沖澤のどかさん&京都市交響楽団による第九の特別演奏会の第2日目を聴いて

今日は、沖澤のどかさん&京都市交響楽団によるベートーヴェンの第九の特別演奏会の、第2日目を聴いてきました。
独唱陣は、嘉目真木子さん(ソプラノ)、小泉詠子さん(メゾ・ソプラノ)、小原啓楼さん(テノール)、山本悠尋さん(バリトン)。合唱は京響コーラス、という陣容でありました。
京響の常任指揮者に就いて4シーズン目を迎えている沖澤さんでありますが、年末恒例の第九を指揮するのは初めてになります。満を持しての登場、といったところでありましょうか。
今シーズンは、ボストン響とロンドン・フィルにデビューしている沖澤さん。世界的な注目度も、いよいよ高まっているようです。日本人の指揮者が、海外の超一流のオケに次々と呼ばれるようになった昨今。このような報せを見るにつけ、とても誇らしくなります。しかも、その指揮者が、我が街のオケのシェフを務めているということは、胸の躍ることであります。
ところで、沖澤さん&京響のコンビ、今シーズンは、故郷の青森も含めた大規模なツアーを行いました。このコンビも、音楽愛好家からの関心度が高まり、その成熟度は増してきているように思えます。そんな沖澤さん&京響が、どのような第九を聞かせてくれるのでありましょうか。実に楽しみでありました。
なお、この第九演奏会、昨日も今日もチケットは完売しています。そこからも、期待の大きさが窺えよう、というものであります。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

期待に違わぬ、いや、期待を超えた、素晴らしい演奏でありました。
まず言いたいこと、それは、沖澤さんならではの、篤実な態度の貫かれていた演奏が繰り広げられていた、ということ。そう、とてもキッチリとした音楽が鳴り響いていたのであります。端正で、誇張のない演奏ぶりでもあった。そのうえで、熱気の籠もった演奏が展開されていた。更には、音楽の息遣いが自然かつ豊かで、身のこなしがしなやかでもあった。
第1楽章の冒頭こそ、やや遅めのテンポが採られていたようでしたが、音楽が流動性を持ち始めると、テンポが上がってきて、キビキビとした音楽が奏で上げられていった。第1楽章などは、そのテンポをキープして、テンポを揺らすようなことはしなかった。そう、インテンポが貫かれた音楽が展開されていたのであります。それ故に、頗る毅然とした音楽が鳴り響くこととなっていた。そして、ベートーヴェンが記したリタルダンドが、普段以上に生きてくることとなっていた。ベートーヴェンは、展開部に入ってしばらく経った195小節目で初めてリタルダンドを記しているのですが、それまでの間は、一切、テンポを変化させる旨の指示は為されていません。ベートーヴェンは、歩調を変えることなく、ひたすらに前進してきたのであります。そして、ここで初めて、歩みをフッと緩める。その様が、実に印象的なものとなっていたのであります。
しかも、例えば61,62小節目で執拗に記されているsfも、生真面目すぎるほどに実行してゆく。そのために、実に雄々しくて、壮烈な音楽が鳴り響くこととなっていた。これはほんの一例でありまして、全編を通じて、ベートーヴェンの記した楽譜を誠実に再現してゆこう、といった演奏態度の貫かれた演奏だったと言いたい。そのうえで、そこに、熱いパッションを込めてゆく。であるからこそ、音楽が逞しい生命力を湛えながら鳴り響いてゆく。
沖澤さんの気力の充実ぶりが滲み出ていた演奏だった。そんなふうに言えましょう。そうした音楽づくりを、京響がシッカリと受け止めて、献身的に応えてゆく。そのような様に、このコンビの成熟度の高さが改めて窺えたものでした。
さらに言えば、今年の3月、≪英雄の生涯≫をメインに据えた定期演奏会から、京都コンサートホールでのリハーサルの回数を増やし、そのことが、京響の響きを磨き上げることに寄与している、といったことを沖澤さんは語っておられましたが、本日の第九では、残響の活かし方なども実に効果的だったと思えたものでした。響きが艶やかになってもいた。手兵のオケと共に、本拠地のホールで演奏する「強み」といったものが、如実に現れていたとも言えましょう。
