沖澤のどかさん&京都市交響楽団による≪コジ・ファン・トゥッテ≫(演奏会形式での公演)を聴いて

今日は、沖澤のどかさん&京都市交響楽団による定期演奏会での≪コジ・ファン・トゥッテ≫を聴いてきました。演奏会形式による公演であります。
キャストにつきましては、お手数ですが、添付写真をご参照ください。

沖澤さんは、セイジ・オザワ 松本フェスティバルで≪フィガロの結婚≫やブリテンの≪真夏の夜の夢≫といったオペラ作品を指揮していますが、私にとっては、今回が沖澤さんの指揮する初めてのオペラ、ということになります。
沖澤さんの美質は、几帳面な音楽づくりにあるように感じています。それでいて、近現代の作品では、リズム感に冴えていて、鮮やかな演奏と繰り広げてくれる。その一方で、ベートーヴェンの交響曲第4番やメンデルスゾーンやブラームスといった、ドイツ物の古典派からロマン派の作品では、生硬な演奏ぶりとなっていたようにも感じられた。もっとも、昨年の年末に聴いた京響とのベートーヴェンの第九では、篤実な態度を貫きながら、熱気が籠もっていて、そのうえで、音楽の息遣いが自然かつ豊かで、身のこなしのしなやかな演奏を繰り広げてくれたのですが。
そんな沖澤さんが、モーツァルトのオペラを採り上げる。しかも、その中でも、最も流麗にして、爽やかに音楽が駆け抜けてゆき、かつ、ウィットに溢れている、といったオペラ作品である≪コジ・ファン・トゥッテ≫を採り上げる。キビキビとした音楽づくりをベースにしながら、颯爽とした演奏を繰り広げてくれるのではないだろうか、と期待を寄せつつも、ひょっとすると、生真面目に過ぎて生硬な演奏になってしまうのではないだろうか、といった危惧も抱いていたものでした。
思えば、小澤征爾さんがオペラ指揮者としてデビューを果たしたのが1969年のザルツブルク音楽祭における≪コジ・ファン・トゥッテ≫でありますが、そこでは、あまり芳しい評価を受けることができませんでした。沖澤さんは、小澤さんの演奏ぶりと、どこか似たところがあるように思えます。それは、几帳面であり、誠実にして端正で、清潔感に溢れた演奏を繰り広げる、といった面において。そのような音楽づくりが、≪コジ・ファン・トゥッテ≫に備わっている伸びやかさを阻害してしまうのではないだろうか。そのようにも懸念をしながらの鑑賞でありました。
歌手陣では、何と言いましても大西さんに注目していました。きっと、威勢の良い、馬力のある歌唱を繰り広げてくれるのではないだろうか、と。グリエルモという役には、そのような歌いぶりが相応しいと思えるだけに、とても楽しみでありました。
また、ドラベッラに扮する山下さんにも期待を寄せていました。≪運命の力≫でのプレチオシルラで、ある種の蓮っぽさとともに、端正な味わいも持った歌を聞かせてくれただけに、素敵なドラベッラになるのではないだろうかと予想していたのであります。
もう一人、気になる歌手として挙げるのは、フェランドを歌う糸賀さん。先々月に観劇した≪愛の妙薬≫でのネモリーノでは、真摯な歌いぶりだったことには感心させられながらも、声の質が、≪セヴィリャの理髪師≫でのアルマヴィーヴァ伯爵が第2幕で音楽教師に変装した際に、鼻に掛けたようにして、声音をしわがらせて歌う場面でのもののように感じられ、あまり甘美ではなかった点に失望させられたものでした。本日は、どのような歌を聞かせてくれることろうかと、とても気になったのであります。
色々と注目点の多かった、本日の≪コジ・ファン・トゥッテ≫。はたして、どのような演奏になるのだろうかと、ドキドキしながら会場に向かったものでした。
なお、本日の演奏会、チケットが売り出された翌日には、既に完売となっていました。ひょっとすると、初日のうちに売り切れたのかもしれません。それだけ、注目度の高い演奏会だ、ということでもありますね。なおかつ、私にとっても、2025-26年シーズンの京響による演奏会の中で、最も注目していた公演でありました。ついに、当日を迎えた、という思いに駆られたものでありました。
なお、本日の公演を聴いての印象を書く前に、プレトークについて、少々触れさせて頂きます。
それは、本日の字幕は落語家の桂米團治さんが担当し、関西弁の日本語訳にした、ということもあって、沖澤さんと米團治さんの2人によるトークという形で執り行われました。米團治さんは、落語とオペラとを融合した「おぺらくご」を打ち立てるほどのオペラ好きのようです。そう言えば、2023年に上演されたびわ湖ホールでの≪こうもり≫では、講談師のようにして、劇の進行を担っていたものでした。
