ロームシアター京都で務川慧悟さんによるピアノリサイタル~パリ音楽万華鏡~を聴いて

今日は、ロームシアター京都で務川慧悟さんのピアノリサイタルを聴いてきました。
演目につきましては、お手数ですが、添付写真をご参照ください。

このリサイタルは、今日と明日の2日間、ロームシアター京都で開催されるローム・ミュージック・フェスティバル2026として開催される演奏会の一つ。
このフェスティバルは、音楽ファンの拡大を図ることを目的に2016年に始まり、10回目の節目を迎えます。公益財団法人ローム・ミュージック・ファンデーションが奨学援助等で支援している演奏家が集まって、2日の間にブラスアンサンブル、室内楽、ピアノリサイタル、オーケストラコンサートと、4つの有料演奏会が組まれており、それ以外にも、野外ステージで畿内の4つの高校の吹奏楽部の演奏が披露される。
そのうち、私は、この務川さんによるリサイタルと、明日催されるオーケストラコンサートを聴くことにしたのでした。
務川さんの演奏は、先月、鈴木秀美さん&神戸市室内管とのベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番で初めて聴いたのですが、そこでの、デリケートで、かつ、可憐な音楽づくりに強く惹かれたものでした。弱音を主体にしながら、儚げな音楽を紡ぎ上げていたのですが、それでいて、か弱い音楽になっていたり、神経質な音楽になっていたり、といったことは皆無だった。もっと言えば、押しつけがましさは微塵もなくて、奥床しいと言おうか、上品で雅趣に溢れた音楽が奏で上げられていった。その演奏からは、感受性の豊かさが滲み出ていたものでした。
そんな務川さんが、フランスの作曲家による作品を主体にしながら、パリにゆかりのある作曲家も加えた演目を披露する。「パリ音楽万華鏡」と副題の付けられた、なんともオシャレなプログラムとなっています。ちなみに、務川さんは、ローム奨学生としてパリに留学されたそうです。
(更に言えば、リサイタルの途中、冒頭に据えられたプーランクの≪フランス組曲≫の演奏が終わったのちに挟まれたトークによると、留学してから現在まで、そのままずっとパリに住んでおられるとのことでした。今回も、2日前にパリから移動してきたとのこと。)
そんな務川さんによる本日のリサイタル、きっと、瀟洒にして、夢見るような音楽が奏で上げられるのではないだろうか。そんな期待を抱きながら、会場に向かったものでした。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

前半のプログラムの中では、ショパンの≪バラード≫第4番が圧倒的に素晴らしかった。
詩情に溢れていて、かつ、繊細で、物憂い表情に満ちた演奏が繰り広げられたものでした。それでいて、終結部での激情的な表現も含めて、しばしば顔を見せる激した表情も、頗る強靭であり、切迫感に満ちた音楽となっていた。しかも、柔らかなタッチから、硬めのタッチまで、その幅が非常に広く、かつ、精妙な表情を見せた場合には、息をハッと飲むほどの美しさを湛えていた。
務川さん、ただ単に、繊細で可憐な音楽づくりにのみ傾倒してゆくピアニストではないのだ、ということを痛感させられた演奏となっていました。そのうえで、基本的には、頗る詩情豊かな音楽が鳴り響くこととなっていた。
そんな、多彩な魅力を湛えながら、情趣深さを湛えた演奏で、前半が締めくくられたのでありました。
とは言うものの、そのショパン以外は、正直、ちょっと期待外れでありました。例えば、≪道化師の朝の歌≫の後半部分などでは、音楽が渦巻いていたりはしたのですが、概して、音楽が生き生きとしていない。なんと言いましょうか、硬直しているように思えた。特に、冒頭のプーランクや、次の≪亡き王女のためのパヴァーヌ≫では、訥々と語られ過ぎていて、音楽に膨らみが感じらなかった。サティの≪ピカデリー≫でも、この作品に相応しい陽気な雰囲気は充分に出ていたものの、音楽が存分に弾んでいたかと言うと、決してそうとは言い切れないものだったように思われた。そして、前半の多くの演目からは、これらの作品に備わっていて欲しい洒落っ気が、あまり感じられなかった。
全体を通じて、興に乗っていないといった感じを受けもした。
(途中に挟まれたトークでは、ひどい時差状態だと仰っていました。今日、起床したのは13時頃。そして、リサイタルが始まった17時は、パリ時間では午前10時。パリでは、午前10時からピアノの練習を開始している、と説明されていました。)
後半になると、興が乗ってくるだろうか。そんなふうに期待しながら、休憩時間を過ごしたものでした。
ここからは、後半について。
前半に比べると、音楽にまろやかさが加わったように思えました。すなわち、あまり硬直した演奏になっていなくて、しなやかさが感じられた。ニュアンスが多彩になった。その中でも特に、柔らかみを帯びたタッチが、大きな威力を発揮することが多くなった。
とりわけ、≪水の戯れ≫や≪クープランの墓≫の第1曲目において、上記のことが強く感じられたものでした。≪水の戯れ≫での水の描写などでは、眩いまでの光沢が感じられたものでした。また、≪クープランの墓≫の終曲では、煌びやかなピアニズムが迸り出ていて、目が眩むようだった。
その一方で、平野真由さん(フランスに軸足を置いて活動されている作曲家)の作品では、前半のショパンの≪バラード≫第4番と同様に、強靭な音楽づくりが為されてもいた。
なお、作曲者の平野真由さん、会場に来られていたようです。この曲の演奏が終わったのちに、務川さんは、平野さんが座っていたと思われるホールの一角に手を差し伸べておられました。作曲者が立ち合っておられたということが、この曲での演奏を、集中力の高いものにしてくれていたようにも思えたものでした。
後半での演奏は、おしなべて前半に比べると興が乗ってきたようでしたし、しかも、後半の中で見ても、プログラムが進めば進むほどに、音楽が活気を帯びてきて、表現に柔軟性が備わってきたように感じられました。今日だけのことかもしれません(それは、体調などの要因もあって)が、務川さん、スロースターターと言いましょうか、演奏を進めながら気持ちを高めてゆく、といった傾向が強いのかもしれません。
なお、アンコールはショパンの≪英雄ポロネーズ≫。
この作品は、思いっ切り華麗に奏で上げてゆく、といったことも可能でありましょうが、務川さんの演奏は、そのような方向を追求するものではありませんでした。なるほど、強靭さに不足するようなことはなかったものの、その一方で、慈しみを持って奏で上げようとしていた。そんなふうに思えたものでした。特に、中間部の後半部分などでは、実にデリケートな音楽が鳴り響いていた。
務川さんの音楽性の一端がハッキリと現れていた、とても興味深い≪英雄ポロネーズ≫でありました。






