セルゲイ・ハチャトゥリアン&児玉桃さんによるデュオ・リサイタル(フランクのヴァイオリンソナタ 他)の西宮公演を聴いて

今日は、兵庫県立芸術文化センターで、セルゲイ・ハチャトゥリアンと児玉桃さんによるリサイタルを聴いてきました。
演目は、下記の4曲。
●バッハ ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番
●バグダサリアン ≪狂詩曲≫
●ラヴェル ≪ツィガーヌ≫
~ 休憩 ~
●フランク ヴァイオリンソナタ

アルメニア生まれのセルゲイ・ハチャトゥリアンは、同じくアルメニア生まれで同姓の高名な作曲家、アラム・ハチャトゥリアンとは血縁関係にはありません。1985年生まれということですので、今年、41歳になる。いよいよ、円熟味を増してゆく、といった時期に差し掛かっていると言えるのではないでしょうか。
セルゲイによるヴァイオリン、これまでに音盤で幾つかの演奏を聴いていますが、感受性の豊かな演奏家だという印象を持っています。しかも、技巧にキレがあり、演奏全体のエッジがしっかりと効いている。それでいて、過度に冷酷にならずに、温もりのある音楽を奏で上げてゆく。
そんなセルゲイの実演に触れるのは、本日が初めて。実演では、どのような演奏を繰り広げてくれることになるのか、とても楽しみなところでありました。更には、演目がバッハからラヴェルにフランク、更には自国のアルメニアの作曲家も採り上げるなど、多彩な内容になっていることも、聞きものだったと言えましょう。
そのセルゲイとデュオを組む児玉桃さんは、昨年の6月にスダーン&PACオケと共演してのハイドンのピアノ協奏曲を聴いていますが、粒立ちの鮮やかな音を駆使しながら、嬉々とした表情を浮かべた音楽を鳴り響かせてくれていました。頗る小気味が良かった。ウィットに満ちてもいた。そのような演奏ぶりだっただけに、セルゲイとは相性が良さそう。
そんなこんなの、「お楽しみ」の多い、本日のリサイタルでありました。

それでは、本日のリサイタルをどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは、前半の3曲から。そのいずれもが、素晴らしい演奏でありました。
多彩な内容のプログラムとなっていると書きましたが、前半で既に、その効果や妙味やを堪能できる演奏が繰り広げていたと言いたい。
最初に置かれたバッハは、端正な演奏になっていました。特に、児玉さんによる粒立ちの鮮やかなピアノの素晴らしさに、惚れ惚れとさせられたものでした。そして、セルゲイが、艷やかな響きを伴ったヴァイオリン演奏を展開させてゆく。
そう、セルゲイによるヴァイオリンは、全ての演目において、頗る艷やかであり、甘美だった。しかも、凛としている。ピンと張り詰めた空気感を伴ってもいる。そういったことによって生まれてくる「美しさ」たるや、比類のないものだったと言いたい。セルゲイ、かなりの美音家なのであります。
両者ともに、キリリとしていながら、表情豊かで、抑揚のよく付いた演奏を繰り広げながら、奏で上げてゆくバッハ。そう、チェンバロではなく、ピアノで演奏されていることによって、エコーの効果が施されている箇所では、音量に変化を付けることができ、そのことで音楽に陰影が生まれることとなってもいた。全体的な折り目の正しさに加えて、その辺りの味わいも備わっていた、とても魅力的なバッハ演奏でありました。
続くバグダサリアンでは、艶やかでありつつ、緊張感の強さも併せ持っているセルゲイによるヴァイオリン演奏をベースにしながら、情念的な音楽が奏で上げられていた。ゆったりとしたテンポで始まり、しばらくして急速なテンポに切り替わると、音楽が断然疾駆し始める。その様が、ドラマティックだった。また、音楽が強靭なものとなってもいた。それでいて、粗っぽさは微塵もない。その後に、またテンポを落として、沈静化されながらに閉じてゆく様がまた、美しくもあった。
≪狂詩曲≫と名付けられている性格が、すなわち、エキゾチックにして、情念的で煽情的でもある性格が、よく表されていたと言いたい。また、児玉さんによる色彩感のあるピアノが、そんなセルゲイの演奏を引き立ててくれていた。
ラヴェルは、圧巻の演奏でありました。前半の無伴奏でのヴァイオリンによる独白での、緊迫感に溢れていて、かつ、強靭な音楽づくりが、グッと胸に突き刺さってくる。しかも、G線での演奏という骨太な響きが、存分に生かされていた。頗る濃密な音楽になっていた。
それとは対照的に、後半では、超絶技巧の織り込まれた音楽を、目の回るような鮮やかさで奏で上げてゆく。その様は、妖艶でもあった。狂気の漂ってくる音楽が鳴り響いていたとも言えそう。
ちなみに、セルゲイは、バッハとフランクは楽譜を見ながらの演奏でありましたが、バグダサリアンとラヴェルは、暗譜で演奏していました。この2曲、完全に手の内に収めているのでありましょう。