このオペラのあらすじを米團治さんが説明されたのですが、それを受けて、沖澤さんが「女としては、ちょっとどうかな、という物語なのでありつつ、音楽が素晴らしい」とコメントされていたのが、なんとも興味深かった。なお、米團治さんは、この≪コジ・ファン・トゥッテ≫が一番好きなモーツァルトのオペラだとのことでしたが、沖澤さんは≪フィガロの結婚≫が最も好きなのだそうです。
と、前書きはこのくらいに致しまして、本日の公演をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致しましょう。

沖澤さん、危惧していたような生硬な音楽づくりになっているな、といった印象を抱くようなことはありませんでした。とは言いましても、颯爽と、そしてキビキビと音楽を進めてゆく、といった感じでもありませんでした。軽妙さが滲み出ていた、といったものでもなかった。
決して鈍重な演奏ではなかったのですが、セカセカと進められてゆく、といった印象を抱くことが多かった。そう、呼吸が浅いように思われることが多かったのであります。更には、レチタティーヴォで合いの手を入れる際に、前の音をシッカリと飲み込まずに前のめりになって音を出す、といったことが感じられることもあった。
また、第1幕の後半で、デスピーナが偽の医者に扮装して磁石を振り回すシーンの前後において顕著だったのですが、音楽にしなやかさが不足していたように思えた。或いは、第2幕で、グリエルモがドラベッラを口説き落とした後の、その2人による「愛の二重唱」は、このオペラに中で最も恍惚感の強いナンバーだと言えそうなのですが、そこでのオーケストラ演奏は、あまり陶酔感の強いものとなっていなかった。むしろ、のっぺりとした表情をしていたと言いたい。そこでの大西さんと山下さんによる歌唱が、朗々としていて、かつ、情感豊かでロマンティシズムに富んでいて、あまり見事であっただけに、オケが興を削ぐこととなっていました。
そんなこんなもあって、なんと言いましょうか、伴奏に徹している、といった印象を強くしたものでした。生気に富んでいる、といった風にも思えなかった。なるほど、爽快な雰囲気はそれなりにありました。その代表例として挙げたいのは、第1幕と第2幕の、それぞれのフィナーレ。この2ヶ所においては、ここぞとばかりに疾駆感のある演奏を展開してくれていました。しかしながら、総じて平板な音楽づくりだったと思えてならなかったのであります。このオペラの随所に織り込まれているペーソスや、葛藤や、或いは、清らかな抒情性や、といったものが浮き彫りとなってくる、といった演奏にもなっていないように思えた。
更には、沖澤さんの最大の美質だと言える几帳面で端正で入念な音楽づくり、といったものも、あまり感じられなかった。なんだか、自分を殺して遠慮がちに演奏していたのでは、といった印象すら持ったものでした。
そんなこんなもあって、オーケストラパートにおいては、あまり居心地の良い音楽になっていたとは言えそうにない≪コジ・ファン・トゥッテ≫だった。
変に恣意的な表現が織り込まれていなかった点では有り難く、抵抗なく聴き進むことができたのですが、それ以上の何物でもなかった、というのが正直なところであります。
≪コジ・ファン・トゥッテ≫は、日本人指揮者には難しいオペラだ、とは常々感じていたことなのですが、その思いを払拭することのできなかった演奏だったとも言いたい。
(なお、2010年代の前半に、東京の北とぴあで聴いた寺神戸亮さんが指揮した≪コジ・ファン・トゥッテ≫は、このオペラの妙味を堪能することのできた素晴らしい演奏だったのですが。)
ここからは、独唱陣について。
まずはさておき、グリエルモを歌った大西さんが素晴らしかった。予想通りの、いや、予想以上の威勢の良い歌いぶりで、他を圧倒していたと言いたい。しかも、声が太くて、重厚で、艷やかさがある。そのような歌いぶりが、とりわけ、第2幕でのアリアにおいて威力抜群でありました。とは言うものの、アリアに限らず、概して意気軒高な歌を繰り広げてくれたのでありました。颯爽としてもいた。
なお、第1幕でのアリアとしては、作曲当初に織り込まれていたものの、あまりに長大だったために短いアリアにすり替えられたバージョンが歌われていました。このアリアが歌われるのは非常に珍しく、ヘルマン・プライがスウィトナー&シュターツカペレ・ドレスデンと共に録音した珠玉のアリア集で聴いたことがあるくらい。このアリアでの大西さん、あまりに威勢が良すぎて、直情的で、なんだか怒っているように聞こえたのも、御愛嬌。ちなみに、プライは、まろやかで柔らかみがあって、暖かみのある歌いぶりであり、大西さんの歌い口は、プライとは随分と異なるものでありました。モーツァルトを歌う、という観点に立てば、プライの歌いぶりの方が、私としては好ましいのですが。
