びわ湖ホール・プロデュースオペラによるプッチーニの≪トゥーランドット≫の第2日目を観劇して

今日は、びわ湖ホールでプッチーニの≪トゥーランドット≫を観にきました。ダブルキャストによる2回公演で、本日はその第2日目。
指揮は2023年シーズンからびわ湖ホールの音楽監督を務めている阪哲朗さん。演出は粟國淳さんが担当されました。
なお、キャストにつきましては、お手数ですが添付写真をご参照ください。

独唱陣では、タイトルロールを歌う並河さんと、カラフを歌う福井さんの2人に、まずは注目していました。
並河さんは、3年前のボローニャ歌劇場による来日公演の≪トスカ≫で急遽代役で歌ったトスカを皮切りに、≪運命の力≫のレオノーラ、堺シティオペラでの≪蝶々夫人≫の蝶々さん、更にはヴェルディの≪レクイエム≫でのソプラノパートと、この3年間ほどで多くの歌唱に接していますが、いずれにおいても、ドラマティックで貫禄タップリでありつつも、繊細さや柔らかさも兼ね添えていて、抒情味豊かな歌を繰り広げてくれています。その延長線上で考えると、本日のトゥーランドットも、大いに期待を持てたものでした。
また、福井さんは、びわ湖オペラでのパルシファルやヴァルター(ニュルンベルクのマイスタージンガー)、アイゼンシュタイン(こうもり)、更には京響が演奏会形式で上演した≪サロメ≫でのヘロデ、また、ヴェルディの≪レクイエム≫のテノールパートなど、こちらもここ4年ほどの間に多くの実演に接することができていますが、端正で凛とした歌いぶりを示しつつ、伸びやかで輝かしい歌を繰り広げてくれていて、その都度、魅了されてきました。本日のカラフでも、きっと、素晴らしい歌を聞かせてくれることだろうと、とても楽しみでありました。
更には、リューを歌う船越さんにも期待を寄せていました。彼女の歌は、2023年9月に開催されたびわ湖ホール開場25周年記念ガラコンサートで聴いたのみですが、その際に歌われた≪運命の力≫から「神よ、平和を与えたまえ」では、清澄な響きをベースとしながら、抒情性が豊かで、かつ、滑らかな歌いぶりが披露され、大いに感心させられました。その時の歌から、リューでも見事な歌唱を繰り広げてくれることだろうと想像していたものでした。
なお、阪さんが指揮するイタリアオペラを聴くのは、今回が初めて。≪こうもり≫、≪ばらの騎士≫、≪死の都≫では、個人的には今一つ共感することのできない演奏となっていただけに、本日の≪トゥーランドット≫ではどのような演奏が繰り広げられるのか、期待と不安とが入り混じった心境で、会場に向かったものでした。

それでは、本日の公演について書いてゆくことに致しましょう。

真っ先に触れたいのは、福井さんの素晴らしさ。
凛とした歌唱スタイルでありつつ、声にハリがあり、伸びやかで輝かしい。更には、表情付けが実に細やか。例えば、第1幕での、トゥーランドットを一目見る前後での歌いぶりには、カラフの心の機微が明瞭に見えてくる歌唱となっていたのであります。すなわち、トゥーランドットを見る前は、その残酷さに対して憎悪に満ちた表情が滲んでいたにも拘らず、一旦トゥーランドットの美しさに魅了されると、熱烈にして迷いのない愛を吐露してゆく。その変化を、鮮やかに、そしてストレートな形で描いていたのであります。
しかも、充分にドラマティックなのですが、歌が肥大化するようながなく、キリッとした佇まいが示されてゆく。第1幕の幕切れの「泣くな、リュー」では、雄大な歌が繰り広げられつつ、聴く者の心情に鋭く突き刺さるような哀感を湛えてもいた。
第2幕に入ると、好調ぶりが更に増したように思えた。トゥーランドットによるアリアの後半でのカラフも歌に加わる場面などは、トゥーランドット以上に、周囲を圧する輝かしい声を響かせてくれていました。周囲を圧する熱量の大きさは、謎解きに成功した後、トゥーランドットが駄々をこねているところを制して、自らが謎掛けをする場面にも当てはまる。毅然としていて、かつ、英雄的な歌となってもいた。
更には、第3幕での「誰も寝てはならぬ」では、歌い出しがとてもリリカルで、甘美なものになっていた。これもまた、福井さんの特徴なのですよね。次第に熱を帯びてきたのですが、決して粘り気が出たり、情に流されたりしないところも、いかにも福井さんらしかった。なんとも格調高い「誰も寝てはならぬ」でありました。

