原田慶太楼さん&兵庫芸術文化センター管による演奏会(プロコフィエフの≪ロメオとジュリエット≫抜粋 他)の第2日目を聴いて

今日は、原田慶太楼さん&兵庫芸術文化センター管(通称:PACオケ)による演奏会を聴いてきました。演目は下記の4曲。
●伊福部昭 ≪SF交響ファンタジー第1番≫
●コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲(独奏:レイ・チェン)
~休憩~
●武満徹 ≪弦楽オーケストラのための3つの映画音楽≫
●プロコフィエフ バレエ音楽≪ロメオとジュリエット≫抜粋(原田さんによる選曲)
原田さんを聴くのは今回が4回目でありますが、2023年8月以来ということで、ちょうど2年半ぶりとなります。これまでは、京響で2回、大阪フィルで1回聴いており、PACオケとの共演に接するのは、これが初めて。なお、原田さんがPACオケを指揮すること自体、今回が初めてだそうです。
原田さんの印象は、表現意欲が実に強い指揮者だな、というところ。独自のアイディアを随所に散りばめながら、演出過剰と言えそうな演奏を展開する。そして、メリハリの効いた演奏ぶりが示されてゆく。やりたいことを、正直にぶつけてくる指揮者だとも言えそう。そのような音楽づくりが嵌れば、なんともスリリングな演奏が繰り広げられることとなるのですが、独りよがりな音楽になっているように思われて、煩わしさを覚えることもありました。
本日は、バラエティーに富んだプログラムが組まれているだけに、多彩な様相が繰り広げられるのではないだろうかと予想していました。コンセプトは「ものがたりの音楽」。そこでの演奏に、どのような印象を抱くことになるのでしょうか。期待と不安が交錯しているといったところでありました。
なお、コルンゴルトでヴァイオリン独奏を務めるレイ・チェンは、初めて実演で接するヴァイオリニスト。音盤でも、これまでに聴いたことはないはずです。
台湾生まれのオーストラリア人で、現在は36歳という、中堅どころのヴァイオリニスト。2009年にエリザベート王妃国際音楽コンクールで第1位を得ているようです。
どのような演奏を繰り広げてくれるのだろうかと、未知の演奏家に触れることへの期待感に、胸を膨らませたものでした。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

前半の2曲についてでありますが、まずもって、冒頭の伊福部が素晴らしかった。原田さんらしいと言いましょうか、メリハリを存分に効かせながら、溌剌とした演奏が繰り広げられました。アクセントなのかスフォルツァンドなのかをバシバシと決めながらの、豪快な演奏となってもいた。その演奏ぶりは、誠に率直なものであり、直線的な音楽づくりでもあった。猪突猛進していたとも言えそう。
そのうえで、トランペットをはじめとした金管楽器群や、打楽器群をガンガンに鳴らしながら、オケのパワーを全面開放させての演奏だったとも言いたい。
それだけに、やや一面的な音楽づくりだったとも思えたのですが、頗る潔い演奏ぶりであり、奔放であり、爽快感を味わうことのできる演奏でありました。とても楽しくもあった。
演奏が終わると、聴衆は大喝采。そのことが頷ける熱演でありました。
続くコルンゴルトは、チェンの独奏が素晴らしかった。艷やかで潤いのある響きで、豊潤でもあり、楽器が存分に鳴り切っていた。しかも、線の細さは全くない。むしろ、骨太な響きがしていた。とは言うものの、鈍重なところはなく、最終楽章などでは頗る機敏な演奏が展開されていました。
そのこんなが、ヴァイオリンという楽器の魅力を存分に発揮してくれるものとなっていた。
更には、コルンゴルトの作品に不可欠な甘美で官能的な雰囲気にも不足がなかった。良い意味での退廃的な雰囲気も十分でありました。
そこへゆくと、原田さんの音楽づくりは、甘美な空気感に不足していたように思えたものでした。オケが有機的になっていなくて、空虚な演奏ぶりだったとも思えた。もっと言えば、官能味の薄いオーケストラ演奏となっていた。音楽がうねってもいなかった。そのために、コルンゴルトの音楽世界から懸け離れた演奏ぶりになっていたように思えてなりませんでした。
伊福部で、あれだけ奔放な演奏を展開していただけに、どうしたのだろうかと疑問に思わずにおれませんでした。チェンに遠慮しながら、我を出すのを押さえていたのだろうか。そんなふうに訝しく思ったりもしたものでした。
さて、ソリストアンコールは、イザーイの無伴奏ヴァイオリンソナタから。こちらがまた、ヴァイオリンという楽器の魅力が全開になっていた演奏でありました。響きが艶やかで、かつ、豊潤で自在感に富んだ音楽が鳴り響いていた。しなやかにして、伸びやかであり、呼吸の豊かな音楽となってもいた。そういった様は、コルンゴルトの協奏曲での演奏以上だったと思えた。
圧巻のアンコール演奏でありました。

