佐渡裕さん&兵庫芸術文化センター管による演奏会(マーラーの≪巨人≫ 他)の最終日を聴いて

今日は、佐渡裕さん&兵庫芸術文化センター管(略称:PACオケ)による演奏会の最終日を聴いてきました。
演目は、下記の3曲。
●バーンスタイン ≪キャンディード≫序曲
● 〃 ≪ウエストサイド・ストーリー≫よりシンフォニック・ダンス
●マーラー ≪巨人≫
PACオケのシーズンは、9月に開幕して8月で閉じます。今回は、2025-26シーズンの最後の定期演奏会。そこに持ってきたプログラムは、佐渡さんの師であるバーンスタインへのオマージュと呼べそうなもの。実際のところ、チラシには「バーンスタインの魂を受け継ぐ、佐渡裕、渾身のマーラー」という謳い文句が記されています。
私がPACオケに通い始めた2021年9月以降、佐渡さん&PACがマーラーの交響曲を採り上げるのは、4番、7番、9番、8番に続いて、今回が5つ目。毎シーズン、マーラーを採り上げてきています。佐渡さんがPACオケの定演を指揮するのは毎シーズン3回ですので、かなりの高い割合でマーラーを採り上げていることになります。そこには、佐渡さんのマーラー作品への傾倒や、この時期、マーラーを掘り下げていこうといった思いもあるのでしょうが、アカデミー機能を持っているPACオケをマーラーの作品を通じて鍛えていこう、といった意図も隠されているように思われます。
そんな位置づけにありそうなマーラーで、今回、どのような演奏を繰り広げてくれるのか。更には、前半のバーンスタインの2作で、どのような演奏を聞かせてくれるのか。2022年5月の定演で披露された≪プレリュード、フーガとリフス≫が、ダイナミックにしてノリノリな演奏だっただけに、本日の2作にも期待が募りました。そして、このプログラム全体を通じて、バーンスタインへの佐渡さんの思いが、どのような形で刻まれることになるのか。そんなこんなの興味の尽きない演奏会でありました。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは、前半のバーンスタインの2作についてでありますが、2曲とも、期待外れな演奏だった。
2曲ともに、所属していた大学オケで採り上げたことのある作品(但し、私は乗り番ではありませんでした)だけに、思い入れのある作品であり、どこにどのような仕掛けがあるのか、或いは、ここの箇所はこんなふうに響いて欲しい、といった思いを強く持っている作品であります。それからすると、本日の佐渡さんの演奏には、不満が多かった。
まず≪キャンディード≫でありますが、明朗快活な演奏だったとは言い切れずに、聴いていてあまりワクワクしなかった。もっと陽光の振り注ぐような音楽世界が広がって欲しかった。また、第2主題はもっと伸びやかに、かつ、感興豊かに歌って欲しかった。
更には、全体を通じて、強奏した際に音がダブついた印象を受けた。単に力づくで音をガナリ立てていて、豊満に過ぎる演奏だった、といった印象を強くしたのであります。響きが濁ってしまってもいた。この点が、最も大きな不満でありました。
なお、53小節目から次の小節にかけての5つの音にはアクセントが記されているのですが、それが全く強調されていなかったのが、とても寂しかった。このアクセントは、音を強く、といった意味もありますが、音に硬さを加える、といった意図も含まれているように思えます。その硬さによって、他の音との差異を持たせて欲しい。言い方を変えると、凝縮度の高い音を響かせて欲しい。そんな箇所だと思えるのであります。なぜ、このアクセントが無視されたのだろう。不思議でなりませんでした。
このことに象徴されているように、単に豊満で開放的な音楽を響かせるだけでなく、凝縮度の高さも欲しかった。そのことによって、開放感がクローズアップされることにもなる。そんな、「奥行きの深さ」といったものに不足している、とも思えてなりませんでした。
続く≪ウエストサイド≫でも、音がダブついているような印象が強かった。音が、節操なく飽和していた、とも言えそう。なるほど、そのことがダイナミックな面白さ、といったものを生んでもいたのですが、その点を追求してゆくだけで、中身が整理されていない。音楽が毅然とすることも殆どない。その点に不満を覚えたものでした。
また、冒頭などは、もっと与太った雰囲気を出して欲しかった。更には、プレトークで、ファのシャープが入ることによって「ワル」な雰囲気が生まれる、ということを強調されていたのですが、「クール」では、その「ワル」な雰囲気が十分に滲み出ていなかったように思えた。と言いましょうか、充分にキャラクタリスティックな音楽になっていなかった。言い換えを変えると、平板な音楽になっていた。
なるほど、「マンボ」や「クール」の後半でのオケを目一杯鳴らしながらのエネルギッシュな演奏ぶりは様になっていました。「クール」ではトランペットを立たせるといった演出が加えられていて、それが効果的でもあった。但し、それは想定の範囲内で(もっとも、想定通りの演奏を繰り広げるということは、とても尊いことなのですが)、ある種、ありきたりな演奏だったとも思えたものでした。
なお、この2曲においても、ホルンのトップを吹いている宇名根さんの巧さには惚れ惚れとさせられました。彼女の音が立ち上がってくると、音楽世界が一変し、とても薫り高いものとなる。そんな、宇名根さんの魅力が端々に散りばめられた演奏でありました。
ここからは、メインの≪巨人≫について書いてゆくことに致しますが、前半での2曲以上に不満の募る演奏でありました。
