デ・フリーント&京都市交響楽団による演奏会(シューベルトとブルックナー)の初日を聴いて

今日は、デ・フリーント&京都市交響楽団による演奏会の初日を聴いてきました。演目は気の2曲。
●シューベルト 交響曲第4番≪悲劇的≫
●ブルックナー 交響曲第3番(初稿/1873年)
一昨年より京響の首席客演指揮者を務めているデ・フリーントは、オランダに生まれた指揮者で、自らが設立したコンバッティメント・コンソート・アムステルダムという古楽のレパートリーをメインに据えた合奏団(ピリオド奏法をモダン楽器に適用した団体)を中心に活動してきたという経歴の持ち主。そのようなデ・フリーントがブルックナーを指揮するというところが、今回の最大の注目点だと言えましょうか。
ちなみに、ブルックナーの交響曲第3番は、1962年に京響が日本初演したとのこと。その1962年は、デ・フリーントの生まれた年でもあります。京響がブルックナーの3番を採り上げるのは、日本初演以来のことだそうです。
なお、初稿版での演奏だというところは、古楽に強い関心を示してきたデ・フリーントらしい選択だと言えそうです。
また、前半で演奏されるシューベルトの≪悲劇的≫にも期待を寄せていました。
デ・フリーントの京響への初登場となった2022年5月の定期演奏会では、シューベルトの≪ザ・グレート≫が採り上げられていました(この演奏会には、私は足を運んでいません)。更には、京響の首席客演指揮者に就任した最初の演奏会となった2024年5月では、シューベルトの交響曲第1番を採り上げています。そこでは、テキパキとしていて、快活で溌剌とした演奏が展開されていて、大いに魅了されたものでした。
デ・フリーント&京響のコンビにとって、3作目のシューベルトとなる本日の≪悲劇的≫。どのような演奏が展開されるのか、とても楽しみでありました。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは前半のシューベルトから。
古楽に関心を寄せている指揮者らしく、スリムな響きを主体にしながら、キビキビと音楽を進めてゆく、といったスタイルの演奏でありました。
ちなみに、弦楽器のプルトの数は6-5-4-3-2。対向配置が採られていなかったのが、かなり意外ではありました。また、第1楽章の提示部はリピートを行っていましたが、最終楽章の提示部に施されているリピートはカットされていました。その点でも、古楽器系のスタイルを全面的に採用する、といったものではない取り組み方だったと言えそう。
ところで、テンポは、やや速めといったところ。とは言うものの、疾駆感は十分で、両端楽章や、第3楽章といった急速な楽章では、この作品に備わっていて欲しい切迫感にも不足はありませんでした。
そのような中で、第1楽章の終結部で、急にテンポを速めて、激情的にこの楽章を結ぶ、といった処置が採られていたのは、実に効果的でありました。
また、冒頭楽章での序奏部の出だしで顕著だったように、硬めのバチを使用しているティンパニを強調して、衝撃的な音楽づくりを随所で施してゆくスタイルも、古楽系の指揮者ならではだった。しかも、そういった表情付けがエキセントリックになり過ぎないところが、私には好ましかった。
更には、冒頭楽章の序奏部や、第2楽章のBの旋律(この楽章は、A-B-A-B-Aにコーダ、という構造をしています)で、木管楽器をレガートで吹かせることによって、音楽にアクセントが加えられる、といった演出が施されていた。また、第1楽章の展開部に入った直後のトゥッティによる強奏の最後の小節(139小節目)を、急に声をすぼめてpで柔らかく演奏させる(この音には、楽譜上はfzの指示が施されています)、といった演出もまた、意表を衝いた演奏ぶりで、なかなかに面白かった。そういった演出を頻出させないことによって、ユニークな表現はマンネリ化しない。むしろ、アクセントとして効いてくる。そのようなところに、この指揮者のセンスの良さが感じられたものでした。
そんなこんなを含めて、なかなかに聴き応えのある演奏で、かつ、この作品の魅力を味わうことのできた演奏でありました。
このような、ユニークかつ素敵なシューベルトを聞かせてくれたことによって、メインのブルックナーへの期待が高まったものでした。
