小林研一郎さん&大阪フィルによる演奏会(ベートーヴェンの≪英雄≫ 他)を聴いて

今日は、大阪のザ・シンフォニーホールで小林研一郎さん&大阪フィルによる演奏会を聴いてきました。演目は、下記の2曲。
●メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲(独奏:木嶋真優さん)
●ベートーヴェン ≪英雄≫

尾高さんとベートーヴェン・チクルスを催している真っ只中の大阪フィルが、コバケンさんとベートーヴェンの交響曲を演る、実に興味深い演奏会。しかも、≪英雄≫という、超重量級の作品を採り上げてくれる。どうしても、尾高さんと比較しながらの鑑賞になってしまうのでしょうが、どのような≪英雄≫奏で上げられることとなるのか、なんとも楽しみでありました。
また、前半では、木嶋真優さんの独奏を聴くことができるのも、本日の大きな関心事でありました。2022年10月にハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲を聴いていますが、それは、律動感に溢れ、野性味に富んでいて、エキゾティックな雰囲気も十二分に表してくれていた、頗る魅惑的な演奏でありました。気魄が籠っていて、鮮烈な演奏となってもいた。そのような木嶋さんが、ハチャトゥリアンによる協奏曲とは正反対な性格を有していると言えそうなメンデルスゾーンの協奏曲で、どのような演奏を聞かせてくれるのだろうか。そのような思いを抱きながら、会場に向かったものでした。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて書いてゆくことに致します。

まずは、前半のメンデルスゾーンから。
木嶋さん、ポルタメントを多用していて、端正な音楽づくりが為されていたとは言い難い演奏となっていました。ポルタメントというよりも、音をずらしながら当ててゆくといった雰囲気になっていた。それは特に冒頭において著しく、また、第2楽章の冒頭でもその傾向が強かった。とは言うものの、全曲の随所で現れていたのでありました。
冒頭部分は、曲が始まってすぐに独奏が入ってくるため、身体や気持ちが温まらない状態で弾き始めた、といったところだったのでしょう(但しそれは、この曲に挑む全てのヴァイオリニストに課せられることなのですが)、音程が定まらなかったり、音楽の流れがスムーズでなかったり、といった形にもなっていた。そう、とても不安定な出だしだったのです。
その一方で、第1楽章の第2主題が入るための経過部では、音楽をグッと沈静化させて(それは、コバケンさんの音楽づくりもまた同様でした。というよりも、コバケンさんがまず先に音楽を沈静化させ、それに木嶋さんが引っ張られていた、といった印象を持ちました)、頗る内省的な音楽が奏でられ、心に染み入る演奏となっていました。スタティックな美しさを湛えてもいた。
その後、第2主題が落ち着いて提示部が終わりに向かってゆく箇所では、適度に激情的になってもいた。それは、メンデルスゾーンの音楽においての「適正な」激情、といったものだったと言いたい。音楽が存分に躍動してもいた。この辺りは、木嶋さんの美質が現れた結果だったのでしょう。
また、カデンツァでは、先を急がずに、ジックリと音楽を語ってゆく、といった姿勢が貫かれていました。その様には、浮ついたところが全くなく、実に真摯なものだった。たっぷりとした音楽が鳴り響いていて、かつ、奥行きの深さといったものが感じられもした。それでいて、ここでもやはり内省的な音楽となっていた。なかなかに聴き応えのあるカデンツァでありました。
第2楽章は、第1楽章と同様に冒頭では音楽のフォルムが崩れていたのですが、中間部では、嫌味にならない範囲で粘り気を出しながら、情念的な音楽が奏で上げられていて、これまた、木嶋さんの美質が現れた結果なのだろう、と思えたものでした。
最終楽章は、この楽章に特有のリズミカルな雰囲気がシッカリと生かされていた。敏捷性の高い演奏だったと言えましょう。そのうえで、弾力性もあった。
そんなこんなのうえで、全編を通じて、ヴァイオリンならではの艷やかさが滲み出ている演奏ぶりが披露されていたのでした。高音域は、伸びやかであり、時に煽情的でもあった。この辺りも、木嶋さんの美点でありましょう。
と、聴くべきところの多いヴァイオリン演奏でありました。しかしながら、冒頭で書いたことに戻るのですが、ポルタメントの多用によって、決して端正な音楽と言えるようなものになっていなかったのが鼻について仕方がなかった、というのが正直なところでありました。
そのような木嶋さんをサポートするコバケンさんは、トレードマークと言えそうな熱気に包まれた演奏ぶりとはなっておらずに、整然とした演奏が繰り広げられていました。大言壮語するような演奏にもなっていなかった。そして、ツボを押さえた音楽づくりが為されていた。暗譜で指揮をされていたことからも窺えるように、何度となく演奏してきた曲なのだという「強み」が滲み出ていたと言えましょう。
充実感タップリで、かつ、的確なバックアップぶりでありました。

