スダーン&兵庫芸術文化センター管と菊池洋子さんによる演奏会(オール・ブラームス・プロ)を聴いて
今日は、スダーン&兵庫芸術文化センター管(通称:PACオケ)による演奏会を聴いてきました。演目は、下記の通りのオール・ブラームス・プロ。
●ブラームス ピアノ協奏曲第1番(独奏:菊池洋子さん)
●ブラームス 交響曲第1番
一番のお目当ては菊池洋子さんのピアノでした。彼女の演奏を聴くのは、これが初めてのこと。ブラームスのピアノ協奏曲第1番という、力強さとロマンティシズムとが融合された作品を、どのように弾いてゆくのか、とても楽しみでありました。
スダーンを聴くのは、昨年の2月のPACオケとのシューベルトの≪ザ・グレート≫をメインに据えた演奏会以来で、これが2回目。前回の演奏会では、虚飾を排した誠実な音楽づくりを基調としながら、生気に溢れていて、躍動感を備えた演奏を繰り広げてくれていました。更には、拍の頭にウェイトを置きながらの拍節感を大事にした演奏ぶりで、目鼻立ちがクッキリとしていた。それでいて、そのことによって、音の流れにぎこちなさが生まれるようなことはなく、音楽運びがキビキビとしている演奏となっていた。
本日のブラームスの2曲でも、そのような音楽に出会うことができるのだろうか。そんな期待を寄せながら、会場に向かったものでした。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて書いてゆくことに致しましょう。
まずはピアノ協奏曲からですが、何と言いましても菊池さんが素晴らしかった。
響きの実に柔らかいピアノでありました。そして、奏で上げられる音楽は、暖かみを帯びている。しかも、媚を売るようなところが微塵もない。ケレン味がなくて、率直な音楽を奏で上げてくれていた。
しかも、この協奏曲に不可欠な力感にも不足がなかった。とは言え、力でねじ伏せるようなことは微塵もない。力強さが、豊穣な音楽世界を描き上げることに奉仕していた。そのような力強さでありました。
更には、真情に溢れていた。若きブラームスが生み出したこの協奏曲を、多感にして、センシティブに紡ぎ上げてくれていた。そんなふうに言いたくなる演奏ぶりでありました。
そのような菊池さんでありましたので、白眉は自ずと緩徐楽章の第2楽章ということになりましょう。繊細にして、美しい音楽が鳴り響いていました。抒情性に溢れてもいた。音の響きは、珠のように美しくて、天上の音楽が鳴っていたかのようでもありました。それはまさに、息を飲むような音楽であった。そして、可憐でありつつも、気高くもあった。
そのような菊池さんに対して、スダーンもまたハッタリの全く見られない音楽づくりで、丹念にバックアップしてくれていました。
弦楽器のプルトの数は6-5-4-3-2と、ブラームスを演奏するには小ぶりな編成。そのために、厚みには欠けていましたが、その分、スッキリとしていて清潔感が漂っていた。それがまた、菊池さんのピアノにピッタリだったように思えます。そのうえで、ツボを押さえた音楽づくりで、躍動感にも不足はなかった。
いやはや、作品の魅力を存分に楽しむことのできた、素晴らしい演奏でありました。
アンコールは、ブラームスの≪子守歌≫をコルトーが編曲したものが演奏されました。こちらもまた、柔らかみを帯びていて、慈しみに満ちた演奏となっていました。
続きましては、メインの交響曲第1番について。前半のピアノ協奏曲での演奏ぶり、更には、昨年のシューベルトの≪ザ・グレート≫などでの演奏から連想していた通りの演奏が展開されていました。すなわち、誠実にして、ケレン味のない音楽づくりを基調とした音楽が奏で上げられていた。
テンポは、概してやや速め。変に粘るようなことはなく、キビキビと進めてゆく。しかも、第1楽章で顕著だったように、ザッハリッヒな音楽づくりが為されていた。それがまた、音楽に粘り気をもたらさないことに貢献していたように思います。オケが自然にテンポを遅くしてしまいがちな箇所では、敢えてテンポを上げるような動きをして、重苦しくなることを意識して避けていたりもしていたのが、印象的でもありました。
弦楽器のプルトの数はピアノ協奏曲から変更はなく、小ぶりの編成。そのことがまた、スッキリとした演奏ぶりを強調してくれていたようにも思えます。とは言え、決して軽くはならない。音価をシッカリと守りながら、充実した音楽を鳴り響かせてくれていた。そんなこんなによって、中量級のブラームスが展開されていった、と言えそうです。
そのうえで、最終楽章のクライマックスで顕著だったように、輝かしさにも不足はなかった。
また、第1楽章の主題提示部をリピートしていたことが、古典的な様式美を生んでいたようにも思えました。10月に聴いた大友直人さん&京響によるブラームスの1番もリピートを敢行していて、同様の印象を持ちました。実演でも、このリピートは実行した方が良いようです。
この点に限らず、本日の演奏は、大友直人さん&京響による演奏と似たような傾向にあったように思えます。大友さんによる演奏に対しても書きましたが、何の変哲もないブラームスの1番だった 。それでいて、充実度の高いブラームスの1番が鳴り響いていた。
但し、大友さん達による演奏ほどに強い共感を抱くまでには至りませんでした。と言いますのも、大友さんによる演奏の方が、より愚直に作品に奉仕する、といった性格が強かったように感じられたからであります。例えば、第1楽章の展開部の途中に出てくるクレッシェンドとデクレッシェンドが交互に現れる箇所(2525小節目から261小節目にかけて)から生まれる「うねり」などは、大友さんの方が徹底されていた。また、再現部に入った箇所での燃焼度も、大友さんの方が圧倒的に高かったように思えた。
大友さんによる演奏は、作品に対する献身度が頗る高かったように思えます。そして、何ふり構わずに作品にぶつかってゆくような気魄が感じられた。本日のスダーンによる演奏も献身的ではあったのですが、作品への「のめり込む」強さ、といったところで、大友さんには及ばなかったように感じられたのであります。
なお、最終楽章の再現部が随分進んだところで、小節の頭に休符が入る箇所(279小節目からの6小節間)があります。ここでスダーンは、聴き手も休符をハッキリと認識できることを意図したのか、休符を大きく採っていました。ただ、それに伴ってテンポがガクンと落ちてしまい、なんとも重苦しい音楽となっていた。そのために、それまでの演奏ぶりからは大きく隔てられた、異質な音楽が鳴り響くこととなってしまっていた。この措置には大いに疑問を抱いた次第であります。もっと言えば、本日の演奏に水を差してしまったと思えてならなかった。
かように、多少の不満はあったものの、私の好きなタイプの演奏だった(誠実にしてケレン味のない音楽づくりを基調としながら、作品自身に魅力を語らせるような演奏を、私は好んでいます)のは間違いありません。
スダーンは、PACオケに定期的に来演していて、次回は来年の6月に指揮台に登るようです。メインはベートーヴェンの≪田園≫で、他にはシューベルトとハイドンを組み合わせるという、ウィーン古典派の作品で固めたプログラム。スダーンが遺憾なく本領を発揮してくれそうな演目になっているだけに、とても楽しみであります。
終演後にホールの外に出ると、イルミネーションが光っていました✨