ユジャ・ワン&ドゥダメル&シモン・ボリバル響によるプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番を聴いて
ユジャ・ワン&ドゥダメル&シモン・ボリバル響によるプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番(2013年録音)を聴いてみました。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に収蔵されている音盤での鑑賞になります。
派手なステージ衣装が話題になることの多いユジャ。しかしながら、その演奏ぶりはと言いますと、スタンドプレーに陥るようなことはなく、作品の内実をしっかりと掴み取っているものが多いと言えそう。
そのうえ、テクニックはキレッキレ。しかも、ただ単にその点だけを「ひけらかしている」のではないところがまた、実に素晴らしい。
そのようなユジャの演奏ぶりは、音盤を聴いても十分に感じ取ることができるのですが、実演において、その神髄のようなものが、よく解ったものでした。
2019年のゴールデンウィークにニューヨークに行った折、ティルソン=トーマス&ニュー・ワールド響の演奏会を聴き、そこにユジャがソリストで呼ばれてプロコフィエフのピアノ協奏曲第5番が演奏されたのでした。会場は、カーネギーホール。
そこでの演奏について、私は、フェイスブックに次のような投稿をしています。
これはもう、ユジャの独壇場でありました。
ユジャの実演に接するのは、これが初めてのことになりますが、もう驚嘆してしまいました。彼女が作り出す音楽世界に、強い力で引きずり込まれていった。
いやはや、衝撃的なピアニストであります。小さな身体から、生気溢れる音楽が迸り出ている。
彼女の音楽を一言で表すならば、敏捷性が高い、というところになるのではないでしょうか。切れ味が鋭い。ある種の野性味が感じられる。そして、とてもスリリングでもある。それらは、敏捷性の高さを元にした特徴であるように思うのです。
なるほど、スポーティだと言えましょう。表面的だとも言えるかもしれません。しかしながら、彼女の音楽には、聴く者を唖然とさせる勢いや生々しさや、躍動感があります。更には、音楽を聴く快感を味あわせてくれる大きな魅力が備わっています。これって、凄いことだと思うのです。素晴らしいことでもあると思うのです。多くの聴衆が、彼女の演奏の虜になる理由がよく解りました。
もう少し、細かく見ていきましょう。
テクニックは、それこそ超人的。この協奏曲は5つの楽章から成っており、真ん中の第3楽章などは、かなりの超絶技巧を要する作品となっていますが(もっとも、超絶技巧を要するのは第3楽章だけではないでしょうが、特に第3楽章はエグいほどに難しそうでした)、それを事も無げにヒョイヒョイヒョイと弾きこなしていくのであります。しかも、音の粒をきっちりと揃え、音楽の抑揚(様々な箇所に意表を衝くアクセントが織り込まれていたりします)を明快に表しながら、音楽を奏でてゆく。そのため、音楽がとても立体的になってくる。そして、目が眩むほどに鮮やかな音楽世界が現れてくる。そう、とても色彩的な音楽になっているのであります。それらは、彼女の持つ超人的なテクニックがあってこそのことだと言えるように思います。
タッチは極めてクリア。気持ちが良いほどに音の粒が立っています。そして、音楽の感じ方がとてもリズミック。音楽にコントラストがくっきりと付いていて、メリハリが効いている。しかも、エッジが効いていながら、しなやかでもある。
そのような演奏法的な特徴を生かしながら、音楽を屈託なく伸びやかに奏でてゆくユジャ。プロコフィエフが、この曲のそこここに散りばめている諧謔性も、巧まざる形で表出されてゆく。
なんともなんとも、見事なピアノでありました。
さて、ドゥダメルとの共演によるプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番についてであります。
この第2番の演奏にも、これまでに書いてきたことが当てはまりましょう。
なんとも敏捷性の高い演奏が繰り広げられています。そして、切れ味の鋭いものとなっている。しかも、その裏側に、豊かな感性を感じ取ることができる。とても伸びやかで、素直な音楽性に裏打ちされた演奏だとも言えそう。
更には、この作品は、ある意味「野獣的」な面があると思うのですが、その辺りの性格がヴィヴィッドに表出されています。そのうえで、プロコフィエフならではの葛藤や、シニカルな音楽表現や、頽廃的な感情が、シッカリと描き出された演奏となっている。
そのような演奏ぶりによって、聴く者を音楽の中にのめり込ませながら、一気呵成に聴かせてゆくような演奏だと言えるように思えます。
そのようなユジャをサポートしているドゥダメルがまた、アグレッシブでスリリングな演奏を繰り広げてくれている。その演奏ぶりは、ユジャの演奏スタイルにとても似つかわしい。
いやはや、なんとも見事な、そして、魅力的な演奏であります。