仲道郁代さんをソリストに迎えての、小林研一郎さん&日本フィルによる京都公演(コバケン・ワールド in Kyoto Vol.3)を聴いて

今日は「コバケン・ワールド in Kyoto Vol.3」と銘打たれた、小林研一郎さん&日本フィルの演奏会を聴いてきました。
演目は、下記の2曲。
●ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番≪皇帝≫(独奏:仲道郁代さん)
●ブラームス 交響曲第1番

この企画、第1弾が開催されたのが2年半前の2021年4月のこと。その際には、田部京子さんをソリストに迎えてのグリーグのピアノ協奏曲などが演奏されたのですが、そのグリーグでの田部さんに深い感銘を受けたものでした。そこでの田部さんのピアノは、何もかもが音楽的に的確であり、音楽における息遣いや、強靭さや、デリカシーや、そんなこんなの全てにおいて、何一つ作品との間に齟齬の無い演奏だった。そんなふうに受け止めたものでした。
第2弾は、2022年6月に開催されているようですが、聴きに来ることができていませんでした。ということで、Vol.1以来の2年半ぶりに接するコバケンさんの実演ということになります。
一方で、仲道さんによる協奏曲の実演を接するのは、これが初めて。
王道と言える2曲で、お2人がどのような演奏を聞かせてくれるのだろうかと、ワクワクしながら会場に向かったものでした。とりわけ、仲道さんによる≪皇帝≫がどのようなものになるのか、とても楽しみでありました。

ロームシアター京都のメインホールに最も近い入口の様子

それでは、演奏を聴いての印象について触れることにいたしましょう。まずは、前半の≪皇帝≫から。
繊細を極めた≪皇帝≫でありました。清楚な≪皇帝≫だったとも思え、その意味では、≪皇帝≫らしくない演奏だったとも言えそう。
仲道さんは、力み返るようなことは一切なかった。それは、冒頭の華麗なアルペジオから一貫していて、常に肩肘張らずに余裕を持って音楽を奏で上げていった。しかも、頗る端正に。
それだけに、白眉は第2楽章でありました。消え入りそうなまでに儚い音楽が、紡ぎ上げられていった。
その一方で、例えば、第1楽章のカデンツァの入りを、まるで≪ディアベッリ変奏曲≫でレポレッロのテーマが出現したときの雰囲気を醸し出そうとしていたかのように、ポキポキと弾むように弾いていて、興味深い変化を付けていたりした。
そんなこんなも含めて、仲道さんの音楽センスの高さを実感することのできる素敵な≪皇帝≫になっていました。
そのような仲道さんに対して、コバケンさんも、あまり熱くならず、エネルギッシュに音楽を掻き鳴らすようなこともなく、余裕のある音楽を奏でるよう腐心されていたよう。しかしながら、音が概して硬く、仲道さんの繊細さに寄り添いきれていなかったように思えたのが残念でした。しかも、第1楽章の2nd.ホルンのソロ(394小節目)の音量が異様に大きかったり、第3楽章の曲尻のティンパニ(402小節目)が場違いなまでに大きかったりと、違和感の残る箇所が散見されたのにビックリ。
全体的に、仲道さんのソロを的確にサポートし切れていたとは言えそうにない演奏ぶりだった。そんなふうに思えてなりませんでした。
ソリストのいないメインのブラームスの交響曲では、コバケンさんはどのような演奏を繰り広げてくれることになるのだろう、という思いを抱きながら、休憩に入ったものでした。

ここからは、メインのブラームスについて。
何と言えば良いのでしょうか。作品に肉薄仕切れていなかった演奏。そんなふうに思えてなりませんでした。
この作品には、途轍もないエネルギーやドラマが籠められている。むせぶようなロマンティシズムが備わってもいる。果てしない憧憬が窺えたりもする。堂々たる構えをしていて、重厚感に溢れていつつも、スリリングであり、かつ、熱くて、しかも、至る所から優しさが滲み出るような音楽となっている。そのような、この曲に籠められている性格が、あるべき形で体現されていなかったように思えてならなかったのであります。
コバケンさん、音楽に対して、頗る謙虚であり、誠実であることは間違いないことでしょう。本日も、誠心誠意、この作品に立ち向かっていた。それは理解できたのですが、何と言いましょうか、空虚に鳴り響いていた。作品の煌めきが、実感できなかった。作品が持つ鼓動が、私には伝わり切れなかった。
しかも、多くの箇所で、音楽の流れにぎこちなさが感じられた。最終楽章のみから例を引いてみましても、20小節目に向かうストリンジェンドがまどろっこしかったり、285小節目の四分休符が異様に長く採られたことによってタメが大きくなって演出過剰な音楽になっていたり、391小節目のPiu Allegroに向かうストリンジェンドがスムーズに行かずに最後の2小節間で帳尻合わせをするようであったりと。
更には、随所で、ホルンを意識的に強奏(第1楽章の462小節目からの4小節間であったり、最終楽章の冒頭部分でトロンボーンによるコラールが終わった後の52小節目に再度現れるアルペンホルンの調べであったり)させていたのも、音楽のフォルムを崩すことに繋がっていたように思えて、賛同しきれない思いが募った。ホルンを強奏させる際、コバケンさんはしばしば、客席の後方を指差していました。遠く、客席の最後尾まで響き渡る音を望んでのジェスチャーだったのでしょうが、そのことによって、ホルン・セクションは、ホールの空間を突き刺すかのような衝撃波を打つ格好になり、私には、デリカシーに欠ける音楽になってしまっていたように思えてならなかったのです。また、そのような音楽を望んだコバケンさんの音楽センスを疑いもしたものでした。

アンコールは、コバケンさん得意の≪ダニー・ボーイ≫。思い入れタップリな、コバケン節全開の演奏でありました。
アンコールで、満たされなかった思いで曇っていた気持ちが若干晴れたものの、コバケンさんによるブラームスの1番、期待が大きかっただけに、その期待が裏切られてしまい、憤然としながら会場を後にすることになってしまいました。