尾高忠明さん&大阪フィル+アラベラ=美歩・シュタインバッハ―による、オール・メンデルスゾーン・プロを聴いて

今日は、大阪シンフォニーホールで尾高忠明さん&大阪フィルの演奏会を聴いてきました。全4回にわたるメンデルスゾーン・チクルスの第1回目。
曲目は、下記の3曲になります。
●序曲≪静かな海と楽しい航海≫
●ヴァイオリン協奏曲(独奏: アラベラ=美歩・シュタインバッハ―)
●交響曲第1番

一番のお目当ては、シュタインバッハ―。彼女の実演に接するのは、2019年の春にルイージ&デンマーク王立響との福岡公演でブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番を聴いて以来で、本日が2回目になります。その福岡公演では、テクニックの正確さと、音色の美しさ、そして、淡さや繊細さを持たせたり濃厚な音楽づくりを示したりといったニュアンスの細やかさに、唖然としたものでした。はたして、今日は、どのようなメンデルスゾーンを聞かせてくれるのだろうかと、期待に胸を膨らませて会場へと向かったものでした。
また、滅多に実演で採り上げられることのない交響曲第1番を聴くことができるのも楽しみ。この曲を実演で接するのも、チクルスならではだと言えましょう。

本日の演奏会の白眉、それはやはりと言いましょうか、シュタインバッハーによるヴァイオリン協奏曲でありました。
シュタインバッハ―、期待していた以上に素晴らしかった。音楽センスの塊のようなヴァイオリニストによる音楽を聴いた。そのような思いで満たされたものでした。音色の美しさと言い、テクニックの確かさと言い、ニュアンスの細やかさと言い、唖然とさせられるほどに見事だった。
基本的には繊細な表情付けによって、作品を描き上げっていました。随所で声を潜めながら、音楽に陰影を与えてゆく。ある種、緊張を聴き手に強いる演奏でもあった。第1楽章のカデンツァなどはその代表例で、息を飲みながら聴き入ったものでした。
と言いつつも、常に聴き手に緊張を強いる訳ではありません。彼女が奏でる音楽は、実に伸びやかで、息遣いが自然であった。随所で音楽は伸び縮みするのですが、そのアゴーギクは極めて自然で、作品の呼吸に沿ったものだった。
しかも、キリっとした佇まいをしていながらも、艶やかにして、甘美な音楽が鳴り響いてゆく。その様の、なんと麗しいこと。端正にして、ロマンティックで艶やかでニュアンスの細やかな音楽。彼女が奏でた音楽は、そのような表現が相応しいでしょう。第2楽章での歌心の豊かさも、比類がなかった。
そのうえで、必要に応じて骨太な音を鳴らすこともしばしば。それはもう、ゴシゴシと楽器を鳴らす、といった塩梅。それでいて、音楽が汚れるようなことはない。キチッとした美感が保たれている。どんなに声高に音楽を奏で上げても、吼えるような音楽にはならず、凶暴になることもない。音楽のフォルムが崩れるようなこともない。そこで鳴り響いていた音楽は、肉付きの良い、豊かな音楽だったのであります。
更に言えば、敏捷性や小気味良さにも不足はない。第3楽章などは誠に軽妙な演奏となっていました。楚々としていながらも、華やかであった。
なにもかもが、音楽的な「正統性」といったものを裏付けとした演奏が展開されていた。そんなふうに言いたくなる演奏でありました。
尾高さん&大フィルがまた、シュタインバッハーに寄り添ったバックアップを見せてくれていて、嬉しい限り。作品のツボをしっかりと押さえたものとなっていた。そのうえで、シュタインバッハ―による伸び縮みの激しい演奏に、ピタリと合わせていた。シュタインバッハーのヴァイオリンを全く邪魔することなく、しっかりと支えながら、千変万化するヴァイオリンに見事に呼応していた。そのようなバックアップぶりでありました。
なお、前プロの≪静かな海と航海≫は、序奏部のアンサンブルが粗かったのが残念。そこでの音楽の精妙さを支え切れていなかった、という印象でありました。
しかしながら、主部に入ると、推進力に満ちた、生き生きとした音楽が響き渡っていた。演奏会の冒頭に置かれる演奏会用序曲が持つ、その日の演奏会への胸躍る期待感が、クリアかつ朗らかな形で描き出されてゆく演奏でありました。

さて、休憩後に演奏された、メインの交響曲第1番であります。覇気に満ちた演奏でした。実に勇壮であった。
この作品は、確かにそのような性格を持っていましょう。パッショネートで、エモーショナルな音楽。大きなエネルギーが噴出される音楽。ドラマティックでもある。焦燥感に満ちた表情を示すことも多い。
尾高さん&大フィルは、そのような性格をあますところなく描き上げてくれていました。しかしながら、なんだか、空々しかった。必要以上に拳を振り上げ過ぎていたようにも思えた。力み過ぎてもいた。その結果として、騒がしい音楽になっていた。
もっと、しなやかであって欲しかった。もっと、艶やかであって欲しかった。もっと、潤いが欲しかった。
第1楽章などは、アレグロ・コン・ブリオと言いたくなるような演奏ぶりでありました(メンデルスゾーンが表記したのはアレグロ・ディ・モルト)。なるほど、凝縮度の高い演奏ぶりでありましたが、音の拡がり感があっても良かったのでは。そして、オケ全体がバリバリと弾き過ぎていた(特に第1ヴァイオリンが)。そのために、窮屈な音楽になっていたように思えて仕方がなかったのです。ヒステリックだったとも言えそう。輝かしくはあったのですが、繰り返しになりますが、空々しかった。一事が万事。そのような窮屈で、騒々しくて、ヒステリックな演奏ぶりに終始していた、と感ぜられたものでした。
あまりに一面的な演奏。この作品には、もっと伸びやかさであったり、柔らかさであったり、優美さであったり、といったものも備わっていて欲しかった、というのが正直なところであります。

縷々書いてきましたが、シュタインバッハ―による、破格とも言える素晴らしい演奏(それは、凄演といった言い方は相応しくない、もっと、凛々しい演奏でありました)に接することができたことに、無上の喜びを感じた演奏会でありました。
これほどまでに素晴らしいメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、そうそうは巡り会うことはできないでしょう。