R・ゼルキン&小澤さんによるベートーヴェンの≪皇帝≫を聴いて

ルドルフ・ゼルキン&小澤さん&ボストン響によるベートーヴェンの≪皇帝≫(1981年録音)を聴いてみました。

R・ゼルキン(1903-1991)は、チェコに生まれたユダヤ系のピアニストでありますが、1939年にナチスから逃れるためにアメリカに移住し、以降はアメリカを拠点に演奏活動を展開した、20世紀を代表するピアニストの一人であります。アメリカのバーモント州マールボロに、演奏家の教育を目的とするマールボロ音楽祭をアドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)、マルセル・モイーズ(フルート)らとともに立ち上げるなど、後進の指導・教育にも熱心でありました。そのマールボロ音楽祭には、R・ゼルキンの招きによってパブロ・カザルスも登場し、ライヴ録音をはじめとした数々の貴重な録音を遺してくれることとなってもいます。
R・ゼルキンによる演奏の特徴、それは、堅固な音楽づくりをベースにしながら、真摯に音楽を奏で上げてゆく点にあるように思います。語り口が訥々としていて、ちょっとゴツゴツとした肌触りを示すことが多かったりもする。その一方で、タッチは毅然としており、そこから生まれる硬質な響きは、不純物の含まれていないピュアな美しさを湛えている。そして、音楽が示す佇まいもまた、響きと同様にピュアで美しい。そのうえで、とても風格豊かな演奏が繰り広げられてゆく。
そういった特徴を備えているR・ゼルキンの演奏は、彼の楽壇に対する献身的な姿勢と重なり合うところが多いように思えます。

そのようなR・ゼルキンと小澤さんによる≪皇帝≫でありますが、個人的には、ルービンシュタイン&バレンボイム盤と並んで、この作品のベスト2を形成するお気に入りの音盤となっています。
ここでの演奏は、グランドマナーのスタイルが貫き通された、オーソドックスな味わいに満ちたものであると言えましょう。そのような演奏ぶりが、この作品には誠に相応しい。
テンポは概して遅め。じっくりと腰を据えながら、どっしりと構えた姿勢で演奏は進められてゆく。そのような演奏ぶりによって、ここでの演奏の安定感は抜群。それもう、微動だにしないと思われるほどに、揺るぎないものとなっています。そして、すべての音が充実し切っており、雄大な音楽世界が広がっている。
それでいて、どこにも無駄な力が入っていない。そう、音楽を「がなり立てる」ような気配は、微塵も感じられないのであります。そのようなこともあって、充分に勇壮でありつつも、優美でもある。そして、コクが深く、味わい豊かな音楽となってもいる。
やや硬質なゼルキンのピアノの響きを、重厚で柔軟性があって暖かみのあるオケの響きで包み込む小澤さんのサポート。そこには、小澤さんのゼルキンに対する敬愛のようなものを感じることもできます。更に言えば、ゼルキンの「人間的な優しさ」のようなものも充分に滲み出ている(特に第2楽章において)音楽となってもいる。

大言壮語などはせずに、この作品の偉大さを等身大の姿で表現し尽している演奏。
なんとも魅力的な演奏であります。