佐渡裕さん&兵庫芸術文化センター管による演奏会の第3日目(マーラーの交響曲第9番)を聴いて

昨日(1/14)は、佐渡裕さん&兵庫芸術文化センター管(通称:PACオケ)による演奏会を聴いてきました。第147回定期演奏会の第3日目。プログラムは、マーラーの交響曲第9番でありました。
この曲は、所属していた大学オケで、毎年年末に演奏していた作品。それだけに、思い入れの強い作品でもあります。
そのような作品で、佐渡さんが、どのような演奏を聞かせてくれるのか。期待と不安を織り交ぜながら、会場に向かったものでした。
なお、佐渡さんにとっては、この曲を演奏するのは、1995年1月17日、阪神淡路大震災が起きた当日以来だそうです。そのとき佐渡さんは、33歳だったとのこと。このことは、プログラム冊子にも書かれていましたが、プレトークでは、それが、京都市交響楽団との演奏会だった(本拠地であります、京都での演奏会だったよう)ことが明かされました。そのような日に、大地震に見舞われた同じ関西エリアで、この作品の演奏に臨んだということに、驚きを隠せませんでした。

それでは、この日の演奏をどのように聴いたのかについて、触れてゆくことに致しましょう。
なお、先にも書きましたように、この作品には、強い思い入れがあります。そのこともありまして、細部にこだわり、結果として手厳しいことを書くことになります。

総括すると、「まやかし」のマーラーの9番を聞かされた、というのが正直な感想です。
そのことを象徴していたのが、最終楽章の143小節目の3拍目に出てくるsf。ここのsfは大きな意味を持っていて、音に重みと硬さを加えて欲しいと考えます。そのうえで、音楽の歩みが止まるような瞬間でもあって欲しい。しかしながら、佐渡さんは、左手で顔の汗を拭いながら、この箇所に何の感情も湧き起こらなかったように素通り。その、顔の汗を拭うという仕草も相まって、実に暢気に思えたものでした。どうして、そんなに思い入れもなく、素通りできるのだろう。佐渡さんの、この曲への「思い入れ」は、その程度だったのか。私にとって、佐渡さんの、マーラーの9番への接し方の「底」が知れた瞬間でありました。更に言えば、もっとシッカリと楽譜を読んで欲しいとも思えた。
いきなり、細かな箇所への言及から始まってしまいました。全体的に見れば、佐渡さんらしい、熱演型のマーラーの9番だったと言えるかもしれません。しかしながら、私には、感情過多に思えた。もっと言えば、「うわべ」を取り繕った、偽りの熱情で塗り立てられた演奏だった。そんなふうに思えてなりませんでした。
ここでちょっと、マーラーの9番を演奏する、という行為から一旦離れて書いてゆくことにします。
どの作曲家の作品であっても、演奏するにあたっては、一般的な「常識」や「ルール」のようなものが存在すると考えます。それは、音楽を奏でる上での「常套句」だとも言えそう。そしてそれは、ある種、暗黙のうちに存在しているもの。であるが故に、音楽が根源的に欲しているであろう「在り方」に則って、演奏家が音楽を奏で上げてゆくこととなる。佐渡さんは、多くの場合、そのような観点をシッカリとわきまえた演奏を繰り広げてくれる指揮者だと看做しています。であるからこそ、多くの聴衆から支持を受けているのでありましょう。しかも、表現意欲が旺盛で、かつ、サービス精神が旺盛な指揮者でもある。
それ故に、この日のマーラーの9番の演奏でも、全体像としては、大きな破綻をきたしていませんでした。(細かなところでは、かなり大雑把であったり、無造作であったり、ハチャメチャであったりしていましたが。)
外観上は、奇を衒ったところは感じられなかった。むしろ、熱の籠った演奏として受け入れられる類いのものだったかもしれません。表現意欲の旺盛さが随所に顔を出しながらの、饒舌な演奏だったとも言えそう。しかしながら、この演奏に込められていた情熱は、「まやかし」の情熱だった。或いは、見せかけの情熱だった。私には、そんなふうに思えてならなかったのであります。