ここからは、メインのフランクについて。こちらも、前半と同様に素晴らしい演奏となっていました。
このソナタは、思索的な性格が支配的だと言えましょう。特に、奇数楽章において、その傾向が強い。その中で、第2楽章では激情的な音楽が展開される。また、最終楽章は、幸福感に満ちた曲調で開始されつつ、楽章が進むにつれて剛健な性格が示されてもゆく。
そんな、複雑に千変万化する音楽を、セルゲイと児玉さんのコンビは、巧みに、そして、情感豊かに奏で上げていった。しかも、音楽が散漫になるようなことは皆無。むしろ、凝縮度の高い音楽となっていました。そして、曲調の切り替わりが、頗る自然であり、そこからは必然性が感じられた。そう、フランクが、このソナタに織り込んでいった音楽世界を、見事なまでに具現化してくれていたのであります。
そのうえで、相変わらず、セルゲイの音色は、息を飲むほどに美しかった。その美しさが、ただ単に感覚的なものならずに、音楽の核心へと切り込んでゆくことに資するものとなっていた。そんなふうに言いたい。
更に言えば、奏で上げられてゆく音楽は、なんと自在感に満ちていたことでしょう。そして、豊かに息遣いていたことでしょう。しなやかでもあったことでしょう。
セルゲイは、冒頭部分を、極めて小さな音量で、儚く、かつ、慈しむように弾いていった。そこから生まれる、沈み込んでいるかのような瞑想的な雰囲気を、触れたら壊れてしまうのではないだろうかと思えるほどに繊細に奏でていた。或いは、箇所によっては、たゆたうような雰囲気や、沈鬱とした雰囲気やを、絶妙に描き上げていったのであります。そんなこんなによって、音楽が随所で揺らめくこととなっていた。しかも、全く恣意的にならない形で。それは、演奏する者も、聴く者も、心が鎮められてゆく音楽になっていたとも言いたい。
しかも、音楽の流れが極めて滑らか。そこには、真実味の高さが備わっていたとも言えそう。そして、感じ切った音楽が奏で上げられていた。であるからこそ、恣意的なものが一切感じられなかったのであります。
その一方で、音楽が一旦激してゆくと、熱いパッションが籠められた音楽が奏で上げられてゆく。しかも、キレッキレのテクニックに支えられながら。そして、艷やかで潤いのある音たちを伴いながら。緊張感の高い演奏ぶりでありつつも、音楽がスリムになるようなことはなく、むしろ骨太だと言いたくなるようなヴァイオリン演奏でもあった。
ヴァイオリン音楽の醍醐味を堪能したと共に、この作品の魅力を心ゆくまで味わうことができ、なおかつ、心にジッと沁み入る音楽に接することができた。そのような思いに浸ることのできる演奏でありました。
そんなセルゲイを支える児玉さんがまた、なんとも見事でありました。セルゲイによる音楽づくりへの反応が、機敏にして的確だったと言いたい。しかも、響きは色彩的でもあった。この辺りは、メシアンを得意にしている児玉さんの、面目躍如たるところだと言えそう。
児玉さん、セルゲイの共演者として適任だな、と思えてならなかったピアノ演奏でありました。

アンコールでも、添付写真の通り、バグダサリアンの作品が演奏されました。セルゲイ、バグダサリアンの音楽に深く傾倒しているのでしょう。また、採り上げることに、一種の使命感のようなものを抱いているのかもしれません。
こちらは、≪狂詩曲≫とは異なり、かなり鎮静した音楽となっていました。そこでの演奏ぶりは、繊細で儚いものとなっていた。
その一方で、中間部では、俄然、運動性を伴うものとなった。とは言うものの、決して激することはない。肉付きの豊かな音楽になったと言えそう。そのような音楽を、豊穣に演奏していったセルゲイ。中間部では、児玉さんの色彩感のあるピアノ演奏が、効果的でもあった。
セルゲイならではのアンコールだった。そんなふうに言えましょう。

本日のリサイタルを通じて、セルゲイ・ハチャトゥリアンというヴァイオリニスト、かなりの逸材であることを思い知らされました。類稀なる美音家であり、技巧に優れてもいて、かつ、表現の幅が広い。そして、音楽づくりに恣意的なものがなく、とても実直でもある。自分が培ってきた技術を、作品の魅力を最大限に引き出すためのみに寄与させていこう、といった意志が感じられもした。
音盤の世界だけを見れば、あまり録音に恵まれているとは言えそうにありませんが、もっともっと、注目されて然るべきヴァイオリニストだと思えてなりませんでした。