さて、ここからはブルックナーについてになります。
清新なブルックナーでありました。音楽が粘るようなことはない。目鼻立ちのクッキリとしている、克明な演奏でもあった。晴朗なブルックナー演奏だったとも言えそう。
それでいて、充分にエネルギッシュだった。躍動感や律動感に富んでいた。箇所によっては頗る鮮烈でもあった。そのような音楽づくりは、一昔前はブルックナーらしくない、と言われそうなものではありましたが、デ・フリーントの迷いのない演奏ぶりには、大いに惹かれるものがありました。
総じて、ロト&ケルン・ギュルツェニヒ管によるブルックナー演奏に似たテイストをしたものだったと言えるかもしれません。
弦楽器のプルトの数は7-5.5-5-4-3.5。このような規模での演奏でありましたが、音楽が肥大化したり、ダブついたり、といったことは皆無でした。とてもクリアな響きが保たれていた。しかも、強奏部では壮麗に音楽が響いていた。このホールの残響の豊かさが生かされてもいた。そう、その残響は、実に美しくて心地良かった。
プレトークでデ・フリーントは、こんなにもゲネラルパウゼの多い交響曲は珍しいと語っていましたが、そのゲネラルパウゼを長めに採ることが多く、そのことがまた、ホールの残響の豊かさを強調してくれる、といったこともしばしばでした。また、フレーズをキッチリと言い切ることにも繋がり、目鼻立ちのクッキリとした音楽になることにも貢献していたように思えたものでした。
なお、ティンパニのバチは、柔らかめのものが使用されていました。そのこともあって、シューベルトでの演奏ほどに衝撃的なものとはなってはいませんでしたが、それでも第3楽章の冒頭部分をはじめとしてティンパニが強調されることが多く、それがまた、演奏の隈取りの鮮やかさや生々しさや激しさに繋がっていた。
また、第1楽章の展開部の真ん中辺りや、最終楽章の展開部の真ん中辺りでは、頗る昂揚感が高くて、輝かしい音楽が鳴り響くこととなっていて、これまた、とても鮮烈でありました。
そのような中でも、白眉は第3楽章だったのではないでしょうか。初稿版では最終稿に比べると、sfが頻発し、とても激情的な音楽になっているのですが、その面白さや効果が存分に発揮されていました。もっと言えば、デ・フリーントは、そのような音楽づくりを面白がっていたように思われた。しかも、決して悪ノリするような態度ではなく、真摯な心持ちで「面白がっていた」と感じられたものでした。また、この楽章のトリオでは、テンポを若干落として、のどかで牧歌的で、朗らかな音楽を鳴り響かせるといった演奏が多いのですが、デ・フリーントは、テンポをさほど落とさずに、かつ、あまり牧歌的に傾くようなことがなく、流麗に演奏していたのが、なんとも個性的でした。それでいて、充分に朗らかな音楽が鳴り響いていた。そんなこんながまた、本日のブルックナーの3番へのアプローチに適したものだったようにも感じられた。
なお、朗らかと言えば、最終楽章の第2主題での演奏ぶりが、頗る朗らかなものとなっていいて、耳を奪われたものでした。その朗らかさは、低弦のピチカートが弾力性を帯びて奏で上げられていたことに依るところが大きいと言えそうなのですが。
更には、その最終楽章では、全体的に音楽が毅然と鳴り響いていた。それは、音楽が粘るようなことが皆無で、かつ、目鼻立ちのクッキリとした演奏ぶりで、フォルムを崩すようなことも皆無だったことに依るところが大きかったと言えましょう。
そんなこんなのうえで、必要十分な範囲で情念的でもあった。それ故に、あっけらかんとした演奏になるようなことはなかった。
全体を通じて、デ・フリーントの個性や、音楽への志向が滲み出ていたブルックナーの3番だったと言えましょう。それは、ユニークな魅力を湛えたブルックナーの3番でありました。新鮮味に溢れたブルックナー演奏であり、総じて、快感を覚えるブルックナー演奏だったとも言えそう。
デ・フリーントとブルックナー、その相性はどうなのだろうかと、正直なところを言えば一抹の不安を抱えての鑑賞だったのですが、そんな不安を霧散させてくれるに十分な、素敵なブルックナーでありました。





