豊嶋泰嗣さんをソリストに迎えての出口大地さん&兵庫芸術文化センター管による特別演奏会(バッハ、ベルク、ベートーヴェンによる協奏曲作品を演奏)を聴いて

今日は、豊嶋泰嗣さんをソリストに迎えての、出口大地さん&兵庫芸術文化センター管(略称:PACオケ)による特別演奏会を聴いてきました。
演目は、下記の3曲。
●バッハ ブランデンブルク協奏曲第5番
(フルート独奏:シン・イェジ、チェンバロ独奏:中野振一郎さん)
●ベルク室内協奏曲 ― ピアノ、ヴァイオリンと13管楽器のための
(ピアノ独奏:上野真さん)
●ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲

PACオケのコンサートマスターを務めておられる豊島さん。豊嶋さんがコンマスの際のPACオケは、弦楽器群に艶やかな美しさが備わり、かつ、統制が取れていて束になって奏で上げていくといった色合いが強くなるように思われ、私としては厚い信頼を寄せているコンマスであります。
そのような豊嶋さんが本日は、プロデビュー40周年を記念しての特別演奏会で、PACオケをバックに3つの協奏曲作品のソロを弾いてゆく。
豊嶋さんは、桐朋学園在学中に、ハレ―・ストリング・カルテットを結成。1985年には学生でありながら新日本フィルのゲスト・コンサートマスターを務めるようになり、翌1986年に新日本フィルのコンマスに正式に就任されています。ということで、今年がプロデビュー40年目になる。

私が豊嶋さんの実演に初めて接したのは、1988年11月30日のことでした。場所は、東京の曳舟文化センター。
その演奏会は、NADA(ナーダ)という室内楽グループによるもの。演目はシェーンベルクの≪浄夜≫他でした。
(その時のプログラム冊子の一部を写真撮影しましたので、掲載いたします。)

錚々たるメンバーが揃っています。未だかつて、このような豪華な顔ぶれが揃っている我が国の室内楽グループは、NADAを置いて他にないのではないでしょうか。なお、弦楽器の6人は、全員が桐朋学園を卒業されているようです。
このとき豊嶋さんは、ヴィオラを弾いておられました。
豊嶋さんがプロデビューしてから2年が経過したばかりの演奏会。このようなメンバーの中に、まだ若かった豊嶋さんが抜擢されているというだけでも、周囲から期待の程や、その演奏の確かさが窺えるものであります。
(なお、上に記載した豊嶋さんのプロフィールは、このNADAによる演奏会のプログラム冊子に掲載されているものを抜粋したもの。そこには、「若手の大器である」という言葉も添えられています。)
ちなみに、この時の演奏会では、≪浄夜≫が圧倒的に素晴らしかったと記憶しています。

本日の演奏会では、バッハ、ベルク、ベートーヴェンと、ドイツに生まれた、名前の頭文字がBである3人の作曲家の手によって生み出された、異なる様式感を持った作品が演奏される。豊嶋さんのことであります、それぞれの味わいクッキリと描き分けつつ、誠実味に溢れた演奏を繰り広げてくれるのではないだろうか。そんなふうに予想したものでした。
なお、出口さんによる指揮に接するのは、今回が初めて。どのような演奏を繰り広げてくれるのか、こちらもまた、楽しみでありました。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは、前半の2曲から。
豊嶋さんならではの、誠実にして折り目正しい演奏ぶりが示されていたものとなっていました。
冒頭のバッハは、指揮者を置かずに演奏されました。トゥッティの奏者は8人。豊嶋さんは、独奏ではない箇所ではトゥッティも弾いていた。
そのようなこともあってのことでしょう、なんともインティメートな雰囲気に溢れた演奏が繰り広げられていました。
そのような中で、豊嶋さんは、凛とした演奏を展開されていた。しかも、音はかなり骨太なもの。ふくよかさや、厚みや、といったものを備えていた。
それでいて、十分に艷やかでもあった。
そんなこんなが、全く押し付けがましさのない形で示されてゆく。それもこれも、豊嶋さんの音楽性や、人間性や、といったものの現れだったのでしょう。
とりわけ、トリオ・ソナタの形態を採っている第2楽章では、端正で冴え冴えとしていて、かつ、メランコリックにして格調の高いヴァイオリン演奏が展開されていて、グッと惹き込まれたものでした。
フルート独奏のシン・イェジは、今年の8月までPACオケに在籍していた卒団生。屈託のない演奏ぶりではありましたが、伸びやかさや、飛翔感に乏しかったのが残念でした。
2024年2月に、PACオケは堀米ゆず子さんにリードされながら≪ブランデンブルグ協奏曲≫の全6曲を演奏しており、その折も、イェジは第5番のフルート独奏を務めていました。そこでのイェジの演奏に対して、私は次のように書いています。
伸びやかさに不足していたように思えて、残念。細切れに鳴り響いていて、音楽が弧を描かない、といった感じを持った。
前回も、同じような印象を持ったのだなと、しみじみ思わされたものでした。
チェンバロは、この楽器において我が国を代表する奏者の一人と言えそうな中野さんでありましたが、おしなべて、今一つ主張の少ない演奏ぶりだったように思われたものでした。但し、長大なカデンツァでは、ここぞとばかりに饒舌なものとなっていた。
そのカデンツァでは、表情豊かで、大きく伸縮させながらの演奏が繰り広げられていたのであります。但し、それはかなり恣意的なものだと感じられた。そう、ワザとらしさが匂ってくる。音楽のフォルムが崩れてしまっているようにも思われた。私の趣味ではなかった、というのが正直なところでありました。
次に演奏されたベルクでは、精妙な音楽が展開されました。
ここでも、豊嶋さんらしいと言いましょうか、端正にして清潔感に溢れた演奏を繰り広げてくれていました。そのうえで、この作品ならではの玄妙な音楽世界を描き出してくれていた。
また、ピアノの上野さんは、雄弁な音楽を奏で上げていた。
但し、出口さんの指揮が、交通整理的だったのが惜しかった。例えば、ブーレーズによるこの作品の演奏は、冷静さと激情的なものとが両立したものとなっていた。そのような激情的な要素に乏しかったことに、不満を覚えたものでした。