例えば、最終楽章は、かなり遅めのテンポを採りながらの、「お涙頂戴」的な演奏でありました。確かに、この楽章は、そのような要素が強い。一般的な「常識」や「ルール」に基づくと、そのような演奏になることも頷けます。しかしながら、そのことが強調され続けると、聴いていてシラケてきます。絶え間なく「悲しいよ~、悲しいよ~」と大袈裟に叫び続ける姿は、滑稽でもあります。うんざりもしてきます。佐渡さんによる最終楽章は、そのような様相を呈していたように、私には思えた。もっと、毅然とした音楽を奏で上げて欲しかった。
しかも、間延びしていて、冗長に思えた。64小節目にa tempoで冒頭のモルト・アダージョのテンポに戻り、ffで熱っぽく音楽を奏でる箇所では、まだ最終楽章の三分の一ほどしか経過していないのに、この楽章の大半を聴き終えているかのような満腹感を覚えた。このような感覚に襲われたのは初めてでありました。
また、表現が大袈裟すぎて滑稽に思えた箇所としては、第2楽章の357,8,9小節目、3小節間にわたってのリタルダンドが、あまりに強烈過ぎた点を挙げたい。確かに、359小節目はモルト・リタルダンドの記載になっていますが、それにしても、芝居気たっぷりに過ぎた。ここでのリタルダンドを聴いて、思わずホールの天井を仰ぎながら苦笑してしまったものでした。
この辺りの話しになると、「音楽観」が大きく影響してくるのではないでしょうか。それは、音楽にどのような「いでたち」を望むのか、とも言い換えができそう。それからゆくと、私と佐渡さんの「音楽観」は、かなり掛け離れていると言えそう。特に、マーラーの9番を通じて見えてくる「音楽観」に於いては。
もう少し、苦言を呈したい。
私は、音楽における「句読点」の打ち方や、そのことに附随する「息遣い」や、「歩調」や、音楽がどのように「刻まれようとしているのか」、音楽が「どの方向に向かおうとしているのか」、音楽がどのような「立体感」を持っているのか、といったことを重視しています。その観点からすると、この日の佐渡さんの演奏は、スイスイと進み過ぎていたように思えてなりませんでした。そう、この文章の冒頭で、最終楽章の143小節目での例を挙げたように、音楽が素通りする場面が多かった。第1楽章の冒頭の箇所などでは、小節線をまたぐ度に、小節を越えることに対する苦しみのようなものが欲しいところなのですが、スイスイと次の小節へ流れ込んでゆく。それは、流麗であるというよりも、淡白なものであるように感じられた。それでいて、フレーズごとに、大きなタメを作ったりする。そのことがまた、「あざとさ」を感じさせてしまう。音楽の息遣いが十分ではないのに、派手な演出で誤魔化そうとする、そんな「あざとさ」が感じられたのであります。
4分の4拍子で、8つに分けて振って欲しいところを、4つで振っていた箇所も多く(例えば、最終楽章の28小節目から)、そのことがスイスイと音楽が運ばれてゆくことを助長していたようにも思えた。
なお、かなり大雑把であったり、無造作であったり、ハチャメチャであったり、と書きましたが、その例を幾つか挙げます。
最も酷いと思われたのが、第1楽章の307小節目から308小節目にかけて。308小節目の頭は5連符になっていまして、ここは合わせるのが大変な箇所。佐渡さんも、そのことに気を揉んでいたのでしょう。しかしながら、気にし過ぎたあまりに(と言いますか、308小節目の頭を合わせることに注力し過ぎたあまりに)、307小節目が1拍多かったように思えた。それが証拠に、バスドラのロールが、周りよりも1拍早く始められていた。バスドラ奏者は、キチンと拍子を数えていた(拍子の通りに、音楽の進行を感じていた)のでしょう。佐渡さんは、時おり、このようなハチャメチャなことをします。似たようなことを、昨年8月に演奏されたブラームスの2番の最終楽章(135小節目から138節目の入りに掛けてと、同じ動きが再現部で現れる、338小節目から341小節目の入りに掛けて)でも感じたものでした。拍節感を維持しにくい箇所を、自分勝手な拍子感覚で押し通そうとするキライがありそうです。
その例で言えば、第1楽章の209,10小節目から211小節目への移行も、スムーズでなかった。その原因は、209,10小節目で佐渡さんの指揮から拍節感が無くなり、211小節目の半拍前に出るヴィオラが、出るタイミングを掴み切れなかった点にあったと見ます。ヴィオラのために、指揮者は明確なアインザッツを出すべきだったのですが、佐渡さん、迷子になっていたのでしょう。
