庄司紗矢香さん&カメラータ・ザルツブルクによる演奏会(モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4,5番と≪ジュピター≫)の西宮公演を聴いて

今日は、庄司紗矢香さん&カメラータ・ザルツブルクによる演奏会の西宮公演を聴いてきました。演目は、下記の3曲。
●モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第4番
●   〃   ≪ジュピター≫
― 休憩 ―
●モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番≪トルコ風≫

モーツァルトの生地で活動しているオケと、庄司紗矢香さんとの共演によるオール・モーツァルト・プロ。しかも、ヴァイオリン協奏曲を2曲披露してくれる。なんとも贅沢なプログラムであります。
なお、指揮者を置かない演奏となります。コンマスのチュピンは、クルレンツィスが結成したムジカ・エテルナの創設時のコンマスだったようで、彼がオケをリードしてゆくのだろうことが想像されました。また、庄司さんがカメラータ・ザルツブルクと共演するのは、今回が初めてとのこと。
このコンビのよる来日公演は、本日の西宮が初日のようで、これから先は、新宿文化センターで明日、来週の水曜日(6/10)にはサントリーホールで催される予定になっているようです。

さて、庄司さんに対しては、清潔感に溢れていて、几帳面な演奏を繰り広げてゆく、といった印象を持っています。ゴリゴリと弾いていったり、音楽を無理やり煽ったり、情念的な傾向を強めたり、といったようなことは皆無。なるほど、細身な音楽づくりだとも言えそうですが、可憐な表情を示すことが多い。清冽にして、端正で、抒情味を帯びており、かつ、伸びやかな音楽を奏で上げてゆく。しかも、とても明朗で、響きは楚々としていながらも必要十分に艶やかでもある。
そんな庄司さんであるだけに、モーツァルトの作品とは相性が良いのではないだろうか。きっと魅惑的なモーツァルトを聞かせてくれることだろうと期待しながら、会場に向かったものでした。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは前半の2曲から。
庄司さんによる協奏曲は、予想通りと言いましょうか、楚々とした演奏ぶりでありました。
プルトの数は3-2.5-2-2-1。小ぶりな編成なだけに、大音量のオケと渡り合う、といった要素は皆無。庄司さんは、殊更に音量が豊か、といったようなことは無さそうなため、協奏曲を弾く場合は、このくらいの小規模なオケとの共演が好ましいのではないだろうか、と思いながら聴き進んだものでした。
しかも、表情がエキセントリックになるようなことは微塵もない。スッキリとしていて、清冽なモーツァルト演奏が繰り広げられていました。とは言うものの、表情が一本調子になるようなことはなく、時にフッと息を潜めることも多く、精妙な音楽が出現することもしばしば。また、中音域での響きが思いのほか豊かで、中音域では音楽をタップリと弾き込んでゆく。そのことによって、音楽に奥行きの深さが備わることとなっていました。
とは言え、概して、繊細な音楽となっていました。これまでに庄司さんに対して抱いていた「細身の演奏ぶり」をベースにしているのだということを、再認識させられた演奏だったとも言いたい。そう、もう少し押し出しの強さがあっても良いのでは、と思えたものでした。
なお、カデンツァは庄司さんの自作だったようです。第2楽章でのカデンツァの途中に、≪フィガロの結婚≫のケルビーノによるアリアを思わせるフレーズがほんの一瞬現れたのにはハッとさせられたものでした。
オケのバックアップはと言いますと、音楽の流れに抑揚を付けることが多く、こちらもまた、単調さに陥らない工夫のようなものが感じられましたが、やはりエキセントリックになるようなことはなく、快活にして、流暢な音楽が奏で上げられていった。
ところが、≪ジュピター≫では、かなり衝撃的な音の鳴らし方が散りばめられていて、エキセントリックな音楽づくりが為されていた。こちらでは、ヴァイオリン協奏曲では編成に組み込まれていなかったティンパニが加わるのですが、乾いた音で強打することがしばしば。そのことが、エキセントリックな性格を増していたように思えたものでした。
総じて速めのテンポが採られていて、キビキビと進められてゆく。そう、疾駆感の強い音楽が奏で上げられていたのであります。贅肉を削ぎ落とした、スリムな響きをしてもいた。
この辺りにつきましては、鮮烈な音楽づくりを特徴とするクルレンツィスのもとでコンマスを務めていたチュピンがリードしていたが故だとも言えそう。極めて「今風な」モーツァルト演奏だったとも言いたい。
なお、リピートは、第1,2,4楽章とソナタ形式で書かれた楽章については、主題提示部をリピートしていました。但し、展開部と再現部に付されたリピートは実行せず。ここ最近の風潮からすれば、この措置は妥当なところだと言えましょう。もっとも、最終楽章については、展開部と再現部のリピートも敢行して欲しかった、といった思いを抱いたのですが。
そのような中で、最終楽章では、ひときわ壮麗な演奏ぶりとなっていました。活力に溢れて、推進力に富んでいた。とは言うものの、この頗るポリフォニックな音楽において、各々の声部が重層的に織り成してゆく構造といったものが、明確な形で表されているとは言い切れないものとなっていたところが、残念でありました。この辺りは、指揮者不在での演奏が負っている「弱み」なのではないでしょうか。また、恣意的に音量を操作する(例えば、ずっどフォルテで書かれている音楽であるはずなのに、部分的にピアノやメゾピアノくらいに音量を絞る)といったことも散見され、わざとらしさが感じられもした。
そのようなこともあり、≪ジュピター≫が終わった後、聴衆は大いに熱狂していた(本日の演奏会の中で、最も沸いていました)のですが、私には不満を覚えるところの多い演奏だったというのが正直なところでありました。

