ロウヴァリ&フィルハーモニア管によるショスタコーヴィチの交響曲第10番を聴いて

ロウヴァリ&フィルハーモニア管によるショスタコーヴィチの交響曲第10番(2024年録音)を聴いてみました。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に収蔵されている音盤での鑑賞になります。

切れ味が鋭かったり、凄絶だったり、といった演奏にはなっていません。聴き手を煽るようなこともない。ショスタコーヴィチにしては珍しく、と言えましょうか、ふくよかさの感じられる演奏となっている。
とは言うものの、決して穏やかであったり、おっとりとしていたり、といった音楽にはなっていません。むしろ、緊迫感を孕んだ音楽になっていると言いたい。
例えば第1楽章は、約25分を要する長大な楽章で、急速な楽章ではなくてモデラートによる緩やかな歩みでありつつも緊張感を伴っており、真ん中辺りを頂点に高揚していき、出だしと終結部分は静謐な雰囲気を湛えるという音楽となっているのですが、ここでの演奏は、頂点へと向かっていく際のエネルギーの蓄積には、確乎とした強い意志が感じられます。重心を低く採りながらの骨太な音楽づくりとなってもいる。更に言えば、ズシリとした手応えのある音楽が鳴り響くこととなってもいる。それは、単に表面的な効果を狙ったようなものではない。
続く第2楽章は、5分足らずの短い楽章で、急速なテンポで一気に駆け抜けてゆく楽章となっているのですが、ここでの演奏からは、なるほど急速なテンポが貫かれているものの、辺りを蹴散らしながら疾駆してゆくというよりも、一歩一歩を噛みしめながら突き進んでゆく、といった趣きが感じられる。とは言いつつも、決して安全運転な演奏ぶりではない。充分なる推進力を秘めた音楽となっている。要は、むやみやたらに凶暴な音楽を鳴り響かせよう、といった意図からは、最も遠い音楽になっていると言えそうなのであります。
第3楽章はアレグレットと指示が為されていますが、実体としては緩徐楽章としての性格が与えられている(速度としては、決して「緩徐」とは言えないのだが)と言えましょう。しかも、寒々とした空気を湛えてもいる。そのような楽章を、ロウヴァリは、決して曖昧模糊とした表情で奏で上げようとしない。ひょっとすると、この演奏の中で、最も隈取り鮮やかに、かつ、精緻に描き上げているのが、この楽章なのではないでしょうか。とりわけ、真ん中辺りでテンポが上がり、なおかつアッチェレランドが掛けられて音楽が緊迫感を強めてゆくにつれて音楽の鮮明度が更にグングンと増してゆく様は、見事であります。そういった音楽づくりによって、この楽章が、この交響曲全体の中でのアクセントなっている様相が、鮮やかに示されることとなっている。
最終楽章はアンダンテによる序奏部を持つ急速楽章でありますが、まずもって、序奏部でのピンと張り詰めた空気感が素晴らしい。なんとも凛とした表情を湛えている。そんな序奏部を経ながら主部に入ると、充分なる前進力を備えていつつも、力任せに驀進するような音楽づくりにはなっていない。それは、ロウヴァリが、この交響曲での演奏で終始一貫して押し通してきたものであります。とは言いながらも、底力のある演奏ぶりが示されている。充分に逞しくもある。そう、単に有頂天になって騒いでゆくような音楽になることなしに、この楽章を躍動感に満ちた音楽として生き生きと鳴り響かせているのであります。

なるほど、ショスタコーヴィチとしてはユニークな演奏ぶりだと言えるかもしれませんが、奥行きの深さが感じられる、聴き応え十分な演奏であります。
そんな演奏を成し得たロウヴァリの、音楽性の豊かさと、手腕の確かさに、感服せざるを得ません。