全体的に、表情過多な演奏となっていた。それがマーラーなのだとも言えるのかもしれませんが、度を越していたと言いたい。更には、なよなよとし過ぎていたように思えてならなかった。そう、もっと毅然と音楽を鳴らして欲しかった。何と言いましょうか、「お涙頂戴」的な匂いがプンプンしてくる演奏でもあった。
その主たる要因は、テンポをガクンと落として連綿たる歌を展開させよう、そのことによって音楽を感傷的な色で染め上げていこう、といった意図が、あまりに露骨に、そして、頻繁に現れていたことに依っていたと言えそう。しかも、頗る安易な形で、そういった表情が現れる。結果として、音楽が沈滞することもしばしば。テンポを落としたとしても、途中から音楽を煽っていくようなことがあれば、そのような印象を食い止めることもできるのでしょうが、殆どの箇所で、そのような措置が採られることがなく、漫然と音楽が流れてゆく、といった結果に陥っていた。バーンスタインは、遅いテンポを採りながらも、音楽を扇情的に、そして、情念タップリに奏でていった。そこが、大いに異なる点なのだと言いたい。
なお、最終楽章のちょうど真ん中辺り、練習番号33に入る直前のリテヌートの指示がある箇所で、佐渡さんの指揮の動きが滞った。このことが、佐渡さんは、まだこの曲を完全に掌中に収め切れていないのだ、或いは、作品が身体に染み付いていないのだ、ということを物語っているように思えてなりませんでした。そう、本日の≪巨人≫での佐渡さんの音楽づくりは、なんだか頭で捏ねくり回した結果なのであって、心からの共感に基づくものではなかったのではないだろうか、と思えたのであります。
また、第1楽章での全体設計にも、疑問が残った。なるほど、展開部は、かなり静的であり、かつ、暗鬱としていながらも透明度の高い音楽となっています。しかしながら、再現部に入ると、音量としては、まだオケがパワーを全開させる訳ではないものの、一気に視界は開け、明朗で伸びやかな音楽世界が広がる。その後に、練習番号26の6小節前で強奏させられることとなり、音楽は力強く鳴り響く。そのような段階を踏みながら音楽は昂揚していって欲しいところを、本日の演奏では、強奏される場面まで音楽をセーブさせながら進んでいった。この箇所に、若き日のマーラーの伸びやかにして朗らかな感情が描き上げられていると感じられるだけに、その様には大きな不満を抱いたものでした。また、練習番号26の6小節目以降での強奏では、感興豊かな音楽が奏で上げられていっただけに、実に残念でありました。もっとも、この楽章の最後の2つの音だけテンポを落としたことには、なんとも臭い演出だと思えたのですが。
続く第2楽章は、本日の演奏で最も納得のいかないものとなっていました。楽章の冒頭は、やや遅めのテンポで開始され、重心が低く採られていた。そのこと自体は、決して悪いことではない。しかしながら、そこで生み出された雰囲気が、それ以降の表現と一貫性が保たれていたとは言えそうになかった。音楽を与太った感じで奏でることも、一貫性を欠くこととなっていた。そう、なんだか場当たり的な音楽だったように思えたのであります。頭で捏ねくり回したような音楽に感じられた、というのも、この辺りから来ています。しかも、トリオ部では、常軌を逸するほどにテンポを落として、儚げに演奏していた。音楽を執拗に揺らしてもいた。その演出の、なんと臭かったことでありましょう。佐渡さん本人としては、迫真の演奏を展開することができた、といった思いを抱いていたのかもしれませんが、そうだとしたら、それは単なる自己陶酔でしかなかったのだ、と私は言いたい。
第3楽章も、毅然とした態度に欠けた演奏ぶりだったと言いたい。しかしながら、この楽章の中間部の出だしは、その儚げな表情が曲想にマッチしていて、かつ、美しかった。本日の演奏で、私が最も感心させられたのが、この箇所でありました。
また、最終楽章の練習番号8(86小節目から)での第1ヴァイオリンをタップリと響かせることによって、音楽の彫琢が増すことに繋がっていったことにも、感心させられたものでした。
かように、幾ばくかの納得させられる箇所(その中には、第1楽章の練習番号26の6小節前からの強奏も含まれる)もありはしましたが、概して、鼻につく点の多い演奏だった、というのが率直なところであります。
なお、ホルンのトップを吹いている宇奈根さんは、ここでも見事でありました。その柔らかな響きの、なんと魅力的なことでしょう。ほんのさりげない箇所でも、宇奈根さんが入ってくると、音楽にコクが生まれ、夢見心地にさせられるような芳醇な音楽世界が出現する。また、強奏部では、決して乱暴になることなく、音楽に芯を与えてくれる。いやはや、素晴らしさホルン吹きであります。
また、オーボエのトップの表情の豊かさや、芯のシッカリとした吹き方にも、魅了された。2ヶ月前の定演で下野さんが指揮した≪家庭交響曲≫でもオーボエに感心させられたのですが、同じ奏者なのでありましょうか。
なお、アンコールは≪星条旗よ永遠なれ≫。
佐渡さんらしい威勢の良い演奏でしたが、終わり近くでのリタルダンドが、この音型に入った瞬間に掛けられたのには幻滅させられました。佐渡さん、短視眼的に過ぎるのでしょうね。堪え性がない、とも言えるのかもしれません。

なお、冒頭でも触れましたように、本日が今シーズン最後の定演。演奏後にはステージ上で、卒業生一人一人に対して、個別に、佐渡さんから花や記念品が手渡されていました。
その様子が微笑ましく思えたと共に、各奏者の卒業後の活躍を祈らずにおれませんでした。






