下野竜也さん&大阪フィルによる演奏会(バルトークの≪青ひげ公の城≫ 他)の第2日目を聴いて

今日は、下野竜也さん&大阪フィルによる演奏会の第2日目を聴いてきました。下野さん&大阪フィルのコンビを聴くのは、これが初めてであります。
演目は、下記の3曲。
●大栗裕 管弦楽のための≪神話≫
●小山清茂 管弦楽のための鄙歌 第2番
●バルトーク ≪青ひげ公の城≫
青ひげ公:宮本 益光さん(バリトン)、ユディット:石橋 栄実(ソプラノ)
前半には邦人作品を2つ並べ、メインに≪青ひげ公の城≫を持ってくるという、なんとも意欲的なプログラムとなっています。民族色が濃くて、土俗的な性格を持った作品をラインナップさせた、といった意図が感じられもします。
そのような演目を、下野さんがどのように聞かせてくれるのだろうか。音楽への誠実さをベースにして、大袈裟な表現を排しながらも、生命力豊かな音楽を奏で上げてくれるのではないだろうか。そして、作品が望んでいる姿を、十全な形で示してくれることだろう。そんなふうに想像したものでした。
また、≪青ひげ公の城≫での2人の独唱者が、精妙にして性格的な歌唱を繰り広げてくれるだろうか。こちらもまた、とても気になるところでありました。
宮本さんを聴くのは初めてのはずですが、石橋さんの実演には2度ほど触れたことがあります。そこでは、キュートな歌を聞かせてくれるソプラノ、といった印象を受けました。その歌の質感は、ユディットという役からは遠いものだと思えた。その一方で、ユディットの純真さが際立つのではないだろうかとも予想されたものでした。はたして、どのようなユディットになるのでしょうか。
なお、≪青ひげ公の城≫の実演に触れるのは、2000年11月に新国立劇場の中ホールで上演された公演以来で2回目になります。それは、飯守泰次郎さんによる指揮、ゲッツ・フリードリヒによる演出、という公演でありました。本日は演奏会形式による上演ですが、この陰影の濃い異色の傑作オペラに触れることができることが、楽しみでなりませんでした。一筋縄ではいかない、このオペラ。このオペラ特有の色合いを下野さんがどのように出してゆくのかというところも、注目していたものでした。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは、前半の邦人2曲について。
なんとも楽しかった。それは、作品についても、演奏についても当てはまります。両曲とも初めて聴いた作品なのですが、民族性に富んだ音楽になっていて、「日本人の血に訴えかけてくる音楽」だったと言えるのではないでしょうか。
そのような中でも、前プロの大栗裕の作品は、途中に3+3+2+2拍子で景気よく奏で上げられる箇所があったのですが、そこではバーンスタイルの作品のような躍動感(それは例えば、≪ウェストサイド・ストーリー≫などで見受けられるもの)を備えたものになっていました。下野さんがまた、その箇所をノリノリで快活に奏で上げていって、なんとも痛快な音楽が鳴り響いていたものでした。
大栗裕は大阪生まれで、大阪にちなんだ作品を幾つか作曲しています。それらを、朝比奈さん&大フィルがよく演奏会で採り上げていたようでして、本日の作品のオケ版(原曲は、吹奏楽のための作品だそうです)も、朝比奈さん&大フィルが初演したよう。このオケにとって大栗裕の作品は、とても大切な存在になっているのでしょう。大フィルが、感興豊かに演奏していったものでありました。
そのような大フィルをドライブする下野さんがまた、活力に溢れた音楽づくりで生命力豊かに奏で上げていき、なんとも見事でありました。
似たようなことが中プロの小山清茂の作品にも当てはまる。こちらは、4つの場面に分かれていて、より多彩な音楽世界の広がる作品になっており、抒情性の豊かさや、情感の濃やかさといったものが、ふんだんに織り込まれていました。とりわけ、第4曲目の「豊年踊り」が最も土俗性が高かったと言えましょう。
なお、4つの場面は明確に分かれているのですが、アタッカで次のナンバーになだれ込み、そのことによって、全体が切れ目なく演奏されていきました。
全曲を通じて、打楽器群が大活躍し、それが誠に効果的だったことも目を引きました。演奏後の下野さんは、まずは打楽器奏者を立たせたほど。そのことがまた、「血の騒ぐ」音楽といった様相を、より強めていたように思えたものでした。
この2曲での演奏は、ここのところの下野さんの演奏から滲み出てくる「生命力豊かな音楽を奏で上げてゆく」といった音楽づくりが、ハッキリと感じ取れるものとなっていました。大満足で休憩を迎え、かつ、メインの≪青ひげ公の城≫への期待が、更に高まったものでした。
ここからは、メインの≪青ひげ公の城≫について。それはもう、破格の素晴らしさでした。
