鈴木優人さん&関西フィルによる演奏会(≪ペトルーシュカ≫ 他)を聴いて

今日は、鈴木優人さん&関西フィルによる演奏会を聴いてきました。演目は、下記の3曲。
●ベートーヴェン ≪命名祝日≫序曲
●R・シュトラウス ホルン協奏曲第2番(独奏:福川伸陽さん)
●ストラヴィンスキー ≪ペトルーシュカ≫

鈴木優人さんが、≪ペトルーシュカ≫をメインに据えた演奏会を指揮するという、なんとも興味深い内容となっています。
2023年10月、鈴木さんが関西フィルの首席客演指揮者に就任したことを記念して開かれた演奏会で、≪プルチネルラ≫の全曲版を演奏しています。そこでは、歯切れが良くて溌溂とした音楽づくりをベースにしながら、愉悦感に満ちた演奏を繰り広げてくれたものでした。ウィットに富んでいて、瀟洒な音楽となってもいた。本日の≪ペトルーシュカ≫でも、その延長線上にある、素敵な演奏を展開してくれるのではないだろうかと、期待に胸を膨らませながら会場に向かったものでした。
また、前プロで、滅多に採り上げられることのない≪命名祝日≫序曲が演奏されることも有難い。非常に珍しい選曲でありますが、鈴木さん&関西フィルのコンビは、住友生命いずみホールでベートーヴェンのツィクルスを展開している最中で、その傍流として、この序曲を演奏することにしたのだろう。そんなふうに推察したものでした。実際のところ、この前プロの選曲とベートーヴェン・ツィクルスとの関連性については、プレトークで鈴木さんも触れておられました。
更には、協奏曲作品にホルンの福川さんが登場する点も、大注目であります。N響の首席奏者を務め、現在はソリストとして活動していて、引く手あまたと言えそうなほどに演奏会に招かれている福川さん。その実演に触れるのは、昨年10月の東京六人組のメンバーとして舞台に立ったものに続いて2回目となります。昨秋の演奏会では、細かな音で綴られた機敏なパッセージを軽々と吹きこなしたり、作品の性格を濃密に表現してみせたりと、芸達者であり、かつ、音楽性の高さを実感させられる演奏を披露してくれたものでした。本日のR・シュトラウスによる協奏曲でも見事な演奏を繰り広げてくれることだろうと、こちらも楽しみでありました。
なお、プレトークでの鈴木さんによる話によりますと、鈴木さんと福川さんとは同い年になるそうです。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致しましょう。

