尾高忠明さん&大阪フィルによる演奏会(交響曲第3番をはじめとしたオール・エルガー・プロ)の第2日目を聴いて

今日は、尾高忠明さん&大阪フィルによる演奏会の第2日目を聴いてきました。演目は下記の3曲。
●エルガー ≪弦楽セレナード≫
●  〃  ≪海の絵≫(メゾ・ソプラノ独唱:林眞瑛さん)
●  〃  交響曲第3番(ペインによる補筆完成版)

エルガーを得意としている尾高さんによるオール・エルガー・プロ。そのような中で、滅多に演奏されることのない交響曲第3番を採り上げているというところに、目を引かれます。これは、エルガーがスケッチ程度しか残さずに逝去したものを元に、1990年代にアンソニー・ペインというイギリスの作曲家が補筆完成させた作品。そんな交響曲第3番を実演で接することができるのは、貴重な体験となります。
尾高さん&大阪フィルのコンビは、2019年に第1番を、2022年には第2番を演奏していますので、これで、エルガーの交響曲全3曲を採り上げたことになります。
そんな、注目の交響曲第3番ではありますが、本日の演奏会を聴きに来ようという衝動に駆られたのは、≪海の絵≫の独唱にアンナ・ルチア・リヒターが起用されていたからでありました。
アンナ・ルチア・リヒターを初めて聴いたのは、2017年のルツェルン音楽祭でのこと。彼女の名前も知らずに臨んだ演奏会でありましたが、その歌唱に大いに魅了されたものでした。ハイティンク&ヨーロッパ室内管との共演で、演目はマーラーの≪子供の不思議の角笛≫。バリトンの独唱者はゲルハーヘルでありました。
現在は、リヒターの声域はメゾ・ソプラノとなっているようですが、当時のリヒターはソプラノ。そんなリヒターが、≪角笛≫を頗るチャーミングに歌ってくれたのであります。
その歌いぶりは、コケットリーで無邪気であり、唖然とするほどにキュートだった。愛嬌たっぷりで、茶目っ気たっぷりでもあった。しかも、そんな表情に、わざとらしさが全く感じられなかった。作品に完全に同化した歌になっていたのであります。ときおり、腰をくねらせながら歌う素振りから生まれる悪戯っぽいあどけなさなんて、可愛らしいったらありゃしなかった。会場からは、彼女が歌った後には、その歌に虜になった証しと言えるような好意的な笑いも聞こえてきたりした。
しかも、声も非常に美しく、伸びやかで、癖がなくて、澄んでいて、暖かみがあった。
それ以来、アンナ・ルチア・リヒターという名前には注意を払っていまして、私がルツェルンで聴いた翌年の2018年にパーヴォ・ヤルヴィ&N響によるマーラーの交響曲第4番の独唱者として来日しましたが、その演奏会には足を運べずじまい。
また、YouTubeにはシューベルトの≪岩の上の羊飼い≫の音源があり、その歌唱がまたチャーミングこの上ありませんでした。この、ピアノの伴奏に加えてクラリネットのオブリガートも付いた、実に特異な形をしていて、かつ、天上の音楽のような美しさ湛えたリート作品を、時に静謐で清らかに、時に可憐に、時に劇性豊かに、そして、全編を通じて情感豊かに歌い上げていたリヒター。
そんなリヒターを、大阪で聴くことができる。そのことを知って、一も二もなく聴きに行くことを決めたものでした。
ところが、リヒターは今回の演奏会を健康上の理由でキャンセルしてしまった。そのショックは、かなり大きなものでありました。
最大の目的を失ってしまった演奏会となりましたが、ここ最近、極めて充実度の高い演奏を繰り広げてくれている尾高さんが、得意のエルガーを演奏してくれる。きっと、素晴らしいエルガーになることだろうと、気を取り直して聴くことにしのでありました。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは前半の2曲から。
≪弦楽セレナード≫は、暖かみを湛えた演奏が展開されていました。寂寥感が漂うようなことは、あまり無かった。
そのうえで、尾高さんならではの誠実な音楽づくりが為されていた。作品の実像がクッキリと浮かび上がる演奏だったとも言えそう。
そのような演奏ぶりに敬意を表するところではありますが、もっと律動感を滲ませても良かったのではないだろうかと思わずにおれませんでした。全体的に繊細にして、精妙な演奏が展開されていたのであります。そこが、この作品の性格なのではあるのでしょうが。
続く≪海の絵≫は、まずもって林さんの独唱が、低音域から高音域までムラのない発声となっていて、端正な歌いぶりが披露されていたことに感心させられました。とりわけ低音域は、とても深々としていた。それでいて、高音域も澄んだ美しさと伸びやかさを持っていた。
なお、プログラム冊子のプロフィールに依りますと、メゾ・ソプラノでありつつも、コントラルトとしても活躍しているとのこと。そのことがよく理解できる声だった。また、バッハ・コレギウム・ジャパンの声楽メンバーでもあるとのこと。
しかも、歌い口が流麗だった。そう、音楽が滑らかに流れていたのであります。そして、まろやかさを湛えてもいた。
かように、声楽的には全く瑕疵のない歌いぶりだったと言えましょう。とても整っている歌が展開されていたのであります。
とは言うものの、そこに歌手としての個性が乗っていなかったように思えてならなかった。それは例えば、リヒターの歌に備わっていたチャーミングな表情、といったようなものが。決して一本調子な歌ではなかったのですが、リヒターであれば、もっと魅惑的な歌になっていたのではないだろうか。そのような思いを拭い去ることができずに聴いていた、というのが正直なところでありました。
尾高さんによるバックアップは、第3曲目がそうであるように、エルガーの語法が前面に押し出された箇所では、流石と思わせてくれるものでした。似たようなことが第5曲目にも当てはまる。とは言うものの、圧倒的に歌唱主体の作品で、オケが前面に出ることは非常に少なく、尾高さんの音楽づくりを堪能するといったところまではいかなかった、というのが率直な思いでありました。

