アルミンク&兵庫芸術文化センター管による演奏会(ブルックナーの交響曲第7番 他)の最終日を聴いて

今日は、アルミンク&兵庫芸術文化センター管(通称:PACオケ)による演奏会を聴いてきました。演目は、下記の2曲。
●中川英二郎 ≪Trisense≫(トロンボーン独奏:中川英二郎さん)
●ブルックナー 交響曲第7番

アルミンクのPACオケへの登場は2022年10月以来、約2年半ぶりになります。私がアルミンクの実演に接するのも、それ以来のこと。
2003年から2013年まで新日本フィルの音楽監督を務めていたアルミンク。2010年から2015年まで東京に在住していた私は、その間、アルミンク&新日本フィルの演奏会を10回ほど聴きに行っていますが、ブルックナーは聴いていなかったのではないでしょうか。
前回のPACオケでの演奏会では、ベートーヴェンの交響曲第7番や、木嶋真優さんをソリストに迎えてのハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲や、といった演目でありました。そのときのアルミンクの演奏ぶりはと言いますと、先鋭的になったり、エキセントリックであったり、というところのない、円満なものでありました。そのうえで、充分に弾んでいて、運動性を備えてもいて、生命力に満ちた、充実感たっぷりの演奏を繰り広げてくれたものでした。
本日の、ブルックナーの交響曲第7番をメインに据えての演奏会では、どのような音楽に出会うことができるのだろうか。約2年半前の演奏会が素晴らしかっただけに、大きな期待を抱きながら、会場に向かったものでした。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことにしたいと思います。

まずは、前半のトロンボーンによる作品から。中川さんによる自作自演になります。
オリジナルは、トロンボーンとピアノのデュオのための作品で、2008年に初演されているようです。本日演奏されるオーケストラ版は、2019年の初演とのこと。様々な編成にアレンジされた版が出されているようでして、トロンボーン界でのヒット作品の一つとなっているようです。
プログラム冊子には、中川さん本人が書かれた解説文が掲載されていまして、そこには、題名の≪Trisense≫は「Tri(3つ)」と「Sense(感覚)を掛け合わせた造語だと書かれていました。作品全体を通して「3」がテーマとなっていて、全3部構成、リズムの中心を3拍子が占めている、といった造りをしているとのこと。また、ジャズとクラシックのそれぞれの良さをどこかで融合できないか、といった意図の元に作曲された作品だとも書かれていました。全3部が切れ目なく演奏される、20分ほどの作品でありました。
さて、実際に聴いてみますと、ジャズの要素はあまり感じられませんでした。第2部にカデンツァ(解説文では、即興演奏を意味するインプロヴィゼーションと表記されている)が2つ挟まれていまして、その1つ目のカデンツァの中盤以降と、あとは第3部の一部で、ジャズっぽい雰囲気が現れてきましたが、それ以外はあまりジャズ的だとは感じられなかった。
そして、旋律のはっきりとした音楽になっていました。特に、出だしは(無伴奏によるトロンボーンソロで開始された)、田園風景の中で迎えた夕暮れ、といった、どこか懐かしくて、のどかで、なおかつ、親しみの湧く旋律で描き上げられていました。とりわけ、オーケストラのパートに、そのような風情が強く感じられた。そのようなこともありまして、ス~っと、この作品の音楽世界に入り込むことができた。そのうえで、次第に、音楽に多様性がもたらされていったのであります。
さて、中川さんによる独奏はと言いますと、とてもふくよかでマイルドな音をベースにしたものとなっていて、暖かみのある演奏ぶりを披露してくれていました。響きが柔らかくて、まろやかで、それでいてハリもあって、どことなくホルンに似ていたのも、とても印象的でありました。
また、1つ目のカデンツァや、第3部に入ってすぐのところなどで、なかなかブレスを取りにくい作りになっていて、そこにテクニック上の難しさがある(解説文でも、このことが触れられていました)のですが、息苦しさの感じられない、スムーズで滑らかな演奏が展開されていたのには、流石と思わせるものがありました。
また、解説文には「リズムが非常に鋭角なので、正確にそして、細分化した拍子感を重視しています」といったことも書かれているのですが、なるほど、拍節感のシッカリとした演奏となっていて、その辺りも申し分ありませんでした。このことが、初めて接した作品でありつつも、作品の内容を理解しやすくて、その音楽世界に入り込みやすかった、ということに繋がっていたように思えます。
更に言えば、プログラム冊子には中川さんへのインタビューをもとにしたアーティスト紹介の文章が掲載されており、そこにトロンボーンの演奏に求めることは「頭に思い描く喜怒哀楽や色彩を表現することだ」と答えておられることが載っていました。なるほど聴いていますと、ここでの言葉の意味することが具現化されている音楽が鳴り響いていた、と思えてなりませんでした。そう、感情の襞が、シッカリと描き出されている作品であり、演奏であった、と感じられたのであります。
そのような中川さんのトロンボーン演奏に対して、アルミンクによるバックアップは、とても的確なものであったと思えた。クリアにして、ふくよかさも備えた演奏ぶりだったと思えたのであります。そういったことが、中川さんの演奏ぶりにマッチしていたと言えましょう。

