秋山和慶さん&日本センチュリー響と金川真弓さんによる演奏会を聴いて

昨日(10/14)は、秋山解和慶さん&日本センチュリー響の演奏会を聴いてきました。
曲目は下記の3曲で、オール・プロコフィエフ・プロでありました。
●プロコフィエフ ≪ロメオとジュリエット≫組曲
●プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番(Vn独奏:金川真弓さん)
●プロコフィエフ 交響曲第5番

最大のお目当ては、ヴァイオリンの金川真弓さんでありました。と言いますのも、昨年の6月に聴いた大フィルの演奏会でのブラームスの協奏曲が、圧倒的に素晴らしかったために。
このときのブラームスを聴くまでは、金川さんの名前も知りませんでした。しかしながら、一度で虜になりました。そこでの印象はと言いますと、シッカリとした技巧の道主で、かつ、音楽性の豊かなヴァイオリニストである、ということ。演奏全体から、意志の強さが感じられ、気魄の漲っているものとなっていたのでした。更に言えば、揺るぎない「自分の音楽」というものを持っている演奏家であるとも感じられた。しかも、決して押しつけがましさのある音楽ではなく、作品に寄り添い、作品が持っている「呼吸」や「起伏」やを受け止めながら、音楽を紡ぎ上げてゆく、といった演奏を聞かせてくれた。
この日のプロコフィエフでも、きっと素晴らしい演奏を聴かせてくれることであろうと、胸をときめかせながら会場に向かったものでした。

夕方6時前の、大阪シンフォニーホールの入口

さて、その金川さんによるヴァイオリン協奏曲第2番でありますが、期待にたがわぬ素晴らしい演奏でありました。いや、期待以上だったと言ったほうが良いかもしれません。
無伴奏での出だしから、決して大きな音量ではないものの、骨太な音で、ホールいっぱいに響き渡り、背筋がゾクゾク。ピンと張りつめた緊張感に包まれてもいた。もう、この僅か数小節だけで、一気に、金川さんの世界に引きずり込まれてしまいました。その存在感や、「聞かせる力」は、まさに圧倒的。
ヴァイオリンがほぼ弾きっぱなしのこの曲は、機敏であったり、逞しかったり、おどけてみせたり、シリアスであったり、切迫感に満ち満ちていたりと、千変万化する表情を見せてくれる音楽となっていますが、そういった複層的な性格を見事に描き切っていた金川さん。しかも、技巧が頗る安定していて、響きは実に艶やか。
昨年のブラームスで感じた、揺るぎない「自分の音楽」というものを持っているヴァイオリン協奏曲第2番だということを、このプロコフィエフでも再認識した次第。更には、ときおりコンサートマスターに笑みを投げ掛けていて、そのような姿からも、この作品に対する深い愛着が感じられた。
いやはや、圧巻の演奏でありました。
ちなみに、アンコールは無し。

なお、前プロのロメジュリも、素晴らしい演奏でありました。秋山さんによる音楽づくりは、ケレン味のないもの。なんとも誠実で、真摯な演奏でありました。しかも、清涼感に満ちていた。そのうえで、充分に生命力に溢れていた。機敏な性格も、そつなくシッカリと表されていた。そんなこんなの、トータルな手応えは、素敵な演奏を披露してくれた時のアシュケナージに似ているように思えたものでした。
このロメジュリの演奏ぶりからすると、後半の交響曲第5番も期待できそう。金川さんによる協奏曲に大満足しながら、後半に思いを馳せて、休憩に入ったのでした。

後半の交響曲第5番も、期待通りの素晴らしさでありました。ロメジュリで書いたことが、そのまま当てはまるような演奏だった。
スッキリと纏まっていて、清々しい。そのうえで、躍動感に満ち、運動性は充分。第2楽章での諧謔味や、第3楽章での沈痛な表情やも、誇張なく表されていた。第4楽章は、前進力に溢れ、合間合間のエピソードは、滑らか、かつ、自然に提示されてゆく。その歩みは、誠に心地の良いもの。クライマックスも、整然としていつつ、終焉へと向かう怒涛の勢いも充分でありました。
作品の魅力をトコトン味わうことのできた、見事な演奏でありました。

秋山さんの演奏は、強い共感が持てたり、今一つ共感できなかったりと、私にとっては振れ幅の大きな指揮者となっています。
そんな中でも、この日は、文句なしに共感できた、素晴らしい演奏会でありました。