その最大の功労者は下野さんだと言えましょう。このオペラが宿している暗鬱とした性格から、輝かしさまで、実に生き生きと描き上げてくれていました。音楽が随所で蠢き、また、うめき声を立てたりするのですが、そのような表情もクッキリと描かれていった。浮遊感を伴う箇所であっても、無気力に響くようなことは皆無でありました。全体を通じて、生命力豊かで、彫琢が深く、かつ、精妙な音楽を奏で上げてくれていたのであります。とても鮮烈でもあった。とは言うものの、大袈裟な音楽づくりが為されるようなことは一切なく、コケ脅しなところも全く感じらなかった。
テンポは概して速めだったでしょうか。そのために、音楽が停滞したり、弛緩したり、といったことは皆無。滑らかに音楽が進められていった。しかも、息遣いが頗る豊か。作品の歩みや息遣いに合わせて、音楽が絶妙に伸縮してゆく。そのために、速めテンポが採られていても、サバサバと流れてゆくようなことは微塵もない。そう、豊かに呼吸していたのであります。そのうえで、音楽が逞しく息づいていた。
そのような音楽づくりであっただけに、暗鬱でありつつも、陰惨な雰囲気が漂わない。苦悩や、葛藤や、青ひげ公とユディットの互いを思いやる優しさや配慮や、自分の欲求を貫く意志の強さや、といったものが、クッキリと表されてゆく音楽になっていた。しかも、聴き手に息をつかせずに、グイグイと引っ張ってゆく力の強い演奏になっていた。そう、実に緊張感の強い演奏が繰り広げられていたのであります。
舞台は、ほぼ全曲を通じて仄かな明かりを付けた状態で演奏されていきました。オケのメンバーは、個々の譜面台にライトを付けて、その明かりを頼りに楽譜を読んでいたのであります。但し、劇が進行してゆく内容に則して、舞台の壁を、赤い照明だったり、青白い照明だったり、青い照明だったり、緑色の照明だったりが照らす、といった演出が施されていました。そのために、演奏会形式による上演でありながら、聴き手をこのオペラの世界に迷い込ませるような仕掛けを施していたのであります。そして、最も輝かしい場面であります第5の扉を開けて(このオペラでは7つの扉が開けられてゆきます)青ひげ公の広大な領土が眼前に広がる場面のみ、舞台上の照明が煌々と照らされた。ここでは、舞台上で待機していたトランペットが4人、トロンボーンが4人の別働隊も演奏に加わり、壮麗な音楽が鳴り響くのですが、下野さん&大フィルによる演奏の輝かしさを照明による効果が後押しする格好になっていて、身震いするほどに感動的でありました。
なお、演奏が始まる前は指揮者とオケのみが舞台上に陣取っていて、おもむろに吟遊詩人が舞台に現れて朗読を始め(日本語による朗読でした)、その後に青ひげ公とユディットも舞台上に登場する、といった演出が施されていました。また、幕尻では、ユディットが退場し(それは、3人の前妻たちと共に、第7の部屋に入っていったことを表していたに違いありません)、独唱者としては青ひげ公のみが残って、エンディングを歌う、といった演出も為されていました。
さて、独唱陣でありますが、石橋さんによるユディットが圧倒的に素晴らしかった。それは、想像していた通りの、純真無垢なユディット像を打ち立てる、といったものでありました。しかも、随所に放心状態で歌う場面が出てくるのですが、その場面での、上の空で呟くように歌ってゆく素振りの、なんと迫真的なことだったでしょうか。
更には、青ひげ公を思いやる優しさと、それに抗うようにして自己の欲求を押し通す自我の強さの両面を、十全に描き切っていました。
決して声量の大きな歌手とは言い切れないでしょうが、大音量のオケに位負けしないほどの伸びのある声を響かせてくれてもいた。それがまた、なんとも立派でありました。
いやはや、なんとも見事な、そして、素敵なユディットでありました。
それに対して宮本さんは、青ひげ公を演ずるにしては声質が明る過ぎたように思えた。声が若々し過ぎるようにも思えた。低音域が、シッカリと響き切っていないようにも感じられた。そのような点で、物足りなさが感じられたものでした。
とは言うものの、押しつけがましさがなかったのが好ましかった。残虐さが薄くもあった。青ひげ公が、策士として性格付けされていなかったとも言えましょう。もっとも、青ひげ公はもともと、策士として描かれていません。ユディットが自らの意志で、青ひげ公に囚われるのであります。そうであるだけに、宮本さんの歌唱は適切だったとも言いたい。
縷々書いてきましたが、全体的に、この傑作オペラの魅力を余すことなく表現してくれた演奏だった。そんなふうに言いたい。
これほどまでの≪青ひげ公の城≫は、そうそう出会うことはできないのではないでしょうか。そのような思いを胸に、途轍もないほどの幸福感を覚えながら会場を後にしたものでした。





