ルドルフ・ゼルキン&ミトロプーロス&ニューヨーク・フィルによるモーツァルトのピアノ協奏曲第25番を聴いて
ルドルフ・ゼルキン&ミトロプーロス&ニューヨーク・フィルによるモーツァルトのピアノ協奏曲第25番(1955年ライヴ録音)を聴いてみました。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に収蔵されていた音源での鑑賞になります。
ハ長調で書かれたこの作品は、モーツァルトが書き上げたピアノ協奏曲の中で最も壮麗な音楽であると言えましょう。そのような作品に対して、ここでは、壮麗極まりない演奏が繰り広げられています。気宇が大きくて、覇気に溢れていて、輝かしい。
そのような演奏ぶりは、まずもって、冒頭楽章でのオーケストラのみによって奏で上げられる提示部からして、顕著であります。ここでのミトロプーロスに音楽づくりの、なんと勇壮なこと。速めのテンポを採りながら、猪突猛進してゆくような音楽が鳴り響いている。輪郭線が明瞭で、克明な演奏ぶりが示されている。意志の強さが感じられもする。そして、燦然たる音楽となっている。モーツァルトに対する演奏としては、あまりに力強すぎると捉える向きもあるかもしれませんが、この作品は、そのようなミトロプーロスの演奏ぶりを、しっかりと受け止めていて、作品自身が嬉々とした表情を浮かべている。そんなふうに思えます。
そのようなミトロプーロスを受けて、ゼルキンもまた、壮健にして剛毅な演奏を展開しています。実に逞しい音楽となっている。それはもう、痛快なまでに。
そのうえで、両者による演奏は、モーツァルトに相応しい明朗なものとなっている。音楽が、そこここで弾んでいる。それでいて、はしゃぎ過ぎることはなく、ある種のニヒルな雰囲気が滲み出てもいる。そう、充分過ぎるほどに情熱的でありながら、そのような音楽づくりに溺れることなく、ザッハリッヒな表情が見受けられもする。しかも、強靭な音楽づくりでありつつも、作品を締め上げるようなものにはなっていない。むしろ、しなやかな音楽となっている。
このような芸当は、そうそうできるものではないと言えましょう。
なんとも見事な、そして、独特の魅力を持っている、素晴らしいモーツァルト演奏であります。
なお、モノラルでのライヴ録音で、ときおり音が歪むこともありますが、総じてクリアな音で録れている。
この貴重な記録を味わうのに、支障のない音質であると思います。