トスカニーニ&NBC響によるブラームスの交響曲第3番を聴いて

トスカニーニ&NBC響によるブラームスの交響曲第3番(1952年録音)を聴いてみました。

トスカニーニの演奏の特徴は、強靭で毅然としていて、謹厳でありつつも、燦然たる輝かしさを持っているところにあるように捉えています。
このブラームスの3番も、以前聴いた時は、そのようなトスカニーニの特徴に溢れている演奏だ、という印象を抱いたものでした。
6年ほど前に第3番を≪悲劇的序曲≫を聴いて、とあるFBグループに投稿した際には、下記のように綴っていたのであります。
「毅然としていながら、明晰を極めていて、輝かしく、ロマンティックなブラームス演奏であります。この指揮者ならではの歌心にも溢れている。
トスカニーニによるブラームスは2番が絶品だと思っていますが、この2曲も魅力タップリな演奏であります。」
しかしながら。

今回、久しぶりに聴き直してみますと、さほど輝かしさが感じられない。強靭さもあまり感じられない。明晰さが前面に押し出された、直線的な演奏というふうにも聞こえない。それよりももっと、柔らかさや、優しさや、ふくよかさを湛えている音楽として聞こえてきた。そして、骨太な音楽として。
その骨太さが、毅然とした表情と繋がってきている。そんなふうにも言えそう。しかしながら、やはり、毅然とした表情というよりは、柔和であるという印象が強い。トスカニーニの演奏が、このような表情を示すことは珍しいように思えます。
(第2楽章の真ん中あたりでは、音楽に鋼のような強靭さが感じられもしたのですが。また、同楽章の最後のほうでのクレッシェンドによる音楽の膨らませ方にも、グイグイと押してゆくような逞しさが秘められている。)
更には、第3楽章は、なんとも瞑想的な音楽として奏で上げられている。儚さのようなものも感じられる。そして、この楽章での音楽の伸縮の幅は、とても大きい。トスカニーニはよく、インテンポ(テンポの変化が無いこと)の指揮者と言われます。と言いつつも、決して常にインテンポを貫いている訳ではなく、曲想に応じてテンポを伸縮させ、音楽にロマンティックな表情を添えてゆくのですが、それにしても、この楽章でのテンポの伸縮の幅は、かなり大きなものとなっている。
最終楽章に入ると、少々様相が変わり、トスカニーニならではの「疾風怒濤」とした進められ方が現れてきます。しかしながら、普段のトスカニーニと比べると、強靭さはそれほど強くない。そして、平安な雰囲気に包まれて、この楽章は閉じられる。
なるほど、最終楽章の最後の部分は、もともと、嵐が去った後に訪れた安寧な世界が描かれていると言えましょうが、それにしても、ここでのトスカニーニによる演奏は、その平安な気分が殊更に強いように思えます。

ところどころでトスカニーニらしさが垣間見られるものの、全体的にはトスカニーニならではの味わいのようなものの薄い演奏。そんなふうに言えるのではないでしょうか。そのうえで、この作品の性格にかなった演奏ぶりであるように思える。
トスカニーニの演奏が苦手な聴き手に、お薦めできる演奏だと思えます。