ムーティ&シカゴ響によるショスタコーヴィチの≪バビ・ヤール≫を聴いて

ムーティ&シカゴ響によるショスタコーヴィチの≪バビ・ヤール≫(2018年ライヴ)を聴いてみました。バス独唱は、先日の井上道義さん&大阪フィルでの公演でも独唱を務めたティホミーロフ。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に収蔵されている音盤での鑑賞になります。

ムーティならではの、キリっとして引き締まった演奏となっています。ストイックな音楽づくりとなってもいる。
ムーティと言えば、エネルギッシュにしてドラマティック、更には、グラマラスでゴージャスな演奏を繰り広げることの多い指揮者だというイメージが強いのではないでしょうか。確かに、若い頃から、1980年代辺りまでは、そのような演奏ぶりを示すことが多かったように思えます。しかしながら、1990年代辺りから、ストイックな性格も前面に押し出されることが多くなった。それにともなって、ただひたすらにエネルギーが外に向かって放射される、というよりも、凝縮度の高い演奏を繰り広げることもしばしば。この≪バビ・ヤール≫は、殊更に、その傾向が強いように思えます。とりわけ、第4楽章の「恐怖」において、そのことが顕著に感じられた。第2楽章の「ユーモア」では、おどけたり、はしゃいだり、といった仕草は見いだせない。
そんなこんなによって、凄惨な音楽だという雰囲気は、ほとんど漂ってくることはありません。その代わりに、純音楽的な美しさが示されている。
そのうえで、もう一つのムーティの特徴である、エネルギッシュな要素もシッカリと窺えます。更に言えば、目鼻立ちがクッキリとしていて、クリアな演奏が繰り広げられている。そこへもってきて、シカゴ響による精緻な演奏ぶりがまた、この演奏を、より一層鮮明なものにしてくれている。

そのようなムーティの演奏ぶりに呼応するかのように、ティホミーロフの歌いぶりも、硬質で、凝縮度の高い歌唱が繰り広げられています。それは、井上さんとの共演から感じられた、朗々としていて、恰幅の良さが前面に押し出された歌いぶりとは、肌合いが異なるように思える。この点も、頗る興味深かった。

暗澹とした気分に伏せたり、作品によって打ちひしがれたり、といった状態に陥ることのない演奏。そう、スッキリとした気分で聴き通すことのできる、そんな≪バビ・ヤール≫。
このような≪バビ・ヤール≫の演奏も、ありがたいと言えるのではないでしょうか。