まずは、前半の2曲について。
こちらでは、≪命名祝日≫序曲が素晴らしかった。活力に満ち、華やかな演奏でありました。祝祭的な明るさに溢れてもいた。
この作品は、強音と弱音の交錯が鮮やかで、その点についてはプレトークでも触れられていたのですが、その強弱の切り替えが鮮明で、そこに意図が明瞭に表されていたとも言いたい。しかも、総じて強靭な音楽づくりが為されていただけに、弱音部がより一層引き立っていた。
溌剌としていて、かつ、輝かしい音楽が鳴り響くこととなっていて、聴き応え十分な演奏となっていました。
続くR・シュトラウスのホルン協奏曲では、福川さんによる、伸びやかで、自在感に富んだ独奏が見事でありました。しかも、これ見よがしなところがない。この作品は、夕映えのような音楽(特に第1,2楽章が)だと言えそうですが、そのような雰囲気を巧まずして表してくれていたホルン演奏だったとも言えそう。とてもノーブルでもあった。
更には、第2楽章の後半で、弱音を際立たせながら聴く者の心にジッと染み入ってくるような音楽が奏で上げてくれていた点が、印象的もあった。本日の演奏で最も心打たれたのが、ここの場面だったというのが、正直なところであります。
そんなこんなのうえで、テクニック的にも不備がない。楽々と、そして、機敏に、音楽を奏で上げてくれていました。ダイナミクスの幅も広く、ホルンならではの狩りの性格が表される場面では、朗々たる音が響き渡っていた。
かくのごとく、名人芸に包まれたホルン独奏でありました。
そんな福川さんに対して、鈴木さんによるバックアップは、やや生硬な印象が拭えず、伸びやかさに欠いていたように思えたのが残念でした。
もっとも、アルコールでは鈴木さんがピアノ伴奏を務め、そこでは起伏に富んだピアノ演奏を繰り広げ、福川さんのホルンにシッカリと支えていた。それだけに、協奏曲での指揮ぶりが余計に残念に思えたものでした。
そのアンコールはと言うと、R・シュトラウスの父親で、優れたホルン奏者だったフランツ・シュトラウスによる作品でありました。
R・シュトラウスが18歳でホルン協奏曲第1番を作曲したのも、父親の影響が強かったと言われています。なお、本編で採り上げられたホルン協奏曲第2番は、R・シュトラウス晩年の、78歳の年に作曲されたのでありました。
そのアンコールでの福川さんによる演奏は、デリケートにして、ふくよかさや、自在感やも兼ね備えたものになっていて、しみじみと聴くことができました。それは、ホルン協奏曲での第2楽章の後半での演奏ぶりの延長線上にあったと言えそうな、聴く者の心にジッと染み入ってくる演奏だった。
また、ピアノ伴奏を務めた鈴木さんも、表情豊かな音楽を奏で上げていた。箇所によっては、福川さんのソロを喰ってしまいかねないほどに、雄弁で、存在感に満ちたピアノ演奏だった。
鈴木さんは、本来は鍵盤奏者なのだということを思い出させてくれた演奏ぶり。そんなふうに思えたものでした。

それでは、ここからはメインの≪ペトルーシュカ≫について書いてゆくことにします。その演奏はというと、微妙なものでありました。
と言いますのも、鈴木さんの棒さばきに危うさがあった。すなわち、バトンテクニックに優れているとは言い切れないぎこちなさがあった。なるほど、大きな事故が起きることはありませんでした。それは、関西フィルによる献身的なフォローゆえだったのだと言えましょう。しかしながら、オケ全体として、突っ込んで音楽を鳴り響かせる訳にはいかない。時に、ほんの僅かではあるものの、鈴木さんが付いてくるのを待って、次の入りまで待機するようなこともあった。そのために、切れ味の鋭さに乏しい演奏となっていた。これは、≪ペトルーシュカ≫のような作品を演奏するに当たっては、大きなハンデになると言えましょう。なるほど、切れ味「だけ」が≪ペトルーシュ≫の要点ではないにしても、本日の演奏は、≪ペトルーシュカ≫の面白みを削いだものになっていたと思わずにおれませんでした。
また、ホルン協奏曲で、鈴木さんによる音楽づくりに生硬さが感じられたのも、この棒さばきの危うさに原因があったのだと思わずにはおれませんでした。音楽が、今一つ流麗さや伸びやかさに欠けていたのであります。
とは言うものの、鈴木さん&関西フィルによるコンビの長所がと言えそうな「暖かみ」を帯びた演奏になっていました。この作品ならではの色彩感にも不足がなかった。これは、関西フィルの体質に依るところが大きいのでしょうが。そのようなこともあって、決してアグレッシブな演奏にはなっていなくとも、この作品の魅力を、一定部分味わうことのできた演奏でありました。冒頭で「微妙」と書きましたのも、そのためであります。
鈴木さんと関西フィルは、ベートーヴェン・ツィクルスに代表されるように、その結び付きを強めています。このコンビの深化と言いましょうか、お互いを熟知していき、お互いを支え合い、お互いを高め合う間柄になった。そんな思いを強くする≪ペトルーシュカ≫でありました。
更に言えば、切れ味の鋭さには不足がありつつも、≪プルチネルラ≫で感じられた溌剌とした感興や、機知や、といったものが感じ取れもした。その辺りも含めて、微妙でありながらも、鈴木優人さんと関西フィルの親和性のようなものを汲み取ることのできた、なかなかに興味深い≪ペトルーシュカ≫でありました。