ここからは、メインの交響曲第3番について。
その演奏はと言いますと、尾高さんのエルガーに共感を寄せている様がよく判るものだったと言いたい。とは言うものの、1時間近くの演奏時間を要するこの作品、冗長に過ぎると思えてなりませんでした。ここまで長くする必要があったのか、疑問であります。
なるほど、エルガーが完成させた2つの交響曲は、共に50分を超える長大な作品であります。その中で、エルガー独自のノビルメンテな音楽世界を繰り広げてゆく。交響曲第3番を補筆完成させたペインも、そのような外観を意識していたのでありましょう。とは言いつつも、概して、閃きに不足した音楽になっていたように思われ、何と言いましょうか、焦点の定まらない音楽がダラダラと続いていて、辺りを彷徨いながら音楽が進んでゆく、といった印象を強くしたものでした。流石の尾高さんをもってしても、そういった印象を払拭することができなかったと言いたい。
そのような中でも、例えば第1楽章は、エルガーならではのマエストーソな演奏が展開されていました。終演後にプログラム冊子で確認すると、やはりと言いましょうか、この楽章はアレグロ・モルト・マエストーソとなっている。作曲家の指示を明確に演奏に反映していたと言え、感心させられた次第であります。間違いなくエルガーの音楽が鳴り響いていた。この辺りは、エルガーに情熱を注いでいる尾高さんならではだと言えましょう。
とは言うものの、音楽が魅力的に鳴り響かない。それはやはり、作品に問題があったのだと思えてなりませんでした。
そのような中で、尾高さんは、真摯な演奏態度を貫いていて、ケレン味のない演奏を展開してくれていました。ブレない演奏ぶりだったとも言えそう。尾高さんの、ここ最近の充実ぶりの窺えた演奏でありました。
個々に惹かれた点を挙げると、最終楽章のエンディング部分では、静寂の支配する音楽といった要素が強調されていて、とても厳粛なものとなっていました。更には、全曲を通じて多彩な打楽器群が活躍する場面が多いのですが、それが実に効果的だった。しかも、決してお祭り騒ぎに響かせるようなことはなかった。かように、部分的には惹かれることもあっただけに、それが単発に終わってしまって長続きしなかったのが、とても残念でありました。