大友直人さん&大阪フィル&上原彩子さんによる演奏会を聴いて

昨日(10/26)は、大友直人さん&大阪フィルの演奏会を聴いてきました。
演目は、下記の2曲。
●ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番(独奏:上原彩子さん)
●ベートーヴェン ≪英雄≫

大友さんの実演に接するのは、昨年の9月の京響とのサン=サーンス・プロ、今年の7月の同じく京響シベリウスとヴォーン=ウィリアムズに次いで、これが3回目。ドイツ物を聴くのは、初めてになります。
過去の2回とも、音楽を手堅く纏めながら、折り目が正しくて清潔感を漂わせつつ、充分なる生命力を宿した演奏を繰り広げてくれていて、大満足。この日のベートーヴェンでは、どのような演奏を聞かせてくれるのか、なんとも楽しみでありました。

加えまして、ソリストの上原彩子さんにも期待を寄せていました。彼女の実演を聴くのは2回目。最初に聴いたのは、2012年の9月でしたので、ちょうど10年ぶりとなります。
その、最初の演奏会はと言いますと、小林研一郎さん&東京フィルによる、東京の春日シビックセンターで開催されていた「響きの森」シリーズでのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。当初は、ユンディ・リが独奏を務めることになっていたのですが、東日本大震災での原発事故による放射能問題で、中国政府がユンディの日本行きの許可を出さずに(地震発生から1年半が経過していたにも拘らず!!)、来日できなくなり、その代役として上原さんが出演したのでした。チケット代の半分くらいが戻ってきて、「この分が、ユンディのギャラだったのか!!」とビックリしたものでした。
しかも、上原さんのダイナミックで、かつ、感興豊かな演奏ぶりに、再度ビックリ。チケット代の半分が返ってきた上に、こんなにも素晴らしい演奏に出会えたとは、なんとラッキーなことなのだろうと、ほくそ笑んだものでした。
その後、何枚かのCDを聴いたのですが、そこでも、力感に富んだ演奏を聞かせてくれていた上原さん。この日のベートーヴェンでは、どのような演奏を繰り広げてくれるのか、とても楽しみでありました。演目が短調作品の第3番というところがまた、エモーショナルな演奏を繰り広げてくれる上原さんに合っていそうで、より一層、期待が膨らんだものでした。

実際に聴いてみますと、それは、期待を上回る素晴らしい演奏でありました。それでは、まずは、前半のピアノ協奏曲から。
まずもって、上原さんによるピアノが、惚れ惚れするほどに素晴らしかった。それはもう、第3番を、これ以上、魅力的に奏で上げることは不可能なのではないだろうか、と思えるほどに。
基本的には、強靭で、意志の強い音楽で、作品を描き上げていった上原さん。力感に富んでいて、勇壮で、骨太な音楽を鳴り響かせてくれていた。気風が良くて、曖昧な表現が微塵もない。天馬空を行くといったふうの、自在感に溢れてもいた。しかも、この作品ならではのエモーショナルな性格も充分。濃厚で、陶酔感がタップリ。
それでいて、曲想が軽やかになると、音が嬉々として跳び跳ね始める。基本的には、タッチは硬質なのですが、そのような場面では、必要十分にまろやかさやしなやかさを帯びてくる。
更には、第2楽章の冒頭のモノローグは、音の粒をクッキリとさせつつも、詩情豊かに歌い上げる。そこには、寂寥感はない。血が通っていて、情感が豊かで、ある種の骨太感があって、それでもやはり詩情性に不足のない音楽が奏で上げられていた。上原さんの、演奏者としての引き出しの多さが、如実に現れている場面となっていました。
大友さんの演奏ぶりがまた、清潔にして、作品の性格を充実感タップリに描き上げてゆく、というスタイル。力み返ったような素振りは皆無であるのに、充分に壮大でありました。大フィルも、まろやかな響きで、素敵にピアノを包み込む。
「あぁ、なんて素晴らしい曲なのだろう」との思いを噛み締め、幸福感に浸りながら、聴き入ったものでした。
なお、アンコールは無し。上原さん、協奏曲での演奏に、全てを出し尽くしたのでしょう。

