横川奏さん&大阪フィルによる定期演奏会の初日(≪火の鳥≫全曲と、金川真弓さんとのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲)を聴いて

昨日(6/21)は、横川奏さん&大阪フィルによる定期演奏会の初日を聴いてきました。演目は、下記の2曲。
●チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲(独奏:金川真弓さん)
●ストラヴィンスキー ≪火の鳥≫全曲

当初は、デュトワが指揮する予定でした。
デュトワ&大阪フィルのコンビは2022年と2023年に実演に触れており、そのいずれの回でも、デュトワならではの魔術的な音楽づくりによってエレガントかつダイナミックな演奏を繰り広げてくれて、大いに魅了されたものでした。今回は、ストラヴィンスキーの≪火の鳥≫全曲版を採り上げてくれる。きっと素晴らしい演奏に触れることができるだろう。それは、半ば、確信のようなものでありました。
期待に胸を弾ませながら大阪フェスティバルホールへ向かった私。しかしながら、会場に到着すると、デュトワがキャンセルとなった旨を通知する貼り紙が目に飛び込んできた。その瞬間、目の前が真っ暗になった。
いきさつは、次のような流れ。
デュトワは、6/8(土),11(火)の2日間、東京で新日本フィルとの演奏会に登壇していました。しかしながら、その際にデュトワは、何らかのウィルスに感染してしまったようです。6/18に大阪フィルとのリハーサルの初日に臨むと、途中で気分がとても悪くなり、最後までリハーサルを続けることができなかった。スイスの主治医に相談したところ、すぐに休養すべきだとのアドバイスを受けたために、やむなく降板することに。
そこで、横山奏さんという方が代役を引き受けることに。
(上記の経緯等につきましては、デュトワ本人のコメントと、楽団からのコメントとを抜粋しました。参考に、会場に掲示されていた貼り紙の写真を添付致します。)

ところで横山さんについてですが、1984年生まれということですので、今年ちょうど40歳を迎える指揮者になります。札響、都響、読響をはじめとする国内の数多くのオケと共演されているよう。
帰宅するまで、私はピンときていなかったのですが、横山さんの演奏に接するのは、これが2回目でありました。ちょうど1年前のこと、昨年の6月に井上道義さんが兵庫芸術文化センター管(通称:PACオケ)と演奏することになっていた≪火の鳥≫全曲でも、井上さんが体調不良で降板されて、私が鑑賞した日に代役で指揮していたのが横山さんだったのでした。

デュトワの代理は、そうそう務まるものではないでしょう。私の胸にポッカリと開いた大きな大きな穴も、そうそう埋まりそうにない。
もうこうなれば、横山さんに目いっぱい奮闘してもらうしかない。開演前は、そのように願うのみでありました。
なお、前半は、金川真弓さんによるチャイコフスキー。こちらにも、当初から大注目していました。きっと、金川さんらしい、逞しい生命力に溢れた演奏に聞かせてくれることだろうと、大きな期待を寄せていました。

それでは、この日の演奏をどのように聴いたのかについて書いてゆくことに致しましょう。まずは、前半のチャイコフスキーから。
金川さん、期待を上回る素晴らしさでありました。デュトワ不在の寂しさを感じることもなかった。もし仮に、メインの≪火の鳥≫がガッカリするような演奏になったとしても、この、金川さんによるチャイコフスキーを聴けただけでも聴きに来た甲斐があった。そのような思いを抱いたものでした。
予想していた通りに、逞しい生命力に溢れた演奏ぶりでありました。実に骨太な演奏。そして、雄弁であった。
そのうえで、即興性に溢れていたようにも感じられた。ひょっとすると、リハーサルとは違う箇所からアッチェレランドを掛け始めていたのではないだろうか、と感じられた箇所があったりました。更に言えば、自在にデュナーミクの変化を付けたりしていたようにも感じられた。そのようなこともあって、表情が伸び伸びとしていた。また、音楽がしなやかに息づいていた。時に、ハッと息を飲むような表情を見せてくれたりもした。
しかも、それらが、単なる思いつきではなく、作品の起伏や息遣いに寄り添ったものになっていた。
そんなこんなのうえで、響きが豊かで、艷やかでもある。ピンと張り詰めた緊迫感がありながらも、豊穣にして、ゆとりのある音楽が鳴り響いていた。
聴いている間じゅう、幸福感に包まれながら音楽の中に身を置くことのできた、素晴らしい演奏でありました。極上のヴァイオリン演奏に触れることができた。そんな思いを噛みしめることのできた演奏でありました。
ちなみに、横山さんの指揮も、金川さんをシッカリとサポートしていて、音楽性の豊かさが感じられる演奏ぶりでありました。
なお、金川さんによるアンコールはパガニーニによる≪24のカプリース≫から第1曲目。
超絶技巧が織り込まれつつ、歌謡性に満ちた音楽が綴られているこの作品。ここでの演奏は、なんとなく、まだ手の内に収めきれていないようなぎこちなさが感じられたりもしたのですが、金川さんらしい、骨太かつ艷やかなパガニーニでありました。

