シューリヒト&ウィーン・フィルによるブルックナーの交響曲第9番を聴いて
シューリヒト&ウィーン・フィルによるブルックナーの交響曲第9番(1961年録音)を聴いてみました。
シューリヒトほど、どのような演奏になっているのか予測のつきにくい指揮者も珍しいのではないでしょうか。
基本的には、速めのテンポを採りながら、生命力が豊かで、鋭さを持った演奏を繰り広げてゆく。そのような中に、澄み渡った感興や、格調の高さが織り込まれてゆく。ときに、素っ気なさが感じられたり、枯れた演奏ぶりを示したり、ということがあるかと思えば、ロマンティックに音楽を謳い上げたりもする。
さて、ここでのブルックナーの9番はと言いますと、速めのテンポでグイグイと推し進められています。過度に粘るようなことはなく、清く澄んだ流れを伴った演奏となっている。
それでいて、この演奏では、素っ気なさが感じられることは皆無であります。そのうえで、充分に気宇が大きくもある。推進力に溢れ、逞しくもある。劇的であり、昂揚感に溢れていて、艶やかで輝かしくもある。ここで繰り広げられているのは、清々しさと、壮麗さとを兼ね備えているブルックナー演奏。
ここで強調したいのは、そういったことが、外面的な効果として現れているのではなく、作品の内面を鋭くえぐってゆくことに資するためのものとなっているということ。外に向かって放出されるエネルギーが膨大でありつつも、音楽がギュッと内側に凝縮されてゆくかのよう。そのために、コクの深い演奏となっている。凛然とした音楽となっている。作品全体が、神々しい光を放っている。
更に言えば、敬虔であり、かつ、壮絶でもある。端正であり、かつ、マッシブな力に満ちている。厳格でいて、洒脱でもある。ストイックでいて、ロマンティックでもある。そのような、相反するような要素が同居している演奏だとも言えそう。
そこへ、ウィーン・フィルの、艶やかな美音と、決して重苦しくならないながらも充分に重厚である響きが加わることによって、この演奏がより一層の魅力を湛えたものとなっている。
いやはや、なんと素晴らしい演奏なのでありましょう。
シューリヒトの偉大さが凝縮されている、見事な演奏であります。