沖澤のどかさん&京都市交響楽団による定期演奏会(プロコフィエフとストラヴィンスキー)を聴いて

今日は、沖澤のどかさん&京都市交響楽団による演奏会を聴いてきました。演目は、下記の2曲。
●プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番(独奏:上原彩子さん)
●ストラヴィンスキー ≪ペトルーシュカ≫(1947年版)

沖澤さんは、2023年4月に京響の第14代常任指揮者に就任していますが、当初の契約は2026年3月までの3年間。その契約が、つい数日前、2029年3月まで延長されました。じっくりと腰を据えて、京響での仕事を積み重ねて欲しいものです。

その沖澤さんが指揮する本日の定期演奏会は、プロコフィエフとストラヴィンスキーがプログラミングされています。コネッソンや、オネゲル、イベールといった、近現代の作曲家による作品で、聴き応え十分な演奏を聞かせてくれた沖澤さん。大きな期待を寄せていた演奏会でした。
また、上原さんの実演は、10数年前に聴いたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、一昨年に聴いたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番に次いで、これが3回目。これまでの2回では、強靭な性格を有していると言えそうな作品で、雄渾な演奏を繰り広げてくれていただけに、本日のプロコフィエフも、大いに楽しみでありました。
なお、沖澤さんは、現在、第2子をご懐妊中で、11月に出産予定とのこと。そのため、11月に指揮することになっていた定期演奏会が、鈴木雅明さんの指揮に変更になっています。
(なんと豪華な代役!!)
次に沖澤さんが京響を指揮するのは来年の3月となる予定で、2024-25シーズンは2公演のみの登壇となります。それだけに、本日の演奏会は、とても貴重でもありました。
(そのためかどうかは解りかねますが、本日のチケットは完売のようです。)

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。まずは、前半のプロコフィエフから。
何と言いましても、上原さんが素晴らしかった。予想していた通りに頗る強靭で骨太な音楽づくりであり、しかも、期待していた以上に、その方向性で見事な演奏をなし得てくれていました。
そのうえで、煌びやかで、かつ、敏捷性が高かった。緊密感や、凝縮度が高くもあった。硬質な質感を持っていた。そして何よりも、表情が頗る自然。この作品が持つバラエティに富んだ側面を、なんの誇張もなく描き上げてくれていた。
総じて、毅然としていて、鋭敏な演奏ぶりでありましたが、特筆したいのは、第2楽章での気だるさの漂う演奏ぶりであります。それが大きなアクセントとなっていたと言いたい。この点では、沖澤さんも一緒になって、見事に気だるさを醸し出していました。
更に言えば、曲想に応じながら、柔らかみを持たせたり、抒情性を持たせたり、といった、表情の幅広さを見せてくれていた。そのようなこともあって、音の粒がクッキリとしていて、明快な音楽づくりをベースにしていながらも、繊細さが備わっていて、生彩豊かな表情をした演奏が繰り広げられていました。色彩感に満ちてもいた。
そのような上原さんに対して、沖澤さんもまた、敏捷性の高い音楽づくりで応えてくれていて、見事。やはり、近現代ものは、沖澤さんの肌にあっていそう。しかも、上原さんと同様に、表情豊かであり、色彩感に溢れていて、かつ、しなやかな音楽づくりを見せてくれていて、素晴らしいサポートぶりでありました。
(ちなみに、プレトークでは、ベルリンの音楽アカデミーでの修了演奏ではプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番を採り上げたなど、沖澤さんのプロコフィエフ愛が語られていました。)
この協奏曲の魅力を堪能できた、聴き応え十分な演奏でありました。

アンコールは、ドビュッシーの≪子供の領分≫から「ゴリウォーグのケークウォーク」。こちらは、鮮烈さを前面に出せずに、アンニュイな表情を浮き立てていました。
得てして、アンコールでは華麗な演奏ぶりを前面に押し出しがちだと思えますので、アンコールでの演奏にしてはユニークなものだったと言えそう。それだけに、外面に捉われることなく音楽に臨んでいこうという、上原さんの姿勢の一端が窺えた思いを抱いたものでした。それと同時に、上原さんの引き出しの多さを痛感させられたアンコールでもありました。
ちなみに、プロコフィエフの後にドビュッシーを持ってきたのは意外でしたが、パリオリンピックがらみだったのでしょうか。昨夜、開幕したばかりのパリオリンピック。プレトークでも、沖澤さんはパリオリンピックに触れていたこともあって、そのように思いを巡らせたのでありました。

続きましては、メインの≪ペトルーシュカ≫について。こちらもまた、期待に違わぬ、素晴らしい演奏でありました。
沖澤さんの演奏の特徴、それは、几帳面な音楽づくりをベースにしながら、躍動感に溢れた、機敏で切れ味の鋭い音楽を奏で上げる点にあるように思えます。そのような観点に立つと、本日の≪ペトルーシュカ≫は、沖澤さんの美質が最大限に発揮されていたと言いたくなります。
一点一画をおろそかにしない演奏ぶり。仕上げが丁寧でもあった。それ故に、頗る端正な音楽像が浮かび上がっていました。輪郭がクッキリとしていて、折り目正しくて、音楽の佇まいが凛としていた。
それはまさに、誇張のない演奏ぶりだったと言いたい。しかも、とても明快な音楽となっていた。音楽がダブつくようなことは皆無で、スッキリと纏め上げてくれていた。
そのうえで、リズム感も抜群。コネッソンの時に痛感したのですが、変拍子の処理が誠に鮮やかなのです。それ故に、音楽の流れが滑らかで、かつ、リズミカルで、ダイナミックでもあった。フットワークが良くて、身のこなしが鮮やかでもあった。生彩感に満ちてもいた。
しかも、抒情性が備わってもいる。音楽の佇まいが、とてもデリケートでもある。と言いつつも、音楽が痩せるようなことは微塵もなく、豊かに息づいていた。
そんなこんなのうえで、この作品に不可欠な、機敏さや、重心を高く採りながらの軽妙さや、更には、悲哀や、といったものも十分。
更に言えば、京響を完全に掌中に収めていると思えてなりませんでした。このオケを、思いのままに、そして自在にドライブしていたと言いたい。その結果として、充実度の高いオーケストラ音楽が鳴り響いていた。精妙にして、鮮烈な音楽でもあった。
沖澤さんの、演奏家としての誠実さや、音楽性の豊かさや、といったものが存分に発揮されていた快演。そんなふうに言えましょう。
次回の、来年3月の京響定期では、≪英雄の生涯≫と、藤倉大さんのヴァイオリンとフルートのための二重協奏曲(こちらは日本初演)を採り上げてくれることになっている沖澤さん。
ますます楽しみになりました。