続きましては後半の2曲について。こちらも、なかなかの好演でありました。
まずは武満作品から。
これまた、原田さんらしい表現意欲の旺盛な音楽づくりで、音楽を逞しく、かつ、ひたむきに鳴り響かせていました。
第1曲目はジャジーな雰囲気に包まれた音楽になっているのですが、絶妙なリズム感と、感興の豊かさに支えられた演奏が繰り広げられていました。しかも、浮ついたところがない。目鼻立ちがクッキリとしていて、真摯な音楽が奏で上げられていた。この真摯な態度については、武満作品の3つのナンバーに一貫して感じられたこと。
ちなみに、武満は弦楽合奏による作品で、奏者は立って演奏をしていました。そこで、次の≪ロメオとジュリエット≫との間に弦楽器奏者の椅子を並べるという設営のための時間が生じたため、その時間を利用して原田さんによるトークが設けられました。そこでは、アカデミー機能を持っているPACオケは、海外からの奏者も数多く在籍しており、彼らに日本人作曲家の作品に触れる機会を提供したいといった趣旨に基づいてプログラミングしたと言われていました。冒頭の伊福部といい、この武満といい、原田さんの音楽づくりは、これら日本人作曲家の作品を率直な態度で描き上げてゆくものとなっていたように感じられ、海外からの奏者にとっては、その研鑽には誠に有意義であり、貴重な体験になったのではないだろうか、と思われたものでした。
ちょっと横道に逸れましたが、武満での演奏に話しを戻すと、第2曲目では、シリアスにして、清澄な音楽世界が広がっていました。プルトの数は7-6-5-4-3と、弦楽合奏にしては規模が大きめだったとも言え、そのこともあって、響きには厚みが感じられた。なお、厚みのある響きは、これもまた、武満作品の3つのナンバーに共通して感じられたことでもあったのですが。
最後の第3曲目は、ワルツの音楽となっていて、ほんのりと暗い色調をしていつつも、小粋で耽美な音楽世界の広がる演奏となっていた。
武満作品での演奏全体に言えること、それは、共感の豊かさと、逞しさを前面に押し出しながらも感受性豊かな音楽づくりが為されていたということ。力感の感じられる演奏ぶりでありながらも、武満作品の多くから感じられるデリケートな雰囲気も十分だった。そして、繰り返しになりますが、真摯な態度が貫かれていた。そんな演奏でありました。
ここからはメインの≪ロメオとジュリエット≫について。
とてもダイナミックであり、持って回ったところのない直裁的な演奏でありました。そういった音楽づくりに、胸のすく思いを抱いたものでした。そう、表現意欲の旺盛さがここでも見受けられたものの、それが演出過剰なものだと感じられたり、煩わしく思えたり、といったことのない演奏となっていたのであります。
伊福部と同様にオケを存分に鳴らしながら、ドラマティックかつエネルギッシュに奏でるかと思えば、場合によっては悲嘆に暮れながらすすり泣きすることもある。そんな起伏に富んだ音楽が、生き生きとした形で奏で上げられていた。
総じて、運動神経の良い演奏だったとも言えましょうか。リズミカルなナンバーでは敏捷性がとても高く、快活な音楽が奏で上げられていた。そして、メリハリを効かせながらビシバシと決めてゆく。それはもう、スカッとする音楽となっていました。
更には、大音量でオケを鳴らしてゆく様も、頗る豪快であり、もっと言えば痛快でありました。そのような音楽づくりにワザとらしさや嫌味が感じられなかったところも、見事でありました。この辺りは、原田さんが施してゆく音楽づくりが、実に率直だったことに依るのでしょう。
そのような音楽づくりがとりわけ顕著だったのは、「タイボルトの死」だったのではないでしょうか。前半から中盤にかけては、疾駆感に溢れた演奏が展開されていて、煽情的であり、スリリングこの上なかった。また、後半に入ったところでの、大音響による和音を叩きつけるようにして奏でた以降は、音楽をスパッ、スパッと切れ味鋭く、かつ、荘重に奏で上げてゆく。金管楽器が随所で咆哮する様は、戦慄物でもありました。
或いは、このバレエ音楽で最も有名なナンバーだろうと思われる「モンタギュー家とキャピュレット家」では、腰の据わった堂々たる音楽づくりをベースとしながら、豪快に音楽を掻き鳴らしていたものでした。
また、この抜粋版の最後に置かれた「ジュリエットの死」をはじめとして、抒情的なナンバーでは、しっとりとしていて、心に沁み入る音楽を奏で上げてくれていた。
そんなこんなが、実に屈託のない形で提示されていたのであります。
プロコフィエフの≪ロメオとジュリエット≫、原田さんの音楽性に合致した作品だと思えてなりませんでした。やはり、ツボに嵌れば、なんとも魅力的な演奏をする指揮者であります。
ところで、オーケストラのためのアンコールとして、≪ロメオとジュリエット≫から「朝のダンス」が演奏されたようです。但し、きっとアンコールは無いのだろうと予想し、早くに席を立ったために、その演奏を聴くことはできませんでした。ホール通路のスピーカーから聞こえてくる音を聴いた限りは、こちらもまた、活気に溢れた演奏になっていたようです。早々に席を立ったことが悔やまれたものでした。





