北野天満宮の梅を鑑賞し、その後、広上淳一さん&京都市交響楽団による演奏会(コープランドの交響曲第3番 他)の第2日目を聴いて

今日は、広上淳一さん&京都市交響楽団による演奏会を聴いてきました。演目は、下記の3曲。
●バーンスタイン ≪スラヴァ!≫(政治的序曲)
●バルトーク ピアノ協奏曲第3番(独奏:三浦謙司さん)
●コープランド 交響曲第3番
チラシに「アメリカン・プログラム」と謳われていますが、前プロとメインにバーンスタインにコープランドを置き、真ん中にはアメリカ移住後のバルトークの作品を据える、という形を採ったプログラミングとなっています。しかも、メインのコープランドには、あまり演奏機会の多くない交響曲第3番を持ってきているというところが、なかなかに意欲的であります。
沖澤のどかさんの前の京響のシェフであります広上さんの登壇。2008年から2022年まで14シーズン、京響の常任指揮者を(2020年からの2シーズンは芸術顧問も兼任)務めていた広上さん。私が広上さん&京響の実演に触れるのは、2023年9月の「第27回 京都の秋 音楽祭」の開幕コンサートでマーラーの交響曲第5番をメインに据えた演奏会を聴いて以来となります。
お互いをよく知る広上さんと京響が、本日はどのような演奏を繰り広げてくれるのだろうかと、期待しながら会場に向かったものでした。
広上さんは、開放感があって、明朗な音楽を奏で上げてゆくところに特徴があるように思っています。それだけに、本日の「アメリカン・プログラム」では、その美質がクッキリと刻まれるのではないだろうか、とも想像したものでした。とは言うものの、バルトークのピアノ協奏曲第3番が、かなり異色ではあるのですが。それだけに、バルトークでどのような演奏を繰り広げてくれるのかと、注目していました。
そのバルトークでピアノ独奏を務める三浦さんは、端正な演奏ぶりを基調とするリリシスト、といった印象を持っています。技巧的な冴えを見せながらも、力任せに押し切るようなことはない。そのうえで、適度にロマンティックな色合いを添えてゆく。そのような三浦さんが、バルトークをどのように演奏するのだろう。きっと、透徹されたピアノ演奏が繰り広げられるのではないだろうか。そのような様は、この作品に相応しいと思え、その点も、とても楽しみでありました。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

