京都の桜巡りと、マケラ&コンセルトヘボウ管によるマーラーの≪千人の交響曲≫を聴いて

今年の京都の桜の開花宣言は、先週の月曜日の3/23でした。標本木があるのは、二条城。
開花から1週間近く経ったことになりますが、本日のお昼時に二条城に行ってみますと、標本木はほぼ満開となっていました。また、標本木から西へ向かったところに植えられている、豊臣秀吉が愛した「醍醐の枝垂れ桜」のクローンも、見事に咲き誇っていました。
更には、京都御所に行ってみますと、紫宸殿の前に植えられている「左近の桜」も、綺麗に咲いていました。
まさに、春爛漫であります。


二条城内の標本木:本日の様子


二条城内の「醍醐の枝垂れ桜」のクローン


京都御所の「左近の桜」:本日の様子

さて、今日は、マケラ&コンセルトヘボウ管によるマーラーの≪千人の交響曲≫(2025年ライヴ)について。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に収蔵されている音盤での鑑賞になります。

清新にして、精巧な演奏が繰り広げられています。繊細さを秘めており、この作品での演奏としては、とてもユニークなものとなっている。
情念的であったり、エモーショナルであったり、といったマーラー演奏からは一線を画した演奏だと言えましょう。
冒頭部分で耳に飛び込んでくるもの、それは、とてもスリムで、清々しさを湛えた音であります。音の洪水に身を浸すような音楽になっていない。
このことは、この演奏全般において当てはまりましょう。そう、壮麗さが前面に押し出された演奏にはなっていないのであります。それよりももっと、室内楽的と言いましょうか、緊密でインティメートな演奏が繰り広げられている。
そのようなこともあり、透かし彫りのようにして作品の実像が浮かび上がってくるようであります。
しかも、決して脆弱な音楽になっている訳ではありません。デリケートで精密な出で立ちをしていつつも、体幹のシッカリとした演奏が繰り広げられている。そのために、マッチョな体格をしている訳ではないものの、逞しさを備えた音楽が鳴り響くこととなっている。確固たる劇性が備わってもいる。
そのような様相が、大袈裟に表されているところに、奥床しさのようなものが感じられもする。この演奏の時点で、マケラはまだ29歳でありました。そのような「若さ」に似合わない、懐の深さを備えた演奏となっている。それはまた、マケラの類稀なる音楽性に依るのだとも言えるのでしょうが。
なお、演奏が鳴りやんでの聴衆からの拍手が、間髪を入れずに沸き起こったのではなく、一呼吸置いてのものだったところが、力任せで煽情的な演奏だったのではなく、奥行きを持たせた演奏だったことを物語っているようにも思えます。

そんなこんなによって、「聴き疲れ」のしない≪千人≫となっている。しかも、聴き応え十分な≪千人≫となっている。
独自の魅力を湛えている、素敵な≪千人≫であります。