クレンペラーによるブルックナーの交響曲第5番を聴いてみました

クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管によるブルックナーの交響曲第5番(1967年録音)を聴いてみました。

手持ちのCDは、クレンペラーがフィルハーモニア管(このオーケストラは、1964年に自主運営組織に改編され、それから1977年までの間はニュー・フィルハーモニア管弦楽団と名乗ることになる)とセッション録音したブルックナーの交響曲第4-9番が収められたもの。
第1-3番が録音されることはなく、全集として完結するには至りませんでしたが、それでも、ステレオで6曲のセッション録音を遺してくれているのは、なんとも有難いところであります。

さて、ここで聴くことのできる第5番の演奏はと言いますと。
いかにも晩年のクレンペラーらしい、どっしりと腰が座っていて、気宇のとても大きい演奏となっています。そして、一歩一歩を踏みしめるように進めている歩みは、誠に力強くもある。いやはや、なんとも壮麗な音楽世界が築き上げられています。
それでいて、音楽が沈滞しているような印象は全くありません。音楽が生気を帯びている。そして、豊かに、自然に、息づいている。しかも、頑固一徹な演奏のようでいて、少なからざる官能味が感じられるのも嬉しいところ。そう、かなり艶やかで輝かしい演奏にもなっているのであります。
とは言え、基本的には、体幹のシッカリした、堅牢でケレン味のない音楽づくりを土台にしながら、自らが信ずる音楽世界を築き上げていこうといった寸法の演奏。揺るぎない構成感が備わっている。
とりわけ、最終楽章は、積木を一つ一つ積み上げてゆくような趣きが強く(随所にフーガ的な要素が採り入れられていることもあって、この楽章には、もともと、そのような性格が強く備わっている)、音楽の大伽藍が出現するかのようであります。しかも、最終楽章の途中に現れる、ファンファーレのようにも聞こえるコラールがまた、ずっしりとした量感を備えており、なんとも荘重な演奏となっていて見事。そのコラールでの音型に基づいたフーガが展開される最初のうちは、クレンペラーにしては流麗な演奏ぶりが示されているのが、興味深くもある。しかしながら、そのフーガの部分での演奏も、進行するにつれて楷書的な音楽づくりに変貌していく。
そんなこんなのうえで、全曲を通じて、実にピュアで、清浄な音楽が奏で上げられている。音楽の佇まいが、とても美しくもある。

「ああ、なんと素晴らしい音楽に触れることができたのだろう」という感慨で胸がいっぱいになる演奏。
なんとも立派で、そして、魅力的な演奏であります。