藤岡幸夫さん&関西フィルによるオール・シューベルト・プログラムの演奏会を聴いて

今日は、こちらの演奏会を聴いてきました。藤岡幸夫さん&関西フィルによるオール・シューベルト・プログラムの演奏会。
演目は、下記の通りであります。
●交響曲第2番
●ミサ曲第6番

これまでに藤岡さんを聴いたのは、先月の関西フィルでの定演のみ。その時の松村禎三さんのピアノ協奏曲とラフマニノフが素晴らしかっただけに、今回はどのような演奏を繰り広げてくれることだろうとの期待を抱きながらホールに向かったものでした。もっとも、今回はオールシューベルト。全く毛色の違うプログラムなだけに、前回とは全く違う側面を見出だすことができるかもしれない。それがまた、楽しみでもありました。
ミサ曲第6番は、1995年の6月にイタリア旅行をした際に聴いたジュリーニ&ローマ聖チェチーリア音楽院管との演奏会以来。そして、交響曲第2番を実演で聴くのは初めてのはず。実演で接する機会の少ない2曲が並んでいるプログラムだというところにも、大いなる魅力を感じさせてくれた演奏会であります。

1995年6月に聴いた、ジュリーニ&ローマ聖チェチーリア音楽院管の演奏会のプログラム冊子から

ちなみに、藤岡さん&関西フィルは、2013年にもミサ曲第6番を採り上げているようです。更には、2020年にも再演を企画したものの、コロナのために演奏会が中止。今日は、2年越しで実現した演奏会とのこと。このコンビ、シューベルトのミサ曲第6番に強い愛着があるようです。
しかも、安倍元首相が襲撃されて命を落とした翌日に、このミサ曲を演奏することになったというところにも、なにか宿命的なものを感じます。

さて、本日の演奏から感じ取れたことについて、書いてゆくことにしましょう。まずは交響曲第2番から。
この曲、なんともチャーミングで素敵な作品であります。聴いていて、ウキウキしてくる。歌謡性に溢れていて、音楽が躍動している。今日の演奏は、そのような性格を、ある程度示してくれていました。
しかしながら、一つ一つの表情付けが、何となく事務的に思えた。この曲への深い共感や愛情から、音楽を紡ぎ上げてゆく、というふうには聞こえてこなかったのであります。そのために、表情が硬かったように思えた。伸びやかさにも不足していたように思えた。それなりに力感を備えた演奏となっていながらも、音楽が充分に弾けていなかったように思えた。そんなこんなによって、この作品が持っている天衣無縫な伸びやかさや、屈託の無さが、充分に伝わってこなかったように思えた。なんだか、頭で考えた結果で、音楽が形作られていたようにも思えたものでした。
「私の知っているシューベルトの第2番は、もっともっと素敵で魅力的な音楽なのに」、という思いを抱きながら聴いていたというのが、正直なところであります。

前半の演奏に失望しながら臨んだメインのミサ曲第6番でありますが、こちらには満足できました。
エネルギッシュにして、優しさも湛えている演奏となっていた。前半の交響曲と同様にシッカリとした力感を備えていて、そのことが空回りせずに雄渾な音楽として結実していたように思えたものです。
そのうえで、音楽の流れがスムーズで、息遣いや表情は自然。概して、ふくよかな音楽が提示されていた。適度に厳かでもあった。
このミサ曲、藤岡さんの手の内にシッカリと収まっているのでしょう。そのように感じさせてくれる、「作品との一体感」のようなものが備わっていた演奏。そんなふうに言えるように思えます。
(ちなみに、交響曲第2番では、第1楽章でチェロに重要な動きがありつつも、最初にその動きが現れた際には何も合図を出さずに素通りし、その後、同様な動きが現れたところで合図を出す、というシーンがあったり、最終楽章では、管楽器の合いの手が入らない箇所で、あたかも合いの手が入るかのようなアインザッツを出すという「振り間違い」をしたり、ということが見受けられました。この2つの例、ありがちな振り間違いだと言えそうですが、そのような「現場」を目の当たりにしたことからも、交響曲第2番は、まだ藤岡さんの手の内に収まっていないのかな、と思えたものです。)