佐渡裕さん&兵庫芸術文化センター管によるマーラーの交響曲第7番の演奏会を聴いて
今日は、佐渡裕さん&兵庫芸術文化センター管(通称、PACオケ)による1月の定期演奏会の3日目を聴いてきました。
演目は、マーラーの交響曲第7番の1曲プロ。
佐渡裕さん&PACのコンビによるマーラーは、ちょうど1年前、2022年1月に第4番を聴いています。それは、「隈取の明確さ」と、佐渡さんの表現意欲の強さが表された演奏でありました。但し、第4番の性格に依っていたのでしょう、ピンと張りつめた「緊張感」のようなものの薄い演奏でもありました。
そのような第4番に対して、本日の第7番では、どのような演奏を聞かせてくれることだろうかと、胸を躍らせながら会場に向かったものでした。
さて、演奏を聴いての印象であります。
全体的に、微温的な演奏だったと言えそう。作品の表面を、なぞりながらの演奏のように思えたものでした。特に、第4楽章までが。
演奏前に、佐渡さんが10分ほど掛けて作品の解説や、今回の演奏に対しての意気込みや、について語っておられたのですが、その中で再三にわたって「この曲は難解だ」と言われていました。奇怪な構造をしていて、様々なモチーフが浮かんでは消えていく。とりわけ、最終楽章は、そこまでに積み上げてきたものを消し飛ばすほどにお祭り騒ぎする音楽となっていて、聴く者を呆然とさせる、といったような感じで。
その一方で、交響曲作家としてのマーラーが、いかにベートーヴェンを崇拝し、意識していたかについて触れておられました。更には、5-7番に至る器楽交響曲の最後を飾るこの作品は、マーラーが交響曲作家として磨いてきた技法を総決算させたような音楽になっている、とも表現されていました。
そのような作品を、ここ最近に演奏した作品の中では異例なほどに長い時間をかけて楽譜に対峙し、今回の演奏会に臨んだ、とも言われていました。
(ちなみに、プログラム冊子には、「第7番を取り上げることを、ずっと躊躇してきた」「これまで自分のものにできそうだという感覚がつかめずにいたのですが、譜面を見ながら少しずつ近づいていきました」、という佐渡さんの言葉が紹介されています。)
そんなこんなもあってのことなのでしょう、まだ、この作品が佐渡さんの掌中に収まり切れていないのではなかろうか、という演奏ぶりに聞こえたのであります。この作品が備えている「鼓動」が、生々しく伝わってこなかったのです。
それ相応に音楽は伸縮し、波打っていたのですが、その様は常套的であって、心の底からの共感に裏打ちされたもののようにも思えなかった。佐渡さんは、この作品を「奇怪である」と評していましたが、奇怪さがあまり感じられなかった。全体を通じて、鮮烈さが乏しかった。マーラーの音楽に特徴的な情念的な性格も、稀薄であるように思われた。
そのような中でも、最終楽章は、比較的鮮烈な演奏となっていました。それは、この楽章を最難関だと捉えて、楽譜をじっくりと読み込み、リハーサルにも最も時間を割いて磨き上げていった結果なのではないだろうか。そんなふうに想像したものでした。
佐渡さんの演奏の魅力は、表現意欲が旺盛でアグレッシブな音楽づくりを旨としながら、覇気が漲っていて、雄渾にして壮健で、逞しい生命力に溢れている音楽を奏で上げてゆくところにあると思われ、それらはすなわち、マーラーを演奏するにうえでも肝心な要件であるように思えます。それからすると、佐渡さんとマーラーとは相性が良さそうなのですが、今日の第7番に関しては、作品と佐渡さんとが馴染み切れていなかったように感じられた。佐渡さんによるマーラーの7番、今後に期待したいところであります。
なお、テノール・ホルンが、飛び抜けて巧かった。存在感も抜群。バイエルン放送響の元主席というのも、頷けます。