ここからは、メインの≪トルコ風≫についてとなります。
≪ジュピター≫でのオケ演奏を聴いた後だと、ヴァイオリン協奏曲におけるオケも、前半の第4番での演奏ぶりと大差はなかったものの、衝撃的に音を発することの多い音楽づくりだということに意識がいきがちになったものでした。なるほど、第4番でも、記譜の上では強弱の区別が為されていなくとも、強弱のコントラストを明瞭に付けようといった意図が見えた。そのことによって、音楽に目鼻立ちの鮮やかさを施してゆこう、といった狙いも見えていた。後半の≪トルコ風≫においては、そのようなことが明確に認識されることとなったのであります。
とは言いましても、≪ジュピター≫で感じたようなエキセントリックな表情、といったものに傾くことはありませんでした。それは、ティンパニが編成に含まれていない、ということとも関係しているのかもしれませんが。

(ヴァイオリン協奏曲は、2曲ともに、弦楽五部に、オーボエ2、ホルン2という編成で書かれています。)

更に言えば、庄司さんの端正な音楽づくりに攻撃を仕掛けることは慎もう、といった配慮が為されていたがためかもしれません。
そのようなオケを相手に、庄司さんは、第4番と同様に楚々とした音楽を奏で上げていった。とは言うものの、テンポの揺れや、強弱の変化や、表情の変化や、といったものは第4番でも感じられたところではあったのですが、≪トルコ風≫ではより一層、顕著になっていた。このことは、第1楽章でオケによる主題提示が終わり、いよいよ独奏ヴァイオリンが登場する、といった箇所からして、ハッキリと窺えました。テンポをガクンと落として、そっと呟くように、とてもためらいがちに独奏を開始した庄司さん。この箇所でのこのような措置は、他の多くのヴァイオリニストも施すのですが、庄司さんは、一層極端な表情付けが為されていたのであります。しかも、そのことによって、音楽が変に歪曲されるようなことはなかった。それは、庄司さんが、この箇所の音楽を完全に感じ切って演奏していたからに他ならなかったからでありましょう。そんな、思い切った登場によって、その後、冒頭のテンポに戻ってのパッセージは、より一層溌剌とした表情を帯びることとなってもいた。
かように、端正でありながらも、表現意欲の旺盛なヴァイオリン演奏だった。そんなふうに言いたい。とりわけ、最終楽章の中間部、「トルコ風」のニックネームの由来となった箇所では、本日の庄司さんによる演奏の中で、最も扇情的な音楽づくりが施されていました。実際に、髪を振り乱しながらの演奏でもあった。とは言いつつも、この中間部を絶えず扇情的に奏で上げていた訳ではありません。理性的な音楽づくりと、扇情的な音楽づくりを、局面ごとに使い分けていた。それ故に、過剰にカロリーの高い音楽になるようなことはなかった。庄司さんが、情熱的な音楽を志向するとどのようになるのか、ということを窺い知ることのできた場面でありました。
そのような「面白さ」が随所に盛り込まれた演奏ではあったものの、全体的には、やはり、押し出しの不足が感じられたものでした。デリケートな音楽だということは大いなる美点であるのは間違いないのですが、生気に満ちた音楽だったとは言い切れないところに、物足りなさを覚えたものでした。

なお、アンコールにはシューマンの作品が演奏されました。≪12の連弾曲≫という作品の中の最後のナンバーを編曲したもののようです。庄司さんが旋律を奏で、ヴァイオリンが2艇、ヴィオラが2艇、チェロが1艇、伴奏を付けるといったもの。
こちらでは、シューマンの音楽に不可欠なロマンティシズムを湛えた音楽が奏で上げられていました。ゆったりとしたテンポによる、情緒連綿たる音楽となってもいた。大言壮語するようなことは皆無で、シットリと奏で上げられてもいた。しかも、響きに潤いがあった。
庄司さんの美質がクッキリと浮かび上がってくるアンコールでありました。