そんなこんなのうえで、ちょっとした愛嬌を見せてくれてもいました。と言いますのも、第2楽章の93小節目から奏でられる木管楽器による旋律において、8分音符で上昇する音型を、音をフッと上空に放り投げるようにして演奏させていたのであります。その様が、なんともチャーミングだった。実直な演奏ぶりの中で見せてくれる、このようなささやかな「遊び心」は、実に味わい深いものとなるのだ。そのようなことを痛感させてくれる表現にもなっていたと言いたい。
(私にとっての直近の京響の実演となっている、先月末のスピノジによる演奏での悪ふざけに過ぎていて、狡猾だった「遊び心」と、なんと、その質感が違うことでありましょう。これはもう、その指揮者の音楽性と、音楽への誠実度の違いに依るものだと思えてなりません。)
そんな妙味を味わうことのできた第2楽章でありましたが、キビキビとした運動性は、第1楽章での演奏以上のものでありました。音楽が存分に躍動していて、かつ、推進力に溢れていた。決して軽すぎるようなことはなかったものの、軽快な音楽が奏で上げられていた。そういった演奏ぶりは、この楽章には誠に相応しいものでありました。
なお、トリオ部でのオーボエによるソロで、スビト・ピアノ(急に音量を潜める、といった意)が記された箇所(471小節目)で、沖澤さんの本日の演奏には珍しく、瞬間的にテンポを緩めていました。それは、スビト・ピアノの表情を付けるための時間を稼ぐためだったのかもしれませんが、もしそうだとすれば、あまりに姑息であり、イージーでもあります。賛同することのできなかった箇所でありました。
ちなみに、第2楽章では、全てのリピートが敢行されていました(但し、ダ・カーポした後のリピートは省略)。この措置もまた、沖澤さんの誠実さが裏付けされたものだと言え、とても妥当なことだと思えたものでした。
また、第3楽章での清浄にして、抒情性に満ちた歌い口も、聴き応え十分でありました。その様は、頗る平安なものであり、高潔であり、かつ、気高くもあった。それがまた、この楽章に相応しかったと言いたい。
その末に訪れる最終楽章では、昂揚感に満ちた音楽が奏で上げられていました。エンディングでの追い込みも見事だった。しかも、第1楽章から第3楽章までが回想される箇所で、それぞれの楽章を否定してゆくチェロ・バスの動きが、なんと雄弁だったことでありましょう。その箇所をグイグイと煽っていたところにも、沖澤さんの意欲を垣間見ることができたと言いたい。
更には、終結部での追い込みもさることながら、806小節目からと827小節目からの、2度にわたって合唱陣が”Alle Menschen”と歌い上げる箇所での煽り方にも、途轍もないほどの気魄が伝わってきたものでした。
なお、歌唱陣は、小粒だったと言えましょうか。冒頭のバリトンのソロからして、高らかに歌い上げる、といったものには遠かった。更に言えば、832小節目からの、4人が順にカデンツァ風に歌い上げてゆく箇所で、ソプラノが絶叫気味になっていたのは、頂けませんでした。
重量級な第九だったと表現するには、スッキリとしていたと言いましょうか、凛としていてピュアな音楽づくりが為されていたと言いましょうか、全体的にテキパキと進められていて、重量級だったとは言い切れない第九でありました。しかしながら、ズシリとした手応えを感じ取ることのできた第九でありました。
そんなこんなを含めて、沖澤さんの美質がクッキリと刻まれた演奏だった。そんなふうにも言いたくなる第九でありました。
今年は、4月にエッシェンバッハ&大阪フィルによる大阪・関西万博開催を記念した第九を聴いたのを皮切りに、トータルで5つの第九の実演に触れましたが、その中では本日が個人的にはベストな第九となりました。





