タローをソリストに迎えての、太田弦さん&京都市交響楽団による演奏会(10/14)を聴いて

昨日(10/14)は、太田弦さん&京都市交響楽団の演奏会を聴いてきました。演目は、下記の4曲。
●ラヴェル ≪スペイン狂詩曲≫
●ラヴェル ピアノ協奏曲(独奏:タロー)
●武満徹 ≪波の盆≫
●尾高尚忠 交響曲第1番

前半にラヴェルを、後半に邦人作品を並べるという、意欲的なプログラム。
太田弦さんを聴くのは初めてで、どのような演奏を繰り広げてくれるのであろうかと、期待に胸を膨らませての鑑賞でありました。そして、私にとってのこの日の一番のお目当てはタロー。きっと、素晴らしいラヴェルのピアノ協奏曲になるであろうと、ワクワクしながら会場へと向かったものでした。

さて、実際に聴いてみて抱いた思い、それは、期待を超える素晴らしい演奏会だったということ。とりわけ、一番のお目当てだったタローによるピアノ演奏の、なんと素晴らしかったこと。アンコールを2曲弾いてくれたこともあって、前半を終わった時点では、これは京響の演奏会ではなく、タローのための演奏会なのだと思えてしまったほど。
と言いつつも、太田さんも全4曲を通じて素晴らしかった。折り目正しくも、作品の鼓動をしっかりと伝えてくれる演奏を聴かせてくれていた。
そんなこんなを含めて、大満足の演奏会でありました。

ホールの入口の様子

それでは、もう少し細かく書いてゆくことにしましょう。タローについては最後に触れることに致しまして、まずは太田さんについて。
太田さんは1994年の生まれということですので、まだ20代。その若さで、来年には九州交響楽団の首席指揮者に就任することが決まっているようです。プログラム冊子には「今後さらなる活躍が期待される若手指揮者筆頭」と紹介されていましたが、この日の演奏会に接すると、その言葉に誇張はない、と思えてなりませんでした。
真面目な方なのでしょう。はったりのない、率直な音楽を終始奏で上げていました。ウケ狙いのようなものが全く感じられず、ケレン味がない。それは、プレトークでの語りにも滲み出ていたように思えます。
それでいて、音楽から硬さは感じられなかった。むしろ、自然に呼吸していた。音楽が、作品が求めている通りに収縮し、かつ、ドラマティックな感興と落ち着いた佇まいとが描き分けられてゆくのであります。例えば、ラヴェルの≪スペイン狂詩曲≫の冒頭の「夜の前奏曲」では、音楽がユラユラと揺らめいていて、そのうえで、ちょっとした音量の増減が誠に的確。音量が増すことによって、音楽に膨らみが生まれても来る。音楽が鎮静化しても、痩せるようなことはなく、精妙な音楽が響き渡ってゆく。そのような音楽が、作品が要求している通りに現れてくる。そんなふうに思わずにはおれませんでした。
≪スペイン狂詩曲≫の第2曲目以降についても、作品に寄り添った演奏ぶりが続く。曲想に応じて音楽はしっかりと律動し、気だるさを帯びた部分では曲想に応じて音楽が明滅するかのよう。終曲の「祭り」は、テンポをもう少し速く採ってくれるとより一層疾走感が出たのではという嫌いはあったものの、躍動感に不足は無かった。
いずれにしましても、作品の持つ息遣いが、なんの誇張もなく表出されてゆく、聴き応え十分な≪スペイン狂詩曲≫でありました。
そのような演奏ぶりは、後半の2つの邦人作品でも健在。身のこなしのしなやかさはむしろ、ラヴェル以上だったとも思えたものでした。
とにかく、音楽における「呼吸感」が、頗る自然でありました。そのことによって、音楽が豊かに息づく。そして、メリハリがきっちりと付いてゆく。そう、目鼻立ちのクッキリとした、端正な音楽が鳴り響くこととなっていた。しかも、実に活き活きと。尾高作品では、折り目正しさの中に、鮮烈さがあり、適正なダイナミズムが生まれてもいた。
そのような太田さんの音楽づくりに対して、京響のメンバーが見事に反応していたのもまた、実に素晴らしかった。太田さんが作り出そうとする音楽の流れにわざとらしさがなく、頗る明快なため、反応しやすかったこともあったのでしょうが、精妙にして活き活きとした音楽を、終始奏で上げてくれていました。

いよいよ、ここからは、本日の目玉だと思えたタローについて触れていきたいと思います。
実にクリアな音楽が奏で上げられていました。音の粒がクッキリとしていて、かつ、エッジが立っている。贅肉の付いていないスリムな響きと音楽づくりをベースにしながら、明晰にして精妙な音楽を奏で上げてゆく。
リズミカルで、句読点がしっかりと打たれていて、音楽に歯切れの良さが生まれてもいた。必要に応じて強い打鍵が示され、そのことによって音楽に起伏が生まれもしていた。
そのうえで、夢見るような詩情が漂ってもいる。それは特に、第2楽章において顕著で、誠に美しい音楽世界が広がっていました。
しかも、音が透き通っている。それでいて、煌びやかでもあった。その色合いの変化に、わざとらしさが微塵も感じられない。基本的には響きは硬質なのですが、柔らかさや優しさが備えられてもいた。身のこなしがしなやかでもあった。
とにもかくにも、音楽が千変万化する。しかも、その様は、この作品が要求している通りだと思わずにおれなかった。めくるめく音楽が鳴り響いていた20分間強でありました。そして、タローの類まれなる音楽性の豊かさを実感した20分間強でありました。
そのようなタローに対して、太田さんもまた、しなやかにして精妙な音楽を奏で上げてゆく。太田さんの音楽性には、タローと似通ったものがあるようにも思えた次第。頗る相性が良いコンビなのではないでしょうか。
アンコールで披露されたのは、エディット・ピアフによるシャンソン音楽と、サティの≪グノシエンヌ≫から。前者では、リズミカルにして煽情的な音楽を、後者では儚くて繊細な音楽を奏で上げてくれていて、こちらも絶妙でありました。

いやはや、タローにも、太田さんにも、そして京響にも、いくら感謝してもし足りないくらいの素晴らしい演奏でありました。