ここからは、メインのベートーヴェンについて。こちらは、問題の多かった演奏だったと思えてなりませんでした。
豊嶋さんのソロが音程を外すことが夥しく、ハラハラされっぱなし。その様は、なんとも痛々しいものでありました。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、それほど名技性が要求されていない、といった印象が強いのですが、端正に、そして、正確に弾こうとすれば、こんなにも難しいのだ、ということを思い知らされたものでした。豊嶋さんをもってしても、こうなってしまうのですから。
それは、ベートーヴェンの協奏曲は、小細工が利かない、或いは、ハッタリが利かない音楽なのだ、ということにも依るように思えてならない。
豊嶋さんに対して私は、絶大なる信頼を置いていただけに、ショックでもありました。
豊嶋さん本人も、音程がうまく取れないということを自覚されていたはず。そのために、なかなか積極果敢に攻めることができず、恐る恐る弾いてゆく、といった雰囲気が支配的でもありました。また、出口さんによるバックアップも、腫れ物に触るかの如く音楽を付けてゆく、といった箇所が多かったように思われたものでした。
そのような中でも、例えば、第1楽章の展開部では、全般的に、音程を外すことが比較的少なく、なおかつ、音を潜めながらの儚げな音楽づくりに惹き込まれたものでした。と言いつつも、感傷的になり過ぎるようなことはなく、凛とした音楽が奏で上げられていた。
同様のことが、第2楽章の中間部、オケがピチカートで鳴らしてゆく箇所(55小節目の4拍目以降)でも感じられました。そこでは、夢見心地に誘われるような美しさを湛えてもいた。
また、ロンド形式で書かれた最終楽章の中間部、ファゴットと掛け合いをする箇所での一部でも、なんとも凛々しくて、かつ、艷やかな音楽を奏で上げてくれていた。
かように、豊嶋さんによるソロは、ゴシゴシ弾いてゆくようなことは皆無で、繊細にして温もりに満ちたものであり、それが嵌まれば(なおかつ、音程が当たれば)、実に美しくあった。
これ見よがしに音楽を奏でずに、誠実に演奏に当たってゆく豊嶋さん。私が、豊嶋さんを信頼している理由は、まさにここにあります。そのような豊嶋さんの姿を、至るところで見出すことのできた、ベートーヴェンでの演奏ではありました。しかしながら、音程による瑕疵があまりに多かった。そのことが惜しまれてなりませんでした。
さて、出口さんによる演奏ぶりでありますが、冒頭から、かなり遅めのテンポが採られていて、悠然とした音楽づくりが為されていた。と言うよりも、鈍重なものになっていたように思われた。時に、「ドッコイショ」といった風な演奏にもなっていた。
遅めのテンポが採られていたのは、豊嶋さんの技術的な面を考慮した結果(或いは、話し合いをした結果)なのかもしれません。但し、そのことで鈍重な音楽になったのは、頂けません。
また、これはとても細かなことなのですが、主題提示部と展開部に入って早々の箇所とで、同じ動きをしている場面(28小節目からのフレーズの4小節目の頭と、224小節目からのフレーズの4小節目の頭)があるのですが、音価に不一致があった。すなわち、前者では長めに音を保持していたのに対して、後者では音をスパッと短く切っていたのであります。この点に、疑問を抱いてしまいました。ところが、帰宅してスコアで確認すると、前者は4分音符に、後者は8分音符になっていた。私はてっきり、両者ともに4分音符だと思っていた(なお、主題提示部では、2小節目の頭は8分音符、4小節目の頭は4分音符書き分けられていることによって、4小節目の4分音符がとても印象的なものとなる)だけに、出口さんによる描き分け方は楽譜通りだったのだと、合点がいったものでした。
そのような、気掛かりが幾つかありました(但し、音価の不一致は、私の思い違いだった)が、豊嶋さんの不調で、出口さんとしても思い切った演奏が展開できなかったのではなかっただろうか、という点は、可哀想でありました。

なお、アンコールは、添付写真の通り。
弦楽器群の最前列の8人とトントラバスの1人の計9人による伴奏を伴って、豊嶋さんがソロを奏でる、といった趣向の作品でありました。ミュートを付けて奏でてゆく音楽になっていた。
ここでは、音程の不安定さは見受けられずに、しっとりとした演奏ぶりに魅了されたものでした。