ムター&カラヤン&ウィーン・フィルによるヴィヴァルディの≪四季≫を聴いて

ムター&カラヤン&ウィーン・フィルによるヴィヴァルディの≪四季≫(1984年録音)を聴いてみました。
レコード棚を見ていると目につき、「あぁ、このレコードも持っていたな」と懐かしみ、久しぶりに聴き直してみたのでした。

なんとも豪華な組合せによる≪四季≫でありますよね。今となっては、オーケストラも含めて、このような重量級の演奏者が顔を揃えての≪四季≫の録音は、なかなか企画に上がってこないでしょう。
なお、もともとはベルリン・フィルと録音されることとなっていたようですが、1982年に生じた、いわゆる「ザビーネ・マイヤー事件」によって、カラヤンとベルリン・フィルとが紛争していたために、ウィーン・フィルが起用された1枚であります。

手元のLPの帯には「”四季”はやっぱりカラヤン!」というキャッチコピーが掲げられています。1970年代前半に、ベルリン・フィルと、そのコンサートマスターであったシュヴァルベと録音した≪四季≫が大ヒットしたこともあっての、この謳い文句なのでありましょう。現代の感覚では、大きな違和感を覚えますよね。と言いながら、発売当初も、「それは、ちょっと違うな」と感じたものでしたが。

さて、この演奏を聴いての印象について。
やはり、と言いましょうか、厚化粧が施された、濃厚な演奏であります。響きが重厚でもある。しかしながら、聴き直す前に想像していたほどには、重苦しくない。今の感覚からすると重厚なのは間違いないのですが、そこに爽やかさが感じられもする。カラヤンならではの流麗さがある。更にそこに、オーケストラがウィーン・フィルだということによるしなやかさが加わってもいる。
ムターも、それほどまでに艶美な演奏ぶりとなっている訳ではありません。流暢であり、かつ、小気味よさが感じられもする。

何と言いましょうか、指揮者にも、オーケストラにも、独奏ヴァイオリンにも、気風の良さが感じられる演奏となっています。この組合せらしいゴージャスで勇壮な≪四季≫でありつつも、この組合せにしては、想像以上にスマートで端麗な≪四季≫となっている。
機会があれば、先入観なしに聴いてみられては如何でしょうか。きっと、「へぇ、なるほどねぇ」と思われることだろうと想像します。