伊藤恵さんによるピアノリサイタル(京都公演・ベートーヴェン、シューマン、ショパン、シューベルト)を聴いて

今日は、ロームシアター京都で伊藤恵さんによるピアノリサイタルを聴いてきました。演目は、下記の4曲。
●ベートーヴェン ピアノソナタ第8番≪悲愴≫
●シューマン ≪幻想小曲集≫
~休憩~
●ショパン ノクターン第2番 Op.9-2
●シューベルト ピアノソナタ第18番≪幻想≫

ローム株式会社の創始者であり、かつ、ローム・ミュージック・ファンデーションを設立して音楽文化支援活動を展開された佐藤研一郎氏の功績を称えて開催された演奏会。「Ken Sato Memorial Concert」と銘打たれていまして、佐藤氏が没した2020年から2年が経った2022年に第1回目が開催され、今回が第4回目でありました。

伊藤さんによる演奏は、音盤では朝比奈さん&大阪フィルやフルネ&都響とのブラームスのピアノ協奏曲やラヴェルのピアノ協奏曲、或いは幾つかのピアノ独奏曲などを聴いたことはありましたが、実演を聴くのは今回が初めてでありましょう。
音盤を通じての印象は、篤実にして、端正で真っすぐな音楽づくりを施してくれるピアニストだな、というものでした。そのうえで、過度にならない範囲で感情の昂ぶりを示してくれる。シューマンを中心にしたロマン派の作曲家への傾倒、といったものも見て取れます。

さて、本日の演奏会は、ベートーヴェン、シューマン、ショパン、シューベルトで構成されている、とてもオーソドックスなプログラムとなっています。そのうえで、「伊藤恵が弾くロマンの世界」というサブタイトルが付けられていて、しかも、幻想的な音楽世界の広がる作品が並べられている。そのようなこともあって、伊藤さんの音楽性や、音楽に対する志向や、といったものがダイレクトに伝わってくる演奏会になりそう、との思いを抱いていました。
はたして、どのような音楽に触れることができるのだろう。とても楽しみでありました。

それでは、本日の演奏をどのように聴いたのかについて書いてゆくことに致しましょう。

まずは、前半の2曲について。
シューマンが素晴らしかった。昨日の京響の演奏会に続けて、2日連続でシューマンを実演で聴くことになりましたが、本日の伊藤さんによる演奏は、フロレスタン的な性格とオイゼビウス的な性格が、バランス良く、しかも、自然に融合された形で示されていたように思えたものでした。とりわけ、第2曲目でのフロレスタン的な勇壮にして、肯定感の強い演奏ぶりに耳を奪われた。それに続く第3曲目では、頗る瞑想的で、オイゼビウス的な性格がクッキリと浮かび上がっていた。この辺りで、本日の伊藤さんの演奏における、オイゼビウスとフロレスタンの対置を、ハッキリと認識したのでありました。
それ以降も、その両者の姿が、並置されながら、この小曲集は進められてゆく。その中に、シューマン特有の「ロマンティシズムを湛えた狂気」も示されてゆく。適度に激情的でありつつも、決して狂暴になったり、粗暴になったりしない。その辺りに、伊藤さんの音楽性の豊かさや、音楽センスの確かさや、更には、演奏家としての真摯な態度や、といったものが感じられたものでした。それらはすなわち、これまでに音盤を通じて抱いてきた、音楽家としての「篤実さ」に繋がるものでもあった。
このシューマンを聴きながら、つくづく、伊藤さんは「パッショネートな人なのだな」、と感じられたものでした。しかも、そのような性質が、ゴリ押しするような形で現れないところが、伊藤さんの人間性でもあるのでしょう。バランス感覚に優れている、とも思えた。
その一方で、冒頭で演奏された≪悲愴≫では、たどたどしさが感じられたのが、残念でした。それは特に、第1楽章の第2主題に現れる、右手が高音部と低音部を行ったり来たりしながら、左手としばしば交差するする箇所において、顕著に感じられた。右手で奏でる音楽が、滑らかに流れていなかったのであります。息遣いの不自然な「溜め」が生じていたりもした。それは、この第2主題に限った話ではなく、ところどころで見受けられて、それゆえに、音楽の流れが自然なものとなっていなかった。
第1楽章の序奏部など、過度にならない範囲で重層的な音楽が奏で上げられていて(似たようなことが、後半のシューベルトでも感じられた)、これから先の演奏ぶりに対して大いに期待を抱いただけに、残念な思いを強くしたものでした。