続きましては、メインの≪火の鳥≫について。
開演前、デュトワがいなくなった穴を埋めて頂くだけの奮闘を横山さんに期待したのですが、その望みは、かなり現実のものにしてくれていました。
生き生きとしていて、しなやかで、息遣いの豊かな演奏でありました。作品のツボをシッカリと押さえてくれていた。そういった点は、金川さんをバックアップしていたチャイコフスキーでも感じ取れたのですが、金川さんがいなくなっても、音楽が貧弱になるようなことなく、聴き応えのある音楽を奏で上げてくれていました。バレエ音楽としての劇性の表出や、語り口の巧みさや、といったものも十分でありました。
何よりも、音楽が実にスムーズに、そして、的確に流れていた。「王女たちのロンド」が終わって「夜明け」に入った辺りから、音楽は逞しさを増してエネルギッシュになり、鮮烈度も増してゆくのですが、そこでの生命力に溢れた演奏ぶりも見事でした。そのクライマックスが「カスチェイの凶悪な踊り」で築かれることとなりますが、躍動感に満ちていて、スリリングでもあった。
(ちなみに、カスチェイに入ってすぐの箇所で、トロンボーン奏者3人のうちの誰かが飛び出してしまっていたよう。周りが大音量のため、随分と掻き消されていましたが、まず間違いなく飛び出していた奏者がいました。この日の演奏が、かなり興奮度が高かったが故に、ついつい飛び出してしまったのでしょうか。)
また、デュトワ不在ということで、大フィルの団員も代役の横山さんを盛り立てようと、躍起になっていたようにも思えました。例えば、ヴァイオリン群が刻みでクレッシェンド・デクレッシェンドを施す場面などでは、前のめりになって、その効果を強調しようとしていたようです。
ということで、思いの外、と言えばちょっと意地悪ですが、随分と楽しめた演奏でありました。とは言ったものの、やはり、デュトワ不在への寂しさを隠しきれませんでした。
デュトワであれば、もっと、眩いまでの色彩感に満ちた≪火の鳥≫を楽しむことができたであろう、という思いが込み上げてきたのでした。音の重心をもっと高いところに持たせながら浮遊感のある音たちが戯れるような≪火の鳥≫を楽しむことができたに違いない、もっと精妙な≪火の鳥≫を楽しめたに違いない、エネルギッシュでありながらもエレガントな美しさを湛えた≪火の鳥≫を楽しめたに違いない、と。
もっとも、このような芸当を可能にするのは、デュトワのみだと言えましょう。デュトワがキャンセルした時点で、今書いたような≪火の鳥≫を楽しむことは不可能なこととなってしまい、諦めざるを得なかったのだと自分に言い聞かせるしかありません。その点が残念ではありましたが、一定の満足感を得ることのできた≪火の鳥≫でありました。

ちなみに、昨年のPACオケとの≪火の鳥≫でも、カスチェイの場面で繰り広げられた、エッジを立てながらのダイナミックな演奏ぶりが、私にとっては、その日の演奏の中で最もシックリきた箇所だったと書いていました。
もっとも、そのときの演奏に対して、表情が平板になることが多かったとも書いています。1年前のPACオケへの代役は、かなり不規則な経緯がありまして、3日間の公演のうち、最初の2日間は井田勝大さんという指揮者が代役を務め、最終日のみ横山さんが指揮を執ることに。井田さんという指揮者は、井上道義さんが西宮に来られる前の練習をつけていたようでして、その流れから、最初の2日間の公演を指揮したとのこと。そのような中で、私は最終日の横山さん指揮による≪火の鳥≫に接した。
1年前のPACオケでの≪火の鳥≫では、横山さん、オケを十分に掌握できていない状態で演奏会に臨まざるを得なかったのかもしれません。そのために、表情が平板になる箇所が多かったのでしょうか。今回の大阪フィルとの共演では、PACオケのときよりも多くのリハーサルを積むことができたはずですので、ご自身の志向する音楽をかなり具現化できていたのではないでしょうか。