下野竜也さん&兵庫芸術文化センター管による演奏会(R・シュトラウスの≪家庭交響曲≫ 他)の最終日を聴いて

今日は、下野竜也さん&兵庫芸術文化センター管(略称:PACオケ)による演奏会の最終日を聴いてきました。演目は、下記の3曲。
●メンデルスゾーン 序曲≪ルイ・ブラス≫
●シューマン ヴァイオリン協奏曲(独奏:五明佳廉さん)
●R・シュトラウス ≪家庭交響曲≫

2024年10月以来、2年ぶりにPACオケの指揮台に登る下野さん。前回は、世界的な名声を得ているチェリストのブルネロと共演してドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏した下野さんでしたが、そのブルネロを喰ってしまったと言いたいほどに充実したオーケストラ演奏を繰り広げてくれたものでした。それは、演奏家としての誠実さと責任感を示しながら、雄大にして逞しい音楽を奏で上げていく、といった演奏ぶりでもあった。しかも、音楽を自在に、かつ、作品が望んでいる通りに伸縮させてゆく。その呼吸の見事さたるや、惚れ惚れするほどでありました。また、与えられてゆく表情も、作品が望む通りのものだったと言いたい。
このような印象は、2年前のPACオケでの演奏会に限ったものではなく、ここ数年の間に接した下野さんによる演奏の大半で見受けられるものとなっています。本日の演奏会でも、同様の素晴らしい音楽に出会えることだろうと、大きな期待を寄せながら会場に向かったのでした。

なお、シューマンのヴァイオリン協奏曲でソリストを務める五明佳廉(ごみょう かれん)さんを聴くのは、今回が初めてになります。
つい最近、ビシュコフ&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管と共演を果たしたそうです。また、シューマンのヴァイオリン協奏曲は、今年に入って本格的に学び始めたとのこと。そんな五明さんが、どのような演奏を繰り広げてくれるのか、こちらも楽しみでありました。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致しましょう。

