内田光子さんによるシューマンの≪幻想曲≫を聴いて
内田光子さんによるシューマンの≪幻想曲≫(2010年録音)を聴いてみました。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に収蔵されている音盤での鑑賞になります。
内田さんによる同曲の演奏は、2017年のザルツブルク音楽祭で実演に接しています。そのときのリサイタルのプログラムは、次の通り。
●モーツァルト ピアノソナタ ハ長調 K.545 (旧全集:第15番、新全集:第16番)
●シューマン ≪クライスレリアーナ≫
●ヴィトマン ≪小さなソナタ≫
●シューマン ≪幻想曲≫
このリサイタルでのシューマンの≪幻想曲≫を聴いての感想を、フェイスブックで次のように書いていました。
いよいよ、本日のメインでありますシューマンの2曲に話しを移しましょう。個人的には≪幻想曲≫のほうが遥かに優れた演奏であったように感じましたので、≪幻想曲≫メインで、とりわけ、第2,3楽章メインで話しをしたいと思います。
まずは、2曲を通じて感じたこと、それは精妙でニュアンスが豊かで、しかも、シューマンの熱狂も充分に伝わってきた演奏であったということ。
今回の旅行に出発する前に、2010年録音の≪幻想曲≫を聴いておいたのですが、その演奏からはシューマン特有の熱狂があまり伝わってこなかった。しかしながら、今夜の彼女の演奏には、シューマンの情熱や狂気が内蔵されていたと思います。それも、「下品な」形ではなく、折り目正しい姿を示しながら。この辺りが、いかにも光子さんらしいところですよね。そして、とっても多感で、繊細で、その上で奔放でもある演奏であったと思います。
そんな中でも、白眉は≪幻想曲≫の第2,3楽章だったのではないでしょうか。
第2楽章って、煌びやかでかつ威風堂々とした音楽ですよね。豪放でかつ広大な世界も広がっている。今晩の光子さんは、その辺りを見事に表現し尽くしてくれていました。それはもう、まばゆいばかりに。
ピアノも、豪快に鳴っている。しかしながら、柔らかさや清らかさは全く失われていない。それら全てが、彼女の音楽センスと演奏技術の高さに由来しているのは間違いないでしょう。
そして、第3楽章では神々しいまでの音楽が提示される。それは、あたかも魂が天に昇るような。
非常に音楽性の高い、聴き応え充分なシューマン演奏でありました。
ちなみに、このときのリサイタルでのモーツァルトのピアノソナタにおいて、今でも不思議でならないことが起きました。そのことについてもフェイスブックに記載していますので、ここで紹介したいと思います。
さて、ここからは、私にとっては不可解なことが起きた(ように思えた)ので、そのことについて書きたいと思います。
第2楽章ももう終わろうというところで、音楽が停滞したんです。「迷い」と言っても良いかもしれない。それは、突如として起こったのでした。もしや、光子さんの頭から、音楽が消えたのではないだろうか、といった感じで。恐らく、これまでに何百回と弾いてきたであろうハ長調ソナタの音楽が頭から消えたように。そして、音楽がぎこちなくなった。
その感じは、第3楽章にも現れていました。迷いながら、手探りで弾いているような感じ。第2楽章の終わりで起きたことに動揺しているかのような感じ。
訥々と弾かれてゆく第3楽章。恐らくこれは、最初からのプランでありましょう。そのことによって、独自の味わいが与えられていました。しかしながら、音楽が飛翔しない。
何とも不思議でありました。
なお、この日の晩、内田さんはザルツブルクの市内で転倒し、大怪我をされています。そのために、数か月間、演奏会をキャンセルすることになった。
このニュースを耳にした時、私は、ある程度、合点がいったものでした。それは、モーツァルトのハ長調ソナタでのアクシデント(音楽が突然、内田さんの頭から消えてしまった)に気が動転してしまったが故の転倒だったのではないだろうか。私には、そのように思えてなりませんでした。
前置きが随分と長くなりました。
ここからは、2010年に録音された音盤でのシューマンの≪幻想曲≫について書いてゆくことに致しましょう。
内田さんらしい、思索的な演奏であります。夢幻的でもある。そして、自己投入が強くて没我的な演奏となっている。
そのような傾向は、とりわけ、第1楽章において顕著であります。
そこへいきますと、第2楽章は、かなり豪壮で煌びやかな音楽が鳴り響いています。しかしながら、ザルツブルク音楽祭での演奏への感想の中でも書いていましたように、この2010年録音での演奏では、音楽が今一つ熱狂的なものとなっていないように思える。第1楽章での演奏で感じられた思索的な性格が、この楽章においても影を落としているように思えるのであります。
そこへいきますと、第3楽章では、実演で接したときに感じたのと同様に、神々しいまでの音楽が提示されている。そして、魂が天に昇るかのような心情に浸ることとなる。ちょうど真ん中辺りの箇所では、強靭で、かつ、毅然とした音楽が鳴り響いてもいる。
そしてこれは3つの楽章に共通して言えることなのですが、洗練味を帯びていて、キメの細かい音楽が奏で上げられている。しかも音色は非常に美しい。そう、精妙なるピアニズムが披露されている。
2017年にザルツブルク音楽祭で聴いた≪幻想曲≫を思い起こさせてくれる箇所も少なからずあった、この音盤。聴いていますと、ホールで味わった感銘が部分的に蘇ってくる。
これもまた、音盤の一つの効用だと言えるのではないでしょうか。