尾高忠明さん&大阪フィルによる演奏会(ブラームスの≪ドイツ・レクイエム≫)の初日を聴いて

今日は、尾高忠明さん&大阪フィルによる演奏会を聴いてきました。
演目はブラームスの≪ドイツ・レクイエム≫。独唱は吉田珠代さん(ソプラノ)と青山貴さん(バリトン)でありました。
今回は、1947年の創立である前身の関西交響楽団を経て、1960年5月に改編後の大阪フィルとして第1回定期演奏会を開催して以来、第600回目を迎えた節目の定期演奏会になるようです。

尾高さん&大阪フィルのコンビは、2023年4月にヴェルディの≪レクイエム≫を、2024年9月にはベートーヴェンの≪ミサ・ソレムニス≫をと、ここ最近、宗教音楽の大作を定期演奏会で積極的に採り上げています。私個人としましては、ヴェルディでの演奏には強い感銘を受け、ベートーヴェンには失望させられた、というのが正直なところでありました。
ヴェルディでは、雄渾な演奏を展開してくれたものでした。とは言いましても、ヴェルディならではの地中海的な輝かしさが備わっていたかと言えば、少し違う。もっとユニバーサルな、そして、純音楽的な「力」を備えていたように思えたものでした。そのうえで、音楽は常に、逞しく呼吸をしていて、躍動していた。
その一方、ベートーヴェンの≪ミサ・ソレムニス≫では、ベートーヴェンが創り上げた音楽を支え切れていないような、ひ弱な音楽になっていたように感じられてならなかったのであります。
一昨年に≪ミサ・ソレムニス≫を聴いてからこれまでの間、尾高さん&大阪フィルはベートーヴェンの交響曲全曲演奏ツィクルスを催し、ケレン味のない真摯な姿勢を貫きながら、堅固にして生命力に溢れた演奏を展開してくれたものでした。それは、決して居丈高になっている訳ではないものの、確信に満ちた演奏ぶりでもあった。また、昨年11月の西宮でのオール・シベリウス・プロの演奏会では、雄渾にして、息遣いの豊かな演奏を繰り広げてくれた。その一方で、ドヴォルザークとブラームスの交響曲を採り上げた今年の2月末の枚方では、興の乗っていないかのような、生気に不足していて、潤いの乏しい演奏になっていた。
そんなこんなの、尾高さん&大阪フィルの実演体験から、本日の≪ドイツ・レクイエム≫はどのようなものになるのだろうか、ちょっと予想できかねないところでありました。期待としては、定期演奏会であるからこその、入魂の演奏であって欲しいということ。そんな思いも含めて、期待と不安の入り混じった状態で会場に向かったものでした。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

期待と不安の入り混じった思いで聴きに来た演奏会でありましたが、不安に思ったことが申し訳なかったほどに充実した演奏が繰り広げられました。
それはもう、全編を通じて、尾高さんならではの、ケレン味のない真摯な音楽が奏で上げられていた。媚びを売るようなことの一切ない、決然とした音楽が鳴り響くこととなってもいた。まずもって、その点に強く惹かれたのでありました。
テンポはやや速め。しかも、過度に感傷的になるようなことは皆無で、テンポがダレてしまうようなことは殆どなかった。それ故に、キリッとした表情を湛えた音楽が、一切弛緩することなく奏で上げられていった。この点も、私には頗る好ましかった。
しかも、音楽が「ひ弱に」響くようなことは微塵もありませんでした。確信に満ちた歩みのもと、豊かな息遣いをしていて、かつ、生命力に溢れた演奏が展開されていったのであります。
なるほど、例えば第3曲の後半でのフーガなどでは、過剰に力むようなことのないリラックスした音楽が鳴り響いていました。そう、力の抜けた演奏となっていたのであります。それでいて、力感に欠けるようなことはなかった。音楽が十分に鳴り切っていたのであります。しかも、頗る端正な佇まいを示しながら。
例えば、第6曲の中間部は、この作品の中で最もドラマティックでエネルギッシュな場面だと言えましょう。その箇所でもまた、尾高さんは過度に騒ぎ立てるようなことはしていなかった。なるほど、本日の演奏の中では最も力こぶの入った演奏ぶりではありながらも、単に華々しいだけの音楽になるようなことはなく、凝縮度の高い音楽を鳴り響かせてくれていたのでありました。そのうえで、この箇所以降、第6曲が閉じるまでは、輝かしい演奏が展開され、壮麗な音楽が鳴り響いていった。その様がまた、なんとも見事でありました。
また、第2曲において顕著だったように、厳粛な雰囲気にも事欠かなかった。それは、尾高さんの誠実にして、堅固な音楽づくりに起因していたのだとも言いたい。或いは、第4曲では、頗る晴朗な音楽が奏で上げられていた。それは、このナンバーで描かれている、「天国の幸福」に相応しいものだった。
そして、これは第1曲から顕著だったのですが、全編を通じて清澄な音楽が鳴り響いていた。それでいて、暖かみを湛えてもいた。それらは、尾高さんの清潔感に溢れた人間性の反映なのであり、かつ、音楽への誠実さの現れでもあったのでありましょう。この、清澄でいて暖かみを湛えていて、しかも、生命力にも不足がなく、音楽が美しいフォルムを保っていた、ということが、本日の演奏において、私の琴線に最も響いた点だったのであります。
かように、尾高さんの音楽性の豊かさや、音楽への誠実さや、的確な手腕や、といったものが滲み出ていた演奏だったと言いたいのですが、そのような尾高さんの音楽づくりを力強く支えていたのが、大阪フィルハーモニー合唱団だったと言いたい。時に清澄に、時に力強く、時に柔らかみを湛えながらと、柔軟性に満ちていて、充実度が高くて、かつ、緻密な合唱を、聞かせてくれていたのであります。そのことによって、尾高さんのこの作品へのアプローチを、見事に血肉を与えてくれていたと言いたい。
なお、この作品の合唱パートは、実に重要度が高い。そう言えば、2018年のゴールデンウィークにドレスデンを訪れた際、ティーレマン&シュターツカペレ・ドレスデンによる≪ドイツ・レクイエム≫を聴いたのも、ドレスデン国立歌劇場合唱団の創立200周年を記念した演奏会でのことでした。合唱含みで記念の演奏会を催すに当たって、≪ドイツ・レクイエム≫は格好の作品なのかもしれません。(特に、ドイツの楽団においては、殊更のことなのでありましょう。)
大阪フィルもまた、献身的な演奏ぶりで応えてくれていて見事。とりわけ、ティンパニが、合唱をも含めて、音楽全体を安定感タップリに支えてくれていたことに、感心させられたものでした。
また、独唱陣も、清澄な歌を繰り広げてくれた吉田さん、深々としていて朗々としていて、そのうえで、伸びやかでもある歌を披露してくれた青山さんと、こちらも立派なものでありました。特に、青山さんによる歌に、強く惹かれたものでした。
そんなこんなによる、格調が高くて、聴き応え十分な、素晴らしい≪ドイツ・レクイエム≫でありました。