まずは、前半の2曲から。
何と言いましても、≪ルイ・ブラス≫が途轍もなく素晴らしかった。
前プロでの演奏にありがちだと言えそうな、様子見をする、といった姿勢は微塵も見受けられず、全力投球の演奏が繰り広げられていました。それ故に、頗る雄弁な音楽が奏で上げられることとなっていた。しかも、音楽が至るところで沸騰していて、かつ、凝縮度の高い音楽が鳴り響いていました。
メンデルスゾーンの音楽は、単に優美であったり、お行儀が良かったり、といった面ばかりではなく、激しいパッションを秘めた曲想が提示されることが多い。それは例えば、弦楽八重奏曲では、曲の至る所に”con fuoco(火が燃え滾るように激情的に)”という指示が為されていることからも窺えます。それは、ロマン派の音楽が持つ「感情の昂ぶりの表出」でもあると言えましょう。それは、この≪ルイ・ブラス≫においてもまた然り。そのような性格を、下野さんは、遺憾なく描き出してくれていたのであります。
そこにもってきて、第2主題に顕著なように、メンデルスゾーンならではのリリカルな味わいも、十分に示されていた。また、木管楽器のタンギングを明瞭な形で吹かせることによって、目鼻立ちのクッキリとした音楽が奏で上げられてもいた。
そんなこんなが相まっての、聴き応え十分な、見事な≪ルイ・ブラス≫でありました。
続きましてはシューマンのヴァイオリン協奏曲についてとなりますが、元来が「とっつきにくい」音楽、更には、演奏効果の上がりにくい音楽だと言えそうで、その分、五明さんも、下野さんも、随分と損をしていたように思えたものでした。プログラム冊子には、「この作品はミステリアスだ」と評した、五明さんによる言葉が掲載されており、なるほど、そのようにも表現できましょう。
ちなみに、五明さんはまだこの作品を完全に掌中に収めているとは言えそうになく、譜面台を立てて演奏をしていました。
さて、ここでの五明さんによる演奏を聴いていますと、かなりパッショネイトなヴァイオリニストだな、といった印象を受けたものでした。アグレッシブで、かつ、感情をぶつけてくるような演奏ぶりとなっていた。とは言いましても、雑になったり、音が汚れてしまったり、といったようなことは皆無。響きは、実に艷やかなものでありました。中低音は、ふくよかで豊かだった。また、高音域は、ヴァイオリンならではの伸びやかさや、艶美な表情を湛えたものとなっていた。
そのような演奏ぶりによって、率直な演奏が展開されていました。また、最終楽章では遅めのテンポを採りながら、ジックリと音楽を聞かせてゆく、といったものになっていたのが印象的だった。(この点につきましてはプログラム冊子でも言及されていまして、ロンド形式によるフィナーレにしては遅めのテンポ設定になっているのは、シューマンの指示通りなのだとのことであります。)
そんなこんなによる、丁寧な演奏が展開されていた。なおかつ、感受性の豊かさも十分に示されている演奏が展開されていた。そんなふうに言いたくなる演奏でありましたが、今一つ、心に沁み入ってくる音楽になっていなかったのは、やはり、作品に依るところ大なのでありましょう。
ソリストアンコールには、サミュエル・アダムスという作曲家による≪ヴァイオリン・ディプティック≫が披露されました。無伴奏ヴァイオリンによる、ちょっと前衛的とも言えそうな音楽でありました。
こちら、弱音を主体としていつつも、起伏に富んだ音楽となっていました。そのような作品を、五明さんは精妙に、そして、しめやかに、なおかつ、表情豊かに演奏してくれていました。とりわけ、高音域での繊細な美音には、耳を奪われたものでした。
弱音であっても、ピンと張り詰めた音が、ホールの隅々にまで響き渡ってゆく。
そのような演奏によって、ミステリアスな音楽世界が広がっていった。
本編のシューマンよりも、こちらの方で五明さんの真価を確認できた、と言いたくなるアンコールでありました。

