ケルテス&ロンドン響によるドヴォルザークの交響曲第8番を聴いて

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ケルテス&ロンドン響によるドヴォルザークの交響曲第8番(1963年録音)を聴いてみました。

ケルテス(1929-1973)は、1961年にウィーン・フィルと録音した≪新世界より≫で鮮烈なDECCAデビューを果たしましたが、1965年に首席指揮者に着任したロンドン響と、DECCAにドヴォルザークの交響曲全集を完成させています。この第8番は、全集制作にあたって最初に録音されたもの。
ケルテスはマゼールよりも1歳年長、アバドよりも4歳年長、ブーレーズよりも4歳年少、そして、今でも現役で演奏活動を続けているブロムシュテットよりも2歳年少。テル・アヴィヴでの遊泳中に高波にさらわれて急逝してしまっていますが、そのような非業の死を遂げていなければ、その後の音楽界の勢力図は大きく異なっていたことでしょう。とりわけ、マゼールとアバドの経歴は、かなり違ったものとなっていたように思えます。

さて、ここでのドヴォルザークの第8番について。
この演奏は、私にとって、この作品の「刷り込み」盤。今でも、私には、この曲のスタンダードとなっている演奏であります。
その演奏内容はと言いますと、生命力と推進力に満ちたものとなっています。切れば血が噴き出すかのような生々しさが備わっている。推進力や躍動感に満ち、全編を通じて、実に輝かしい音楽が鳴り響いている。
しかも、どこにも誇張がなく、自然な息遣いのもとに音楽は繰り広げられてゆく。そう、なんと伸びやかで、しなやかな演奏となっているのであります。
目鼻立ちがクッキリとしていて、頗る明快な演奏であります。更には、歌心に満ちている。起伏に富んでいて、エネルギッシュで、かつドラマティックでもある。
そのうえで、この作品の至るところで示されているノスタルジックな表情も、朗らかな音楽表現の中で過不足なく描き出されている。音楽が情熱的な色合いを帯びている場面では、健やかなパッションが噴き出している。そんなこんなの表情が、なんとも豊かであります。そのような演奏ぶりを通じて、この作品に込められている音楽世界が、隈取り鮮やかに描き出されてゆく。そして、造形的な美しさの極めて高い音楽となっている。
全編を通じて、やるべきことをやり尽くしている演奏だと言えましょう。何から何までが、誠に「音楽的」。ケルテスの音楽センスの豊かさが、そこここで聞き取ることができる演奏だとも言いたい。

聴いていて幸福感でいっぱいになる演奏。
いやはや、なんとも素晴らしい、そして素敵な演奏であります。