ここからは、後半の2曲についてでありますが、シューベルトが圧倒的に素晴らしかった。
最初に演奏されたショパンのノクターンは、楷書調の演奏ぶり。ある種、四角ばったショパン演奏でありました。
ショパン特有のセンチメンタリズムが、ほぼ皆無。プログラム冊子に、「ショパンは近寄りがたい雰囲気を持った作曲家だ」といった伊藤さんの言葉が載っていましたが、そのような存在であることがよく理解できた演奏でありました。ちなみに、なぜショパンをプログラムに加えたのかと言いますと、ショパンは佐藤氏がこよなく愛した作曲家であるため。しかも、ノクターンの第2番を特に気に入っておられたとのこと。
そのようなことによって弾かれたショパンは、あまり揺れの多くない演奏ぶりで、直線的なショパンとなっていた。色合いの移ろいの少ない、モノトーンなショパンだったとも言えそう。かなり風変わりではありましたが、なよなよしたところの全くない、毅然としたショパンになっていて、ユニークな味わいを湛えていた演奏だとも感じられたものでした。もっと言えば、個人的には、このようなショパンも「有りだな」と思えた。
そのショパンから、聴衆に拍手を挟ませずに、シューベルトの演奏が開始されました。そのために、ショパンのノクターンが、あたかもシューベルトのソナタへの前奏曲のような役割を果たすことになっていた。
そのシューベルトのソナタが鳴り響き始めると、ショパンの時とは打って変わって、実に豊穣な音楽世界が広がることとなった。音の響きが、拡がり感を持っていた。媚を売るようなことはなく、毅然としていつつも、ロマンティックな音楽が鳴り響いてゆく。しかも、晩年のシューベルトに特有の「畏怖」を覚えるようで、聴いていて怖くなるような音楽ではない。もっと健全な音楽であった。必要以上に神妙な音楽となっていなかった。
とは言いましても、楽天的な音楽などでは全くありません。とりわけ、第1楽章は、キャラクタリスティックな付点のリズムが、音楽にシッカリとした緊張感を与えていた。そのうえで、堅固な歩調でもって、音楽は進められてゆく。その様の、なんと見事なことであったでしょう。この点は、≪悲愴≫の序奏部で感じられた重層的な音楽づくりと共通していたように思えます。
しかも、滑らかな動きを持った第2主題では、優しさや暖かみを帯びた音楽が奏で上げられてゆく。そんなこんなが、実に音楽的であり、かつ、趣深かった。シューベルトの抒情性の豊かさや、歌謡性の豊かさが、存分に表出されていた演奏となっていた。
第2楽章では、慈愛に満ちた音楽が奏で上げられてゆく。興味深かったのが、第2楽章から第3楽章へ、更には、第3楽章から最終楽章へは、アタッカで演奏されたこと。そのために、豊かな音楽がコンコンと湧き出すような、そんな風情を醸し出してくれることとなっていました。
そのような中で、最終楽章での明朗であり、かつ、伸びやかでいて弾力性を帯びている音楽世界の表出が見事でありました。この、あたかも聴き手に挨拶を交わしてゆくかのような、親しみ深い旋律が、殊の外チャーミングに感じられた。その一方で、中間部での滑らかな旋律に彩られる箇所では、歌謡性の豊かさが示されていた。そして、最後は、慈しみをもって、音楽は結ばれた。
いやはや、なんとも素敵なシューベルトでありました。

アンコールは、シューマンの≪トロイメライ≫。
こちらも、毅然とした演奏ぶりでありました。あまり、感情的にならない。とは言え、音楽は、曲想に合わせて、シッカリと揺れ動いていた。そして、息遣いが自然で、かつ、豊かなものとなっていた。この辺りが、ショパンでの演奏と異なるところでありました。
また、これは本日の演奏会全般において言えることなのですが、音の響きがとても美しかった。それは、清純な美しさを湛えていた、とも言えそう。そのために、感傷的な性格を前面に押し出した演奏ぶりではなかったものの、≪トロイメライ≫ならではの夢幻的な音楽世界に身を置くことのできる演奏となっていたと言いたい。

なお、ステージ上や、ホールの脇には、多くの花が飾られていました。
当初プログラミングされていた4曲を演奏し終えた伊藤さんは、聴衆への挨拶や、佐藤氏との関わりについてや、更にはアンコール曲の紹介や、といったことのために短いトークを交えてくれたのですが、このように花に囲まれて演奏することは稀だ、とも仰っておられました。演奏会後には、その花が希望者に配られ、私も頂いて帰りました。