ネゼ=セガン&フィラデルフィア管によるストラヴィンスキーの≪春の祭典≫を聴いて

ネゼ=セガン&フィラデルフィア管によるストラヴィンスキーの≪春の祭典≫(2013年録音)を聴いてみました。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に収蔵されている音盤での鑑賞になります。

華麗さが前面に出ている演奏でもなく、土俗性の感じられる演奏でもなく、端正な音楽が奏で上げられています。
この作品が持っていると言えるバーバリズムのようなものは薄く、洗練された音楽が鳴り響いている。全体的に滑らかな肌触りをした演奏になっているとも言えそう。
なるほど、フィラデルフィア管の特質である華麗な響きをところどころで認めることができます。艶美とも言えるような響きを。しかしながら、ネゼ=セガンは、それをあからさまに誇示するような方向に持って行ってはいない。演奏全体から漂ってくる空気、それは、品格を備えていて、かつ、凛然とした佇まいを備えたもの。そう、決して豊麗な音楽とはなっていないのであります。それ故に、整然とした≪春の祭典≫が繰り広げられていく。
そのうえで、必要十分にエネルギッシュであり、ドラマティックでもある。オケをシッカリと鳴らし切っている演奏だとも言いたい。しかも、無理なく鳴らしていながらも、存分に鳴り切っている、といった感じ。そして、派手さとはちょっと異なった、艶やかな響きをしている。

純音楽的な美しさを湛えている≪春の祭典≫。
独自の魅力を持っていて、かつ、聴き応え十分な、誠に興味深い演奏であります。