その後も、毅然としていつつ、輝かしい歌を繰り広げてくれたのでした。しかも、頗る真摯であり、情熱的でもあった。トゥーランドット姫が心を開くのもむべなるかな、といったカラフとなっていたのであります。
全編を通じて、聴き手に興奮を与えるに十分であり、かつ、奥行きの深い歌いぶりだったと言いたい。凛とした表情と、輝かしさとが融合した歌いぶりによるカラフ。日本人歌手によるカラフとしては、最上級の出来栄えだったと言えるのではないでしょうか。
次いで感心させられたのは、リューを歌った船越さんでありました。
清潔感に溢れていながら、拡がり感のある歌を繰り広げてくれていました。繊細にして、とても柔らかな声質なのですが、過剰にならない範囲で貫禄が感じられもした。それは、巧まざる形で滲み出てくる貫禄といったもので、女奴隷としての範囲を超えない慎ましい貫禄だったとも言えそう。更には、無垢にして、澄み切った詩情が描き上げられていった。そんなこんなが、ガラで聴いた「神よ、平和を与えたまえ」の延長線上にある歌唱だったのであります。
しかも、歌いぶりが頗る端正で、丹念でもあった。柔軟性の高い歌いぶりでもあった。例えば、第1幕でのアリアの「お聞きください、王子さま」での最後、弱音で高音域へ上がってゆく箇所では、歌がピシッと決まっていて、リリカルな美しさを湛えていた。また、第3幕でのリューの死の場面では、決然とした意志の強さが滲み出ていた。
ガラの際、テバルディの系統と言えるような歌手だなと感じられたのですが、本日のリューで、その思いを更に強くしたものでした。そのようなことも含めて、なんとも魅力的なリューでありました。
続きましては、トゥーランドットを歌った並河さんについて。この難役に対して、健闘していたと言いたい。
特に本日のトゥーランドットで感銘を受けたのは、繊細で、柔らかさや優しさを前面に押し出す歌唱を繰り広げるシーンでありました。それ最たる場面は、第2幕で初めて登場したばかりの箇所、皇女ロウリンにまつわる話しを語る場面でありましょう。物腰の柔らかさが感じられ、トゥーランドット姫はただ単に残忍な性格を有しているのではなく、苦悩を抱えた皇女であることが実感されたものでした。また、第3幕で、リューが発した「愛」の言葉を受けて「愛」という言葉を漏らすシーンでは、優しさが滲み出ていた。
その一方で、ドラマティックな箇所においても、ある程度の美感を保った歌を繰り広げてくれていました。そう、それは「ある程度」であり、時に歌が破綻してしまいそうになることもあったのです。また、強い声で高音域を歌わなければならない箇所で、音程が上がりきっていないこともあった。時に、弱めの声で高音を当てて、それから声の強さを増してゆく、といった手段を採ることもあった(この方法は、頗る効果的だと思えたものでした)。そのような歌いぶりに接するにつけ、この役の難しさが益々感じられたものでもありました。
とは言うものの、総じて、繊細で、かつ、恰幅の良い歌いぶりでありました。第3幕の幕切れでは、ドラマティックで豊麗な歌を披露してくれた。それは、このオペラのエンディングに相応しいものでありました。
また、ティムールに扮した西田さんも、適度に深々としていて、充分に貫禄が感じられました。リューに対する慈愛の深さ、といったものがシッカリと感じられる歌でもあった。
更には、アルトゥムに扮した林さんは、年老いた役であるが故の「ヨボヨボ感」が適切に出されていつつも、時折、皇帝としての威厳や、カラフを諭す際での意志の強さのようなものを滲ませる様子が堂に入っていて、味のある歌となっていました。
独唱陣について触れるのはこれを最後にしようと思います。ピン・ポン・パンの3人、縦横無尽な歌を展開してくれていて、聴き応え十分でありました。生気に満ちていた。実在感が高くもあった。このような役が良い出来栄えだと、オペラが引き締まります。
かように、充実度の高い独唱陣でありましたが、更には、合唱が実に立派でありました。響きが分厚くて、力強くて、燦然たる輝きを放っていた。雄渾という言葉がピッタリであり、このオペラが備えている雄大さを描き上げることに、大いに貢献してもいた。それはもう、惚れ惚れするほどに見事な合唱でありました。

