びわ湖ホールでの≪ニュルンベルクのマイスタージンガー≫を観劇して

今日は、びわ湖ホールで≪ニュルンベルクのマイスタージンガー≫を観劇してきました。

出演は、下記の通りになります。
ハンス・ザックス:青山 貴
ファイト・ポーグナー:妻屋 秀和
ヴァルター・フォン・シュトルツィング:福井 敬
ダヴィッド:清水 徹太郎
ジクストゥス・ベックメッサ―:黒田 博
フリッツ・コートナー:大西 宇宙
クンツ・フォーゲルゲザング:村上 公太
コンラート・ナハティガル:近藤 圭
バルタザール・ツォルン:チャールズ・キム
ウルリヒ・アイスリンガー:チン・ソンウォン
アウグスティン・モーザー:高橋 淳
ヘルマン・オルテル:友清 崇
ハンス・シュヴァルツ:松森 治
ハンス・フォルツ:斉木 健詞
エヴァ:森谷 真理
マグダレーネ:八木 寿子
夜警:平野 和

ステージング(演出):粟國 淳
指揮:沼尻 竜典
管弦楽:京都市交響楽団

今月で沼尻竜典さんは、2007年から務めてきたびわ湖ホールの芸術監督を退任。この16年の在任期間中にワーグナーのオペラを上演するのは、2010年10月公演の≪トリスタンとイゾルデ≫を皮切りにして、これが10作目になるようです。そして、バイロイト音楽祭で上演される≪さまよえるオランダ人≫以降の10作品を採り上げたことになるとのこと。
一つの劇場で、同じ指揮者が、この10作品すべてを指揮するのは、日本では初めのことだそうです。記念すべき公演だと言えましょう。
(次季からの音楽監督には、阪哲朗さんの就任が決まっています。)

さて、本日の出演者の中で最も期待していたのが、ヴァルターを歌う福井敬さんでありました。昨年のびわ湖ホールでのパルジファルが素晴らしかっただけに、大いに楽しみにしながら会場へと向かったものでした。
ところで、13時の開演でありましたが、幕間に30分ずつの休憩が採られて、終演予定は19時(実際には、18時40分くらいに終演)。なんという長丁場。
なお、新型コロナの感染拡大防止のために、セミ・ステージ形式での上演でありました。

びわ湖ホールのロビーからの琵琶湖の眺め

終演しての感想は、なかなかの好演だったな、ということ。長い観劇となり、とても疲れたのですが、心地よい疲れでもありました。
爽やかな疲れだったとも言えそう。それは、このオペラが喜劇的な性格を備えていることに加えて、演奏が決して重量級ではなかったことにも依りましょう。

沼尻さんの、ここでの音楽づくりは、作品のツボをしっかりと押さえながら、明朗に音楽を奏で上げてゆく、と言えるようなものでありました。変に深刻ぶるようなことはしない。そのような演奏ぶりが、とても好ましかった。
そういった印象は、これまでに実演で聴いてきた沼尻さんの演奏と共通するもの。開放感に満ちた音楽づくりを基調としながら、健康的な演奏を繰り広げてゆく。そして、華やかさを持っている。そのような沼尻さんの音楽性が、≪マイスタージンガー≫とは相性が良いのでしょう。そんなふうに思えたものでした。
第1幕の前奏曲では、滑らかさが強調されていて、そのうえで力感や壮麗さが後退しているように聞こえて、ちょっと心配をしたのですが、幕が開くと、明朗な音楽が作品に寄り添うように紡ぎ上げられてゆき、安心して、このオペラの世界に身を置きながら聴き進むことができた。とりわけ、第2幕が開幕してすぐの、ヨハネ祭の到来を喜ぶ徒弟たちの合唱での朗らかな演奏ぶりなどは、本日の演奏の特徴がクッキリと現れていたシーンで、印象的でありました。
しかも、本日の演奏では、しなやかさがあった。幕を追うごとに、誇張のない範囲で壮麗な音楽づくりを見せてくれるようにもなった。まさに、本日の公演をシッカリと支えてくれていた指揮ぶりだったと言えましょう。

屋根が湾曲している建物が、びわ湖ホールになります

歌手陣では、まずもって、開演前から期待していた福井さんによるヴァルターが素晴らしかった。凛としていて、かつ、輝かしい。それは、声にしましても、歌いぶりにしましても。しかも、この青年騎士に相応しい若々しさや清々しさが備わっていた。歌い口が真っ直ぐでもあった。そのような歌唱が、ヴァルターにピッタリだと思えたものです。
聴かせ処の第3幕も見事。端正にして、輝かしい歌を披露してくれていました。「夢解きの歌」では、訥々とした表情も織り混ぜていて、そこがまた、なんともユニークでありました。
興味深かったのは、ザックス役の青山さん。威厳がありつつも、あまり押し付けがましさがなく、暖かみのあるザックスになっていたのであります。そして、若々しくて、覇気がある。ザックスは、初老のマイスターといったイメージ(年齢で言えば、40代後半から50代くらいでしょうか)を持っていますが、青山さんによるザックスは、30代くらいなのかなといった印象。声や歌いぶりも、朗々としている。
ユニークでありつつ、聴き応え十分なザックスでありました。
ユニークと言えば、黒田さんによるベックメッサ―も実に個性的でありました。この役にしては、狡猾さが薄いように思えた。歌い口が立派過ぎるように思えた。
しかしながら、第2幕で自作の「マイスターの歌」を披露するシーンや、第3幕でザックスから掠め取ったヴァルター作の「マイスターの歌」を歌うシーンでの実直な歌いぶりが、堂に入っていた。すなわち、この人物に纏わりついている「胡散臭さ」があまり感じられずに、割と実直な人物として描き出されていたのですが、それがまた、結構はまっていたように思えたのです。このようなベックメッサーも「有り」なのではないでしょうか。
男声陣では、コートナーを歌っていた大西さんも素晴らしかった。朗々としていて、かつ、ドッシリと構えた歌いぶりで、しかも、声がよく伸びて、聴き応え十分。名前も初めて聞くバス歌手でしたが、基礎のしっかりとした歌手だと感じた次第。
ダヴィッド役の清水さんも、伸びやかで好ましかった。愛嬌があって、しかも、実直で、といったダヴィッドの性格にピッタリでありました。
残念だったのは、ポーグナー役の妻屋さん。妻屋さん、私はどうも好みではないのです。妻屋さんを聴くのは、もう10回や20回では済まないでしょうが、どうも苦手。なるほど、低音がシッカリと響く歌手で、風格も感じられますが、声の「凝縮度」のようなものが感じられない。そのために、空虚な歌に聞こえてならないのであります。更に言えば、歌いぶりに「日本人っぽさ」が感じられる。それらのことが、本日のポーグナーからも感じられたのでした。

女声陣は、まずまずといったところでしょうか。
森谷さんによるエヴァは、この役に相応しい可憐さを備えていつつ、貫禄もあった。第2幕で、ヴァルターのことを悪く言ったザックスを罵倒するシーンでの激情した表現も、豊かな声量に支えられながらの歌唱で見事でした。但し、その後のヴァルターとの二重唱では、ドラマティックになりすぎて、金切り声になりかけていて、ちょっと興が削がれました。エヴァは、決して猛女ではありませんので。
マグダレーネ役の八木さんは、メゾソプラノらしい声質。安定感のある歌いぶりだったと思えます。

不満を覚えることもところどころにはありましたが、総じて、聴き応え十分でありました。
沼尻さんの、びわ湖ホール音楽監督退任を記念する公演としての意義も含めて、シッカリとした存在感を放ってくれた公演だと言えましょう。