次いで、山下さんによるドラベッラが素晴らしかった。声が太くて、押し出しが強い。深々としてもいた。そして、歌い口の恰幅が良くもある。そのうえで、音程にブレがなく、安定度の高い歌唱を繰り広げてくれていた。基礎のシッカリした(或いは、技術のシッカリとした)歌手だな、という印象を強くしました。
更には、ドラベッラは、姉のフィオルディリージよりも大胆な性格をしている(最初に、異邦人を装った来訪者に心を許したのがドラベッラだった)と言えるのですが、その辺りの奔放さや、自分自身に寛大だという性質や、朗らかさといったものも、巧まずして表されていたと言いたい。それもこれも、シッカリとした技術ゆえのことでもありましょう。
また、鵜木さんによるデスピーナは、実に芸達者で、聴き応え十分でありました。故意にしわがれ声を使うことも多く、若干やり過ぎかな、と思えることもあったのですが、狂言回し的なこの役に相応しい歌いぶりでありました。なお、第1幕の後半で磁石を振り回す代わりに、沖澤さんから指揮棒を取り上げて、それを振り回す、といった芝居を見せてくれ、聴衆の笑いを誘っていた。この箇所に限らず、本日の公演で最も多く聴衆を笑わせてくれていたのが、鵜木さんでした。とりわけ、第2幕後半の、結婚公証人に変装して結婚証書を読み上げるシーンでの、極端なしわがれ声による軽快な歌いぶりは、抱腹絶倒ものでした。
しかも、第2幕冒頭でのアリアで顕著だったように、頗る軽妙な歌い口を披露してくれもした。
そんな、なんともチャーミングなデスピーナでありました。
デスピーナと共に、このオペラを切り盛りするドン・アルフォンゾに扮した宮本さんでありますが、この役にしては声が若々し過ぎて、老獪な雰囲気が薄く、期待外れな歌唱となっていました。似たようなことは、先々月に聴いた下野竜也さん&大阪フィルによる≪青ひげ公の城≫でも感じられたものでした。
なおかつ、音程が不安定になったり、歌のフォルムがふらついてしまうような印象を受けたり、といった点も、残念でありました。
音程が不安定になったり、歌のフォルムがふらついてしまったり、という不満は、フィオルディリージを歌った隠岐さんにも当てはまる。それ故に、歌い口に安定感がない。更には、第1幕のアリアの最後の箇所での、オケとユニゾンで歌うシーンでは、声が埋もれてしまっていた。
隠岐さんは、2023年の年末に鈴木秀美さん&神戸市室内管との≪天地創造≫でも聴いており、その際には声に柔らかさがあって、典型的なリリコによる歌だなと感じられたのですが、本日は喉のコンディションが今一つだったのかもしれません。なお、その≪天地創造≫においても、声が細くて、声の通りが悪かった(声量うんぬんではなく、ピンと立った歌声をホールいっぱいに響かせるといったところが十分ではなかった)といった印象を受けたものでした。
最後に触れるのは、フェランドを歌った糸賀さん。
やはり、≪愛の妙薬≫で受けた印象と同様に、≪セヴィリャの理髪師≫におけるアルマヴィーヴァ伯爵の変装シーンのようなしわがれ声による歌となっていました。ひょっとすると、≪愛の妙薬≫では喉のコンディションが悪かったのかな、といったことも考えられなくはなかったのですが、そうではなく、これが糸賀さんの平時の声なのでしょう。
そのことによって、凛々しさに不足したフェランドだと思えてならなかった。
なお、第1幕と第2幕の双方で披露されるアリアでは、第2幕での方が切迫感のある音楽になっている(第1幕でのアリアは、抒情性が頗る強い)ために、真摯な態度を織り込むことができて、糸賀さんの美質の一部を垣間見ることができたのですが、いかんせん声質が私には受け付け難いものでありました。
縷々書いてきましたが、私にとっては問題や疑問の多い公演だった、というのが正直なところであります。それ故に、ワクワク感の薄い≪コジ・ファン・トゥッテ≫でありました。
とは言うものの、先々月に観劇した2025年度全国共同制作オペラ≪愛の妙薬≫の京都公演について書いた際にも述べましたが、オペラの公演というものは、何から何まで大満足ということは、稀有のことであります(それでも時折、本当にごくごく時折、何から何まで大満足という公演に出会うことはある)。
本日は、頗る魅力的なグリエルモとドラベッラとデスピーナに出会えたことに、感謝しなければならないのでしょう。