なお、ソリストアンコールは、童謡の≪ふるさと≫を木嶋さんがアレンジしたものでした。無伴奏による演奏。
前奏が設けられていて、そこでは≪ふるさと≫だとは気付けなかったのですが、やがて≪ふるさと≫の旋律が、何の装飾も施されずに明確な形で奏で上げられました。その後、もう1節分演奏されたのですが、そこでは変奏曲風に装飾が加えられていた。
その演奏はと言いますと、ジックリと弾き込んでいったものとなっていて、共感の深い演奏でありました。日本人の遺伝子のなせるワザ、といったところなのでしょうか。
艶やかさを前面に押し出した音楽にはなっておらずに、率直な演奏ぶりだったところにも、木嶋さんの別の顔を見たような思いを持ったものでした。

それでは、ここからはメインの≪英雄≫について。弦楽器のプルトの数8-7-6-5-4。後期ロマン派の作品を演奏しても良いほどの規模の大きさでありました。
(ちなみに、メンデルスゾーンでは6-5-4-3-2と、作品に見合った規模でありました。)
そのような編成で臨んだに相応しいと言いましょうか、濃厚で、ロマンティックな感興を随所に湛えたエロイカが奏で上げられていました。旧来型のエロイカだったとも言えましょうか。それは、第1楽章のリピートを省いたり、第1楽章のコーダでのトランペットには最後まで高らかに旋律を吹かせたり、といった処置が採られていた点からも判断できましょう。
そして、随所でアゴーギクの変化を持たせていました。時に、長いゲネラルパウゼが採られていたりもした。また、第1楽章の第2主題が提示された後の経過部で、ゆったりとしたテンポから急に速いテンポに切り替えたりといった、ギアチェンジが為されていたりもした。
更には、最終楽章のコーダで、ホルンが高らかに旋律を奏でる箇所では、ベルアップをさせながら朗々と吹かせていたりもした。それ故に、頗る壮麗で広大な音楽世界が現出したものでした。(ここで、1人の奏者が音を微妙に外したのが、少々興醒めしたのですが。)
かように、かなり表現意欲の旺盛な演奏ぶりが示されていたのですが、それが恣意的なものには感じられませんでした。なるほど、大袈裟な表情付けだな、と感じられることも多かったのですが、それが嫌味に感じられなかったのです。それは、コバケンさんが、この作品を真摯に受け止めて、それをストレートに表現したからなのではないでしょうか。
また、fとffの対比も、シッカリと為されていた。また、sfやfzも丁寧に付けられていた。
(この点については、尾高さんとの演奏で大阪フィルのメンバーにその意識が植え付けられ、団員が自発的に付けていたのかもしれません。と言いますのも、コバケンの指揮にsfやfzを意図する動きが含まれていないにも拘らず、シッカリとsfやfzが付けられていた箇所も散見されましたので。もっとも、リハーサルでコバケンさんが指示を出していて、本番では指揮の動きとして表さなかったのかもしれませんが。)
全体を通じて、尾高さんとのベートーヴェンのような、端正であったり、毅然としていたり、インテンポを死守することによる折り目正しさが前面に押し出されたり、といった演奏ではありませんでした。それよりももっと、艶美で、情念的なベートーヴェンとなっていた。そのような性格が殊更に強かったのが、第2楽章の葬送行進曲でありました。かなり遅めのテンポを採りながら、おどろおどろしい音楽が奏で上げられていた。コバケンさんの音楽への執念のようなものが現れていたとも言えそう。しかも、心からの共感をベースにしながらの音楽だった。
更に言えば、随所で衝撃的な音楽が鳴り響いていました。例えば、冒頭で2回打ち鳴らされる和音は、ティンパニを強打させていたこともあって、インパクト大でありました。そこからは、交響曲に革命を起こしたエロイカの誕生を、センセーショナルに表そうといった意図が感じられもしたものでした。この箇所に限らず、ティンパニを強打させることが多かったのは、ホルンのベルアップと通ずるものがあるように思えます。
そんなこんなが、実に率直に為されていたように思えたのでした。真摯なまでの率直さ故に、嫌味に繋がらなかったのでしょう。更には、この作品がコバケンさんの表現を受け止めるだけの懐の深さを有しているからなのかもしれません。
壮大で、衝撃的で、それでいて、艶美でロマンティックなエロイカでありました。とても表情豊かだった。
個人的には、尾高さんによるベートーヴェンのほうに、より強く共感するのですが、「面白さ」を随所に感じることのできたエロイカだった。そんなふうに言いたい。