空気感とは異なった、妖しい音楽世界(それは、先ほど書いた種類の妖しさ)に包まれた演奏だったと言えそうなのです。
異形の音楽が、ここにはあった。
第3楽章以降は、音楽に動きが出てきて、息苦しさは軽くなりました。とは言いましても、プログラム前半の2曲と同様に、ハッと息を飲む瞬間があちらこちらに現れて、その都度、深い淵を覗き込むような思いに駆られた。
いやはや、素晴らしいなどといったことを遥かに突き抜けた感銘を与えてくれた演奏でありました。それはもう、「怖さ」を感じるほどの凄さを宿していた演奏でありました。そして、音楽が、このような世界を描き出すことが可能なのだということに、驚きを覚えた演奏でありました。
そのうえで、心が浄化されるような思いを抱かせてくれた演奏でありました。
ピリス、1944年生まれということで、78歳になられていることになります。思いのほか高齢でありますが、舞台姿を見ていると、矍鑠とされていました。
(但し、シューベルトの第13番ソナタで時おり感じられた「細かな音が力強い打鍵で打ち鳴らされる箇所での停滞感」は、年齢から来るものだったのかもしれません。)
これから先も、ピリスの実演に接する機会は訪れるでしょうか。そのことが叶ったときには、次は、どのような音楽世界を見させてくれることでありましょうか。