中川さんによるアンコールは、バッハの≪G線上のアリア≫。と言いつつも、あの有名な旋律を基にして、自由にアレンジを加えたものとなっていました。もともとは含まれていない旋律が、そこらじゅうに加えられていて、ちょっとした狂詩曲、もしくは奇想曲風に仕立て上げられていた。そのようなこともあって、とても気ままな仕上がりになっていました。≪G線上のアリア≫の雰囲気から、大きく外れることもあった。即興での演奏だったのかもしれません。
その演奏はと言いますと、≪Trisense≫で、あれだけ拍節感を大事にした演奏を聞かせてくれていたのとは大きく異なって、拍節感に欠けた演奏となっていたように思えました。ひょっとしますと、それがジャズでの流儀だと言うのかもしれませんが、なんだか、バッハに失礼なようにも思えたものでした。あのような音楽を聞かせてくれるのであれば、素材を≪G線上のアリア≫に求めなくても良かったのでは、とも思えた。
しかも、その演奏内容が、リズム感のみならず、音程も不安定で、旋律の流れも含めて、なんだか迷走していたようなものだった。
≪Trisense≫での演奏には大いに感心させられたのですが、アンコールでは幻滅してしまったというのが、正直なところであります。

それでは、ここからはメインのブルックナーについて。
遅めのテンポを基調にならがら、ジックリと奏で上げてゆく、といったものでありました。ケレン味のない音楽づくりで、誠実な演奏ぶりだった。そのうえで、清澄な音楽が奏で上げられていた。その清らかさは、ブルックナーの7番に相応しい。
決して重苦しくなるようなことはない。それでいて、軽くもならない。オーケストラをシッカリと鳴りしていて、荘重でありつつも、厚ぼったくなるようなことはない。トランペットをはじめとして、金管楽器を朗々と鳴らし切っていつつも、騒々しくなるようなこともない。決してうわべを繕った演奏ぶりではないながらも、輝かしくもあった。その輝かしさは、清潔感を伴った輝かしさ、と形容できるようなものでした。
アルミンクは、風貌も含めて貴公子を思わせるような指揮者だと言えそうですが、そのような佇まいを滲ませていたブルックナーの7番だった。そんなふうにも言えそうでした。
しかも、仕上げが頗る美しかった。とりわけ、ヴァイオリンを筆頭にした弦楽器群が、頗る艷やかで、かつ、嫌味にならない煌びやかさも備えていて、惚れ惚れするほどに美しかった。コンマスは豊嶋泰嗣さん。アルミンクとは新日本フィルからの付き合いですので、豊嶋さんが抜擢されたのかもしれません。
(豊嶋さんは、PACオケのコンマス陣の一人であります。但し、呼ばれる回数は非常に少ないようです。)
本日の弦楽器群の美しさや、統制が取れていて束になって奏で上げていくといった色合いが強かったのは、豊嶋さんの功績が大きかったのではないでしょうか。
また、弦楽器群に限らずに、金管楽器群をはじめとした管楽器もまた、美しかった。先ほども書きましたが、騒々しいと感じられることは皆無でありつつも輝かしく、凛としていて、十二分にも楽器が鳴っているのに肥満体になることのない響きがしていた。
また、昨年の9月以降、注目しているホルンのトップの宇名根さんは、今日も、まろやかにして、芯のシッカリとした音を奏で上げてくれていて、感心させられました。この曲は、ホルンのトップが様々な箇所で、色んなパートとユニゾンを奏で、その時々のトーンに豊かな色合いを添えてくれます。宇名根さんは、それぞれのシーンを、頗る魅力的なものにしてくれていました。それだけに、宇名根さんによるホルンには、幾ら感謝してもし過ぎることはないと言いたい。
そんなこんなを含めて、本日のブルックナーでの演奏は、これまでに私が聴いてきたPACオケの中で、最も美しい音がしていたように思えたものでした。気品があって、格調の高い響きでもあった。そのような音がまた、ブルックナーの7番には誠に相応しかった。
アルミンクの音楽性の豊かさとオーケストラを統率する能力の高さ、それに加えてのコンマスの貢献など、さまざまな要素が相まって実現できた、魅惑的な演奏だったと思えます。
なお、ノヴァーク版が採用されていまして、第2楽章ではシンバルとトライアングルが鳴らされたのですが、そこへ持ってゆくクライマックスの築き方や、ブレンドされた響きによる演奏ぶりや、といったところでの美しさも、格別でありました。
そのような演奏ぶりによって、充実した音楽が奏で上げられていた。遅めのテンポが採られていつつも、微妙なアゴーギクの変化も付けていて、音楽の流れが平板になるようなことはなかった。一つのフレーズの中で、2つで振ったり、4つで振ったり、といったことで微妙なニュアンスの変化をオケのメンバーに伝えていたようでして、その成果が現れていたのだとも言えそう。音楽の息遣いが豊かで、かつ、自然でありました。
と、ここまでは、ベタ褒めできましたが、正直なところ、少々、テンポの遅さにじれったさが感じられました。もうほんの少し、テンポが速くても良かったのでは、と思えたのであります。特に、第2楽章において、その思いを強くした。なかなか音楽が進んでゆかない、といった印象を持ったのであります。その辺りは、ワーグナー的だと言えるのかもしれません。第2楽章は、ワーグナーの死が反映された音楽でもありますので。
とは言うものの、もうほんの少し、テンポを速めてくれて、先ほどまで書いてきたような音楽づくりを実現してくれていたならば、言うことなかった。そんな思いでいました。
とは言うものの、聴き応え十分な、見事なブルックナーだったことは間違いなかったと言いたい。
これからもアルミンクの実演に接する機会はあることでしょう。今後に出会えるであろう演奏が、とても楽しみであります。