ここからは、メインの≪家庭交響曲≫について。
こちらも、≪ルイ・ブラス≫に勝るとも劣らない見事な演奏でありました。最近の下野さんの充実ぶりからすると、素晴らしい演奏になるだろうことは十分に予想できたものの、期待していた通りの秀演であり、高い次元で期待に応えてくれていた下野さんに、驚嘆せざるを得ませんでした。そのうえで、いよいよ、「本物だ」という思いを強くしたものでした。
頗る克明であり、活力に満ちた演奏が繰り広げられていたのですが、音楽が鋭角的になるようなことはない。むしろ、丸みを帯びた音楽が鳴り響いていました。もっと言えば、暖かみのある音楽になっていた。更には、攻撃的だったり、高圧的だったり、過激な表情が施されたり、といったことも皆無だった。そのような音楽づくりが、この作品に織り込まれている「家族への愛情」にピッタリ。
それでいて、穏当な音楽になるようなことはなく、逞しい生命力が漲っていた。力任せに音楽を掻き鳴らすようなことはない。むしろゆとりを持ってオケを鳴らしていたにも拘らず、豊麗な音楽が奏で上げられていた。R・シュトラウスならではの絢爛豪華な雰囲気にも事欠くようなことはなかった。
そんな下野さんに、オケもまた、見事に応えてくれていました。今回のコンマスを務めていたのは豊嶋泰嗣さんでありましたが、豊嶋さんがコンマスの時には、このオケの弦楽器群の響きは艷やかなものなるように思っており、それは本日もまた然り。なんとも美麗で、かつ、厚みのある響きで満たされていました。或いは、アンサンブルが精緻でもあった。このことは、前プロの≪ルイ・ブラス≫においても既に認められたものの、≪家庭交響曲≫では、曲が曲なだけに、より一層強く感じられたものでした。
更には、豊嶋さんのコンマスソロも、実に凛としていて、美しかった。知的であり、清潔感に満ちてもいた。しかも、弱々しさの全くない、存在感抜群なソロが展開されていました。
弦楽器群に限らず管楽器群もおしなべて秀逸で、とりわけ、オーボエ・ダモーレを筆頭に、オーボエ属の見事さが目立っていました。
(終演後にメンバー表を見ますと、ダモーレは新日本フィルの首席奏者である神農さんという方がゲストで登場して吹いていたようです。)
また、曲が始まって5分ほどが経過して「おかあさん」の主題が現れる、ダモーレによって導かれる軽やかな身のこなしをしたフレーズを奏でる箇所(練習番号:18の9小節目、Scherzoと記された箇所)での木管楽器群の表情豊かな演奏ぶりが、とても印象的でもありました。それは、この箇所での、下野さんの音楽の揺らし方やフレーズの中での抑揚の付け方が、実に精巧だったことにも依るのだと言いたい。
そう、下野さんによる音楽づくりは、誇張がなくて、とても端正なものでありつつ、その中から息遣いの豊かな音楽が立ち上がってくる。それは、今ここで挙げたような微妙な変化に依るところが大きいのだと言いたい。しかも、その変化は、これ見よがしなところが全くない。頗る自然に、そして、「あるべくして」為されてゆくのであります。或いは、音楽を煽るべきところでは、シッカリと煽る。それ故に、音楽が存分にうねってゆく。こちらもまた、頗る自然な形で。
そんなこんなによって、生き生きとしていて、しなやかで、かつ、説得力に満ちていて、魅惑的な音楽が鳴り響くこととなるのであります。なおかつ、音楽が弛緩するようなことも全くない。
更には、フーガでは、決して力づくになるようなことがなかったものの、音楽が存分に鳴り切っていて、立体的に、かつ、重層的な音楽が奏で上げられていた。しかも、乱痴気騒ぎになるようなことがなく、ある種、整然と奏で上げられていた。そのような中から、燦然と輝くトランペットの音が立ち上がってくる様は、鳥肌ものでありました。そう、このフーガに限った話ではないのですが、恍惚感の高い音楽が随所で鳴り響いていたのであります。それがまた、R・シュトラウスの作品には誠に相応しかった。
なおかつ、終結部(練習番号:143以降、”Sehr lebhaft und lustig~非常に生き生きと、そして、朗らかに”と指示された箇所)では、テンポをグンと上げて、で扇情的に盛り上げてゆく、といった手法を採る演奏が多いと言えましょうが、下野さんは、やや遅めのテンポでジックリと奏でていった。しかも、音の粒をハッキリと際立たせながら。必要以上に興奮状態に陥らずに、整然とした音楽を志向してゆく、といった姿勢が見られて、感心させられたものでした。しかも、音楽には必要十分な昂揚感がもたらされていた。下野さんの懐の深さのようなものや、音楽センスの高さを痛感せずにはおれませんでした。
繰り返しになりますが、鋭利になるようなことなく、ふくよかで、暖かみがあって、なおかつ、逞しい生命力が漲っていて、表情豊かで、そして、緊密にして、弛緩するようなことが皆無だった演奏。そこには、下野さんの妙技が満載だったとも言いたい。いやはや、なんとも見事な演奏でありました。
オケによるアンコールとしては、≪明日へ≫という、R・シュトラウスによる歌曲の作品を編曲したものが演奏されました。
コンマスソロによって紡ぎ上げられる箇所の多い、弱音を主体としながらの、ゆったりとしたテンポによる、抒情性豊かな音楽となっていました。しみじみとした雰囲気を湛えた音楽でもあった。
そのような音楽だったこともあって、豊嶋さんによる気品に満ちたソロが、なんとも似つかわしかった。しめやかな雰囲気のもと、終演となったのでありました。