前プロで演奏されたバーンスタインの≪スラヴァ!≫が圧倒的に素晴らしかった。
ここで、プログラム冊子で解説されている内容を抜粋しながら、この曲の概要について書いておきたいと思います。
バーンスタインがロストロポーヴィチのために1977年に作曲した作品とのこと。スラヴァとは、ロストロポーヴィチの愛称であり、かつ、ロシア語で「ばんざい」「栄光あれ」と意味を持っている言葉でもあります。なお、ロストロポーヴィチは1977年にワシントン・ナショナル響の音楽監督に就任していまして、そのシーズンの幕開けのコンサートで初演されたそうです。
初めて聴いた作品でありましたが、快活で、活力に満ちた音楽になっていました。広上さん&京響が、そのような音楽を屈託なく開放的に奏で上げていって、とても楽しめました。プレトークで広上さんは、京響は自発的なオケで、今回のプログラムでも広上さんから要求することなく、演ってもらいたいことを団員自らが繰り広げてくれる、といったことを仰っていましたが、まさにそうだったのであろうといった形で、オケは伸びやかで輝かしい音楽が奏で上げていたのでありました。このオケが内蔵しているエネルギーを全開させながらの演奏ぶりだったとも言えそう。充分にパワフルで、それでいて、雑な音楽になってもいなかった。そう、まろやかさも感じられたのであります。この辺りは、京響の体質に依るのでありましょう。
更には、変拍子の面白みが生かされていたり、エレキギターやサクソフォンが使用されたりと、バーンスタインならではの味わいといったものも存分に楽しめた。また、政治演説や民衆の歓声やが録音されたテープが流されたりもするのですが、それがまた聴衆を扇動するようで、実に効果的でもあった。
そのような作品が持つ特徴と、広上さん&京響の演奏ぶりとが相まって、なんとも痛快な音楽が鳴り響いていたのであります。いやぁ、ホンットに楽しかった!!
続いてはバルトークについてですが、こちらは、三浦さんのピアノに大いに惹かれました。想像していた通りの、リリシズムに溢れたピアノ演奏となっていて、透徹された音楽が奏で上げられていた。また、頗るデリケートな音楽となっていた。それ故に、緩徐楽章であります第2楽章が白眉だったと言えましょう。弱音を主体にしながら、なんとも冴え冴えとした音楽が奏で上げられていたのであります。その様は、儚げな美しさを湛えていたと言いたい。また、リズミカルな音楽が展開される第3楽章では、充分に機敏な音楽を奏で上げられていた。ここでは、テクニックの冴えが存分に発揮されてもいました。
大言壮語しないバルトーク演奏。それ故に、なんとも真摯な演奏だったとも言いたい。そして、頗る繊細で、ジッと胸に染み入るようなバルトーク演奏でありました。
そのような三浦さんに対して、広上さんの音楽づくりは、大雑把な感じを持ったものでした。なるほど、やるべきことはシッカリと行っていたように思えたのですが、彫琢の深さがあまり感じられなかった。もっと言えば、作品への共感の深さ、といったものが薄かったように思えた。それ故に、通り一遍な演奏ぶりになっていたと感じられたものでした。
本日のプログラムの中で、異彩を放っているバルトーク。広上さんによる演奏ぶりとしましては、このバルトークが最も私の心に響かなかった、というのが率直なところでありました。
なお、ソリストアンコールとして、アール(Earl)・ワイルドというアメリカ人作曲家による≪ガーシュウィンによる7つの超絶技巧練習曲≫から第4番、という作品が弾かれました。
それは、ちょっとフランス音楽を想起させられるような精妙さやエレガントさの感じられる音楽となっていました。それは、三浦さんの音楽性が反映された結果だったのでしょうか。心にジッと染み渡ってくる、なかなかに素敵な演奏でありました。

さて、ここからはメインのコープランドについてであります。
オケを思いっ切り開放しながら、輝かしい音楽を奏で上げてくれていました。第2楽章と最終楽章に置かれているファンファーレ(この2つのファンファーレは、異なる旋律による)は、華麗でもあった。その点では、満足のいく演奏になっていました。
かねがね感じていることなのですが、広上さんは、オケの手綱を締めていくというよりも、手綱を緩めながら演奏してゆく、といったタイプだと思われます。その意味では、実に広上さんらしい演奏だったと言えましょう。勝手知ったる京響が相手ということもあって、そのような傾向が顕著だったのかもしれません。また、プレトークでは、ここのホールの音響の素晴らしさを褒めていました。特性を熟知しているホールだということも、その度合いを強めたのかもしれません。そのような広上さんに導かれながら、京響も持ち前の自発性を存分に発揮させて、煌びやかなサウンドを鳴り響かせていた。
(ちなみに広上さんは、随所でバーンスタインばりにと言いましょうか、指揮台の上でピョンピョンと飛び跳ねていました。それは、前プロでも頻繁に見受けられたのですが。)
その一方で、音楽が弛緩することも多かったように思えたものでした。音楽をシッカリと支えきれていなかったと言いましょうか、構成感の弱さが感じられた。音楽が漫然と響くことも多かった。それは特に、第3楽章の後半から最終楽章へ向かってゆく場面(なお、第3楽章と最終楽章は、切れ目なく演奏されます)において顕著に感じられたものでした。昨日の下野さん&大フィルによる≪青ひげ公の城≫では、緊張感を持続させながら、終始逞しい生命力の漲っている演奏が展開されていただけに、この点が余計に目立ってしまった、といった感じ。
なかなか実演で接することのないコープランドの交響曲第3番。京響の輝かしい響きで敷き詰められたゴージャスな演奏で、この作品に触れることができたということは、大きな喜びではありましたが、かなり引っかかるところのある演奏だったというのが正直なところであります。
なお、京都コンサートへ行く途中、北野天満宮に寄ってきました。
梅の名所であります北野天満宮。蝋梅も、紅白の梅も、随分と開花が進んでいました。ここのことろ寒い日が続いていますが、梅を楽しむことのできる時期も近づいているのだなと実感させられたものでした。