さて、ここからは阪さんによる指揮についてであります。
ダイナミックな音楽づくりが為されていました。オペラティックな感興にも不足がなかった。そう、これまでに聴いてきた阪さんによるオペラでは、オペラティックな感興に乏しかったように思えて仕方がなく、そのために、目の前で繰り広げられているオペラの世界に没入しづらい、といった不満を抱いていたのですが、そのようなことが今日は殆どありませんでした。
冒頭などは、なんともおどろおどろしい音楽になってもいて、阪さんの気概の大きさが感じられたものでした。その一方で、その直後での役人による歌の箇所では、切れ味が不足していて、やや貧弱になっていたのですが、それ以降は、輝かしい音楽を奏で上げてくれたものでした。
ちなみに、前述の役人による歌は、第2幕でも、カラフが謎解きに臨む前でも再び現れるのですが、そこでは、切れ味の不足や貧弱さが感じられる、といったものにはなっていなかった。第2幕で、真打とも言えるカラフとの対比を考慮して、第1幕では切れ味を控えめにしたのでしょうか。そんなふうに推察したものでした。
また、第2幕の前半で繰り広げられるピン・ポン・パンによる三重唱では、軽妙さがシッカリと表されてもいた。そういった面での多様性も十分な演奏ぶりだったと言いたい。
その一方で、第2幕をファンファーレ風の音楽で締める箇所では、一つ一つのフレーズを遅いテンポでタップリと奏でていったのですが、それがダメ押しに次ぐダメ押しが繰り返された、といったふうになっていて、あまりに芝居じみており、勿体ぶった感じになっており、阪さんの音楽センスを疑ったものでした。そんなふうに演奏したくなることを理解しつつも、ちょっと浅はかかな、とも思えたのでした。個人的には、もっと毅然と音楽を奏で上げて欲しいと思えたものでした。
とは言うものの、第3幕の幕切れでは、壮麗で輝かしいエンディングが形成されていて、感心させられました。もうこうなると、芝居じみているなどと言えません。そもそも、これはれっきとした「お芝居」なのでありますし。
なお、阪さん、アインザッツを出す際に相手に目線を送らない「愛のないアインザッツ」を繰り出すことが多い、といった印象を持っていたのですが、本日は、そのようなことは少なかったようでした。そのことが、血の通っているオペラティックな演奏に繋がったのでは、というのは言い過ぎでありましょうか。
なお、第1幕でのリューによるアリアの後、間合いを空けなかったのは、疑問でありました。船越さんによる歌いぶりが見事であっただけに、余計に疑問に感じられてならなかった。ここは、シッカリと間合いを取って、歌手が聴衆からの喝采を受ける機会を設けるべきでありましょう。ひょっとすると、阪さんは歌手に対するリスペクトが低いのだろうか。そんなふうに勘ぐりもしたものでした。
それに反して、と言いましょうか、リューの死の後に一旦幕を下ろし、20秒ほどの(正確に時間を計った訳ではありません)、決して短いとは言えない間合いが空けられました。プッチーニは、ここから先を完成させることなく世を去り、アルファーノが補筆した訳ですので、その区切りを明確にするために間合いを空けたのだろうと推察したものでした。(ほんの僅かな、舞台の転換も施されていましたが。)
但し、そのことによって、音楽が明らかに断絶された。この間合いは、無くもがなと思えたものでした。
阪さんによる指揮について色々と書いてきましたが、本日の≪トゥーランドット≫が聴き応え十分なものにしてくれた功績の多くを、阪さんが負っていたように思えます。とは言うものの、全面的に賛同するものでもありませんでした。
これまでに接してきた阪さんによるオペラ演奏は、納得できない面が多かったがため、本日を向かえた時点で、私の中での阪さんへの点数付けはマイナスでありました。この≪トゥーランドット≫が、私にとって最初の阪さんによるオペラ体験であれば、ここで大々的に賛辞を述べることになったのでしょうが、マイナスからのスタートだったが故に、まだその分を取り返し切れていない、といったところが正直なところであります。

さて、最後に演出についてであります。
映像を多用することによって、舞台装置を簡素にした演出でありました。そう、建物の装置を設えたり、部屋の内装の装置を設えたり、といったことはありませんでした。その代わりに、場面場面に応じての様々な映像が映し出されていった。
そこには、開幕と同時に、多くのしゃれこうべが映し出されたりしていました。或いは、有刺鉄線が拡大されたものが映し出されたりもした。こういった映像は、これまでに死に追いやられたトゥーランドットに求愛した異国人の成れの果てを描写したり、トゥーランドットの残忍さを描き出したり、といったことを目論んでのことだったのでしょう。そういった意図を理解しつつも、個人的には、あまり趣味の良いものだとは思えませんでした。並河さんによるトゥーランドットが、残忍さを前面に押し出したものでなかっただけに、その思いを強くした。
とは言うものの、今触れたのは、本日の演出において、私が抱いた数少ない疑問の一つであり、大部分においては音楽を邪魔しない演出だったと思え、その点に有難みを覚えたものでした。もっと言えば、ストーリーを効果的に補完する映像の使用だった思えたものでした。例えば、第2幕でピン・ポン・パンの3人が望郷の思いを吐露する場面では、山水画の如き風景画が映し出され、それぞれの故郷が可視化されることとなっていた。舞台装置にコストを掛けずに、効率よくオペラの世界を作り上げてゆく、といった点で、なかなかに興味深い演出手法でありました。