ピアノ協奏曲での大友さんと大フィルの素晴らしさから、≪英雄≫も大いに共感できる演奏になるだろうと予想したのですが、その予想は、見事に的中。大友さんの豊かな音楽性や、誠実な人間性や、といったものが、クッキリと刻まれていた演奏となっていました。
一言で表現するならば、何の変哲もない≪英雄≫だった、と言えそう。しかしながら、ここには、実直なまでに、ベートーヴェンが書き上げた音楽を、ありのままに奏で上げよう、という意志が貫かれていたように思えてならなかった。その結果として現れてきた音楽の、なんと充実していたことか。
刺激を求めても、全く見当たらない演奏でありました。その代わりに、この作品の実像と呼べるようなものが、確固とした姿で屹立している演奏となっていた、と言いたい。と言いつつも、大袈裟な音楽表現が施されていた訳ではありません。毅然としているというよりも、おおらかで、暖かみのある演奏ぶりであった。力感たっぷりで、律動感に溢れていたのですが、力任せあったり、威圧的であったり、と演奏とは一線を画すものとなっていた。しかしながら、各々の局面で、作品がどのように「運動」したいと欲しているのかを、局面ごとに、作品がどのように「エネルギー」を蓄えているのかを、十全に表してくれていた演奏でありました。
ところで、ベートーヴェンの音楽において、「運動」や「エネルギー」について考える際、fが一つなのか、それとも二つ付いているのか(すなわち、フォルティシモ)、或いは、そこにsfが付いているのか、といったことを描き分けるのは、とても重要なことだと考えています。そのことによって、その場面でのエネルギーの量や、運動における重力の度合いやが、ガラッと変わってくる。大友さんは、私が記憶している限りにおいて、その違いの全てを、愚直なまでに実行していました。第1楽章での顕著な例として、スコアのコピーも添えて、2ヶ所を挙げましょう。まずは、fとffの違いが現れる箇所として、再現部(練習番号:M)に戻ってくる直前の4小節間。ホルンが第1主題の断片を2小節間ppで吹いたのちに、全奏でまずはfで鳴らされた(396小節目)あと、すぐ次の小節ではエネルギーを一気に開放させるべくffで鳴らすように指示されています。そのことによって、音楽は大きな劇性を得ることとなる。次いで、sfが付いている例の特徴的な箇所として、53,54小節目を挙げたい。それ以前にも、同じ音型をpでまろやかに奏でてゆくのだが、この2小節間のみ、pの音量でsfが付いていて、音楽にスピード感が与えられる。大友さんは逐次、ベートーヴェンが施したこのような描き分けを、目に見える形で(本来は、クッキリと聞き取れる形で、と書くべきなのでしょうが、ここは敢えて「目に見える形で」と書きたい)奏でていったのでした。

ここで例示した演奏上の姿勢に象徴されているように、大友さんは、それぞれの局面で、作品が持っている質感や、力感や、といったものを、正確に表現してゆく。それは、記譜されている表情に限った話ではなく、そこに込められている性格も、的確に掬い取りながら。そんなこんなによって、作品の性格が、生き生きと描かれ尽くされていた演奏になっていたと思うのであります。必要なものは全て揃っていて、不要なものは何もない、そんなふうに言える演奏だったとも言いたい。
そのうえで、息遣いは自然で伸びやか。音楽の起伏も、見事に付いている。最後の盛り上がりや、適度な切迫感の表出も、見事に嵌まっていた。

大友さん&大フィルと一緒に、≪英雄≫という作品の鼓動をシッカリと掴み取ることのできた約50分間。その中で眺めることのできた景色の、なんと魅惑的なことであったか。それは、素敵な素敵な「旅」のようでもあった。聴き終えて、感謝の気持ちが湧き上がってくるような演奏でありました。
なお、随所でヴィオラを目立たせることによって、音楽に立体感を与えたり、内声の充実を図ったり、といったことが為されていたのも、大いに好感が持てました。そして、その都度、大きく頷いたものでした。
ちなみに、第1楽章の主題提示部は、リピートをしていました。第1楽章の終結部でのトランペットによる旋律は、ベートーヴェンの楽譜に変更を施していて、トランペットにそのまま旋律を吹かせていました。大友さんの姿勢からすると、楽譜通りにタンギングさせるのかな、と思ってしまったので、この処理はちょっと意外でしたが、従来型のベートーヴェン演奏を踏襲している、ということなのでしょうね。

いずれにしましても、上原さんも、大友さんも、実に素晴らしいベートーヴェン演奏を聞かせてくれて、大いなる歓びを得ることのできた演奏会でありました。≪英雄≫に対して、「作品の鼓動をシッカリと掴み取ることのできた」と書きましたが、それは、ピアノ協奏曲第3番での演奏についても、そのまま当てはまります。
加えまして、大フィルの、まろやかで、コクのある響きが実に素晴らしかったことも、この日の演奏を、より一層魅力的なものにしてくれていました。そのような中でも特に、オーボエの、芯のシッカリとした音と、伸びやかな吹きっぷりには、ウットリとさせられっぱなしでありました。