更には、楽器によって、同じ拍節の中に、音を3つ入れるパートと、4つ入れるパートが混在する箇所が多数出てきますが、その処理が無造作に思えた。そのことが表立って現れていたのが、第1楽章の245小節目と、415小節目。ここは、指揮者と団員との間で、ルールを決めて対処すべきだと考えますが、徹底できていなかったのでしょう。415小節目のほうでは、ホルンパートの中でも揃っていなくて、それは、指揮者の眼が行き届いてなかった結果なのだろうと推測します。
と、ここまでは手厳しいことばかり書いてきましたが、佐渡さんの情熱が、プラスに感じられた箇所を挙げようと思います。
真っ先に挙げたいのが、第3楽章の最後の箇所。617小節目でのPiu stretto(緊張感や速度を徐々に上げてゆく、という指示)は、かなり速いテンポで開始されました。ここの箇所は、627,8小節目、639,40小節目と、2回、トランペット・トロンボーン・テューバによる短いファンファーレ風の音句が出てきて、その度にテンポが速められ、641小節目でPrestoに至る、という構造になっています。それを、後先のことを考えずに、いきなり凄まじい勢いで奏で始めた、といった感じ。しかも、ファンファーレの度に更にテンポを上げていったため、最終的には途轍もなく速くなり、疾風が吹き荒れることとなった。団員は、よく付いて行ったと言えましょう。オケの健闘もあって、ここの場面では、怪我の功名的な魅力が感じられたものでした。ここでは、「まやかし」ではない、真剣勝負が感じられました。
また、これは、非常に細かなことなのですが、第1楽章がほぼ終わろうとしている箇所でのフルートのソロについて触れたい。432小節目から次の小節にかけてタイで音が繋がっているのですが、433小節目の頭にはアクセントが付いています。そのために、433小節目の頭を、音を少し押すような感じで強調して欲しい。このアクセント、演奏によっては見過ごされていることもある中で、この日の演奏ではアクセントがはっきりと「見えた」。先ほど、佐渡さんには、もっとシッカリと楽譜を読んで欲しいと書きましたが、ここでのアクセントを見落とさずに演奏に反映してくれていたのは、嬉しい限り。このようなことを積み重ねてゆくのは、とても尊いことであり、作品への誠実さを知るバロメーターにもなるだろうと考えるのであります。
先ほど、オケの健闘ぶりを讃えましたが、この日のPACオケの面々は、概して健闘していたと思えます。ホルンのゲシュトップ奏法に不安定な箇所が散見されたり、オーボエに音を支え切れていなかった箇所が見受けられたり、といった面がありはしたものの、この難曲を、破綻なく奏で上げてくれていた。チェロに、とんでもない高音域が出てきたりもしますが(第1楽章の129小節目からがその最たる箇所で、ここは誤魔化しが効かない)、僅かながら音程が怪しかったり、ちょっとビビっているような様子が窺えたりしたものの、大きな瑕疵にはなっていなかった。
そのような中でも、第3楽章の中間部でのトランペットによるソロは、柔らかみがあって、大いに聴き惚れました。また、随所で現れるヴィオラの首席によるソロが、雄弁な弾きっぷりで圧巻でした。第2楽章の384小節目が最初のヴィオラソロになりましょうが、そこでの強靭な弾き方に仰天。この箇所以降、ヴィオラのソロが出現することが、楽しみでならなくなった次第。他には、Es管のクラリネットのソロも、この楽器特有のつんざくような音にならずに、まろやかな音楽を吹き上げてくれていて、素晴らしかった。

なんだか、意地悪な「アラ探し」をしていたように思われるかもしれませんが、思い入れが強い曲である分、どうしても、細かなところが気になってしまい、このような聴き方になってしまいました。
とは言え、この日の佐渡さんによるマーラーの9番は、小手先でひねったものであったり、出たとこ勝負であったり、といった感が拭えません。1995年以来の演奏ということで、まだ、佐渡さんの手の内に収まり切っていないのでしょうか。
次に、佐渡さんによるマーラーの9番を聴く機会がいつ訪れるのかは判りませんが、そのときには、どのようなマーラーの9番に触れることになるのでしょう。