マゼール&ウィーン・フィルによるベルリオーズの劇的交響曲≪ロメオとジュリエット≫を聴いて

マゼール&ウィーン・フィルによるベルリオーズの≪ロメオとジュリエット≫(1972年録音)を聴いてみました。
独唱陣は、ルートヴィヒ(MS)、セネシャル(T)、ギャウロフ(Bs)。合唱は、ウィーン国立歌劇場合唱団。
ベルリオーズが「劇的交響曲」というジャンル名を与えた、この作品。正式には、次のようなタイトルが付けられています。
≪ロメオとジュリエット-合唱、独唱、および合唱レチタティーフのプロローグ付きの劇的交響曲≫
なお、マゼールは、1973年にはクリーヴランド管とプロコフィエフのバレエ音楽≪ロメオとジュリエット≫の全曲版をセッション録音しています。
接近した時期に、ベルリオーズとプロコフィエフによる、ロメオとジュリエットを題材にした大作を立て続けに録音しているというのも、とても興味深いところであります。
さて、ここでの演奏についてでありますが、「劇的交響曲」と名付けられているのに相応しい、頗る劇的な音楽が繰り広げられています。この点については、マゼール&ウィーン・フィル盤に限った話しではないのですが、この演奏では殊更に、劇的な性格が強いように思える。ダイナミクスが大きく採られていて、表情の幅は非常に広く、起伏の大きな演奏となっている。
それでいて、ロマンティックで、表情が濃厚。と言いますか、妖艶であると言えましょう。この、「妖艶」というところは、ウィーン・フィルの体質が大きく関わってもいるようにも思えるのですが。
しかも、冒頭の序奏部をはじめとして、キビキビと進められる箇所が多い。それは例えば、「マブの女王のスケルツォ」においても然り。そのようなこともあり、表情が濃いにも拘わらず、豊満な音楽にはなってはいません。むしろ、マゼールらしく、キリっと引き締まった音楽が鳴り響いている。オーケストラのみで演奏される第2部の「キャピュレット家の大宴会」などでは、贅肉を削ぎ落とした響きをベースにしながら、シンフォニックな演奏が展開されている。
そして、全編を通じて、切れ味の鋭さを備えてもいる演奏ぶりが目を引きます。それ故に、とても鮮烈な演奏となっている。
そんなこんなもあって、劇的でありつつ、知的で理性的な演奏になっているとも言いたい。
独唱陣では、ギャウロフが特に劇的効果の上がる歌い口が示されていて、見事であります。ドラマティックで、押し出しが強くて、恰幅が大きい。しかも、朗々としていて艶やかな声を響かせてくれている。
また、ルートヴィヒ、セネシャルは、真摯で気品に溢れた歌を聞かせてくれていまして、こちらも実に素敵。とりわけ、ルートヴィヒの歌からは「理性的な妖艶さ」といったようなものが漂ってきて、ここでのマゼールの音楽づくりに、とても似つかわしい。
全編を通じて、聴き応えの十分な演奏となっています。
更に言えば、1時間半を超える長大な作品を一気に聴かせてしまう、隅々にまで魅力が散りばめられている素敵な演奏となっています。





