クレンペラー&フィルハーモニア管によるマーラーの≪大地の歌≫を聴いて

クレンペラー&フィルハーモニア管によるマーラーの≪大地の歌≫(1964,66年録音)を聴いてみました。
(厳密に言えば、1966年に録音された際には、このオケはニュー・フィルハーモニア管と改称しています。)
独唱陣は、ルートヴィヒ(MS)とヴンターリヒ(T)。
克明な演奏ぶりと、情緒の豊かな演奏ぶりとが交錯する、多様性に溢れた演奏となっています。
特に、最初の2つの楽章では、その両者の性格が顕著。すなわち、第1楽章では前者の性格(克明な演奏ぶり)が如実に現れていて、第2楽章では後者の性格(情緒の豊かな演奏)が前面に押し出された演奏が繰り広げられている。
以降の4つの楽章は、その2つの性格が融合されたものになっていると言えそう。とは言うものの、第5楽章には前者の性格が色濃く反映されている。
更には、最終楽章も、前者の性格が強く備わったものとなっている。そう、ここでの演奏の最終楽章は、寂寥感が際立つような演奏にはなっていないのであります。むしろ、ほんのりと暖かみが感じられる。開放的というのとは少し違うが、広々とした音楽世界が広がることとなってもいる。それがまた、なんとも興味深いところ。しかも、真ん中を少し過ぎた辺りでの、オーケストラのみで演奏される箇所では、頗る峻厳な音楽が奏で上げられていて、聴いていて襟元を正したくなる。
その一方で、第4楽章では、後者の性格が、前者の性格を上回ったものとなっている。
ところで、クレンペラーは若い頃は、晩年の演奏ぶりとは真逆の、と言いましょうか、ザッハリヒ(即物的な、といった意)な演奏を繰り広げていました。この演奏から窺える克明な音楽づくりは、そういった若い頃のクレンペラーの演奏ぶりを垣間見ることのできるものだと言えそう。
そのうえで、全編を通じて、風格豊かな音楽が奏で上げられているところが、いかにもクレンペラーらしいと言えましょう。更には、コクの深さが感じられもする。
興味深いのは、第3楽章と第4楽章での演奏ぶり。
第3楽章は、随分と遅いテンポが採られているものの、音楽が重くなるようなことは皆無で、むしろ、粒立ち鮮やかな音楽が奏で上げられることとなっています。晴れやかで、明朗であり、歓びに溢れてもいる。極めて遅いテンポを採りつつも、こういった音楽世界を出現させるクレンペラー。それはもう神業だと言えそう。しかも、テンポが遅い分、コクの深さが、より一層強く感じられる。
その雰囲気は、次の第4楽章にも継続されています。やはり、随分と遅いテンポが採られていながらも、晴朗な音楽が奏で上げられている。とは言うものの、ルートヴィヒによる歌唱の性格にも依るのでしょう、しっとりとした質感を持つこととなっている。そのうえで、中間部でのテンポを速めた箇所では、活力に満ちた音楽が掻き鳴らされている。とは言うものの、決して空騒ぎするような音楽になっていないのは、クレンペラーならではだと言えそう。
この≪大地の歌≫の演奏の中でも、この2つの楽章は、かなり個性的なものになっていると言いたい。
なお、ヴンターリヒは、張りがあって、かつ、甘美でもある美声を駆使しながら、流麗な歌を披露してくれています。そのうえで、凛々しくもある。
第1楽章などでは、とても颯爽とした歌唱が繰り広げられている。しかも、この楽章の終わりの方では、切迫感の強い歌唱となっていて、それがまた何とも見事。また、第3楽章での、若々しくて伸びやかな歌唱は、惚れ惚れするほどに
一方のルートヴィヒは、深々とした歌唱を繰り広げてくれています。情感豊かであり、しっとりとした質感を備えてもいる。
そのうえで、最終楽章の終わり近くでは、絶勝と呼ぶに相応しい、切実たる歌が披露されていて、魂をえぐられるようでもある。
かなり個性的であり、かつ、多彩な魅力を備えている演奏。しかも、聴き応え十分な演奏となっている。
クレンペラーの奥義を見るような、なんとも見事な、そして、頗る魅力的な≪大地の歌≫であります。





