鈴木秀美さん&神戸市室内管によるハイドンの≪天地創造≫の実演に触れて
今日は、鈴木秀美さん&神戸市室内管の演奏会を聴いてきました。
演目は、ハイドンの≪天地創造≫。この曲を実演で聴くのは初めてになります。
独唱陣は下記の通り。
ソプラノ:隠岐彩夏さん
テノール:櫻田亮さん
バス:氷見健一郎さん
このコンビによる演奏会は、昨年の4月から通い始めて、これが5回目になります。バロック音楽から古典派に定評のある鈴木秀美さんが、どのような演奏を繰り広げてくれるのだろうか。きっと、奇を衒わない音楽づくりを基調としながら、キビキビとしていて、かつ、逞しい演奏が展開されることだろうと期待を込めていました。
大作に触れるということで、身が引き締まるとともに、どのような体験になるのだろうかとワクワクしながら会場に向かったものでした。
私のとっての初の実演となる≪天地創造≫は、大いに感銘を受ける演奏となりました。
鈴木さんが統率しての演奏、それは、想像していた通りの、ケレン味がなくて、かつ、清新な演奏が繰り広げられていた。屈託がなくて、伸びやかでもある。終始、晴朗な音楽が鳴り響いていた。
適度に輝かしくあった。充分に劇的でもあった。必要に応じて厳かでもあった。それでいて、人懐っこさが感じられもした。プレトークで鈴木さんは「ハイドンって、親しげな雰囲気がありますよね」と語っておられましたが、その印象が、クッキリと表されていた。
スッキリとしていながらも、メリハリが効いている。溌剌としていて、晴れやかで、生命力に溢れている。そのうえで、情趣深くもあった。音楽への愛情に溢れている。優しさに満ちていて、人間味溢れる暖かさが滲み出ていた。
そんなこんなのうえで、劇的で、十分に力強い。雄弁でもあった。音楽がしなやかに息づいていて、躍動感に満ちてもいた。そして何よりも、音楽の息遣いが豊かでもあった。この演奏の最大の美質、それは、息遣いの豊かさにあったと言えるのではないでしょうか。
そういったことの何もかもついてのバランスが、実に好ましかった。
鈴木さんの音楽性の豊かさ、もっと言えば、人間性の豊かさが滲み出た演奏だったと思えてなりませんでした。
そのような鈴木さんの音楽づくりに対して、オケは清々しくも、覇気の籠った演奏で応えてくれていた。合唱団も、スッキリとしていながら力強さや輝かしさにも不足はなかった。そのような演奏ぶりを引き出した鈴木さんの統率の素晴らしさに、ただただ感謝するのみ、といった思いで客席に座っていました。
一方の独唱陣では、テノールの櫻田さんが抜きん出て素晴らしかった。
端正で、格調高い。キリっとしていて、背筋のピンと伸びた歌いぶりを繰り広げてくれていました。伸びやかでもある。そのうえで、柔らかくて、甘過ぎるようにならない範囲で甘美でもあった。しかも、適度にハリがあった。すなわち、いかにもテノールらしい歌いぶり、それも、オラトリオに相応しい歌いぶりだったと思えてならなかった。
ちょっと大袈裟かもしれませんが、シュライアーに通じるような歌いぶりだったと言いたい。
鈴木さんの折り目正しくて清々しくて、かつ、活力に溢れた演奏とも、頗る相性が良いようにも思えたテノール独唱でありました。
次いで、ソプラノの隠岐さんに惹かれた。
チャーミングな歌いぶりが、実に魅力的だった。声の柔らかさや、歌いぶりのしなやかさなども含めて、誠にキュートな歌でありました。典型的なリリコによる歌を聴くことができました。
但し、テノールの櫻田さんに比べると、声が細くて、声の通りが悪かった(声量うんぬんではなく、ピンと立った歌声をホールいっぱいに響かせるといったところが十分ではなかった)のが、ちょっぴり不満として残りました。その不満さえなければ、櫻田さんに肩を並べるような感銘になったと思えます。
残念だったのは、バスの氷見さん。
ときに貫禄タップリで、深々とした歌を聞かせてくれたのですが、ときに格調に欠けた歌いぶりになっていたと言いましょうか、歌のフォルムを維持しきれずに、だらしなさのようなものが感じられたのが、もったいなかった。櫻田さんの歌があまりに格調高かったがゆえに、割を食ったといったところもあったように思えた。
と、色々と書いてきましたが、総じて、完成度の高い演奏だったと思えます。そして、≪天地創造≫の魅力